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『ねわざワールド品川』主宰・長谷川秀樹インタビュー。いつになってもプロになれなかった男が地上波柔術番組を作るまでの軌跡!(聞き手/ジャン斉藤)

『ねわざワールド品川』オフィシャルサイト
http://newawa-shinagawa.versus.jp/



──
長谷川さんは『ねわざワールド品川』を主宰されていますが、これは支部というかたちなんですよね。

長谷川 本部が調布にありまして、フランチャイズみたいなもので、それぞれ別個で独立採算でやってまして。支部を始めてちょうど10年です。本部に通っている頃から並行して和術慧舟會に在籍してました。

──
もともとは和術慧舟會なんですか。

長谷川
 はい。大学4年生のときにPRIDE・1の高田延彦さんとヒクソン・グレイシー先生の試合を見たことから格闘技をやってみたくなりまして。ただ当時は総合格闘技の道場が少なくて、格闘技にすごい怖いイメージがあったこともあって、ためらってたんですが、1ヵ月後にエンセン井上先生とフランク・シャムロックさんのバーリトゥードジャパンの試合を見て。それがやっぱりすごい試合で、絶対に格闘技をやりたいと思って和術慧舟會に入会しました。

──
それまで格闘技は何かやられてたんですか?

長谷川
 高校で3年間柔道やってたんですよ。大学では何もしてなかったですけど、高田さんとヒクソン先生の試合に衝撃を受けまして。絶対やりたいと思いました。

──
当時って格闘技を習うにしても和術慧舟會か骨法くらいですかね。

長谷川
 パラエストラ東京さんがちょうどできるときでした。あと正道会館の平直行先生の柔術クラスがありますよね。

──その中で和術慧舟會を選んだ理由は?

長谷川
 ちょうど大学4年生で翌年の春から就職が決まってまして。日曜日に営業しているジムが慧舟會だけだったんですよ。

──
当時はどこもそんな営業スタイルだったんですね。

長谷川
 はい。就職してからも通えるように慧舟會に決めました。

──
当時の和術慧舟會って一般会員向けの道場ではなかったんじゃないですか?

長谷川
 ちょうど一般会員も受け入れ始めた時期でして。それまでは宇野薫さん、小路晃さん、高瀬大樹さんとかプロ選手や強いアマチュアの人しかいなかったんですが、ちょうど小路さんがPRIDEの東京ドームでヴィリッジ・イズマイウ選手といい勝負をして有名になったことで、一般会員も受け入れはじめたときでしたね。

──
場所は御茶ノ水。古めの建物の地下ですよね。

長谷川
 はい。本当にすごい古い道場なんですけど、強い人がたくさんいて環境としてはよかったと思います。

──
一見さんが通うのはなかなか厳しい印象があったんですけど。

長谷川
 そうですね。外から中が見えないんですね、扉が閉まってて。怖くて入り口で引き返すことを2回続けて。3回目に行く前に道場に電話をして「これから行きます」と。そこまでして行かざるを得ないようにしてやっと入れました。本当怖かったですね……。でも、まず思ってたより怖くなくて、にこやかに対応してくれました。

──
日曜日だけ道場に通っていたんですか?

長谷川
 そうですね。97年の12月に入ってそのときは大学がもう終わりのほうで、わりと週3回くらい行ってたんですけど。4月に就職してからは土日だけでした。最初に私が就職したところが信用金庫でして、かなりの激務だったんですね。平日も23時、24時まで残業がありまして、4月の途中から練習に行かなくなってしまって。そうしたら守山(竜介)先生が、私が住んでいた実家に電話をかけてくれまして。その頃は携帯とかなかったですからね。母が電話に出たんですけど、最近練習来てないから心配してくれてると。

──さすが守山先生、いい人ですね。

長谷川
 はい。その気遣いにすごい感動しまして、また6月から行くようになりました。

──
守山先生がいて、鬼の久保(豊喜)社長がいらっしゃるという……。

長谷川 あぁ、久保社長。久保社長はプロ選手や、プロになりたい会員にはすごい厳しいんですけど、ボクのような趣味でやってる一般会員には優しくて、全然怖いイメージなかったですね。

──
見た目は怖いけどってことですね(笑)。一般会員はどういう練習をされるんですか?

長谷川
 もうほとんどスパーリング中心ですね。技の練習を30分くらいやりまして、そのあとはひたすら2時間くらいスパーリングばっかり。

──それはプロ練とは違うわけですね?

長谷川
 はい。日曜日が一般会員向けの練習でして、土曜日はプロも一般会員も一緒なんですけど、プロ練ではないので激しくはなかったですね。

──
慧舟會って基礎体力練習が相当厳しかったとか。

長谷川
 そうですね。腕立て、腹筋スクワットをたくさんやるんですけど、一般会員は無理しなくていいので、ちょっとつらくなったら休んでてもいいですし、途中で抜けてもよくて。プロ選手はずっと最後までやってました。

──
じゃあ和術慧舟會名物の地獄トレーニングは……。

長谷川
 受けてないですね(笑)。プロ練のスパーとかけっこうすごいハードだったと聞きますけど、私は参加したことないので。一般会員の練習だけで、すごい楽しかったです。

──
そこから大会にも出るようになって。

長谷川
 はい。98年の9月に柔術のトーナメントに出まして、それが初めての試合ですね。当時は1ヵ月に1回、2ヵ月に1回くらいしか大会がなかったので少なかったですね。

──
大会があるだけでも珍しい感じで。

長谷川
 私は本当に趣味でやっていたので試合はまったく興味がなかったんですが、守山さんと久保社長に無理やり道場生半数以上が出させてられまして。渋々出たって感じですね。

――大会にはあまり出る気がなかったのはどういう理由なんですか?

長谷川
 やっぱり練習が週1〜2回でしたので、そのくらいの練習レベルでは勝てないだろうなっていう気持ちがありまして。あと当時は大会が少なかったですから、プロ選手やプロ志望の強い人と同じトーナメントに入れられてたりするハードなものだったので、ちょっと出たくなかったですね(苦笑)。

──いまみたいに実力ごとに分かれてなかったわけですね。

長谷川
 そうですね、いまだとトーナメント初心者・中級者・上級者と分かれてるんですけど、当時は全部一緒だったので。和術慧舟會の本部には2001年まで通ってまして、2001年に横浜市の鶴見区にタイガープレイスという慧舟會の系列道場ができたんですね。

──
和術慧舟會の系列ジムって一時期あちらこちらにありましたよね。

長谷川
 2000年あたりからどんどん増えていきまして。タイガープレイスが私の家から車で20分くらいで近かったんですね。そこからはタイガープレイスに6年ほど通ってました。

──
プロになろうとは思わなかったんですか?

長谷川
 ちょうど2001年に転職したんですけど、その会社が定時で帰れて土日もしっかり休めましたので練習をほぼ毎日してたので、プロを目指したいと思いまして。ただちょっと私があまり格闘技のセンスがないということを久保社長や守山さんもわかっていたので「プロを目指してます」と言ってもあまり本気に取ってくれなくて。

――えっ(笑)。

長谷川
 「まぁ長谷川くん、がんばってね」っていう感じで、「プロ練に来なさい」とか「こういう練習しなさい」って言ってくれなかったんですよね。

──
それはどういうことなんですかね(笑)。

長谷川
 たぶん「この子はプロにすると危ない」と思ったんじゃないかな……。守山さんや久保社長って入会初日に「この子は強くなる」ってわかるんですね。塩澤正人さんなんか普通の青年だったんですけど、初日から久保社長と守山さんは「この子は強くなる」と。なんかわかるんでしょうね。ボクは子供の頃は運動神経が鈍くて、そういうトロいところを見抜かれていたのかなと。「この子はちょっとプロ無理だな」ってのはわかってたと思うんですよ。

――長谷川さんのほうから「プロ練に参加させてください」ってお願いしなかったんですか? 

長谷川
 それはちょっと自信がなかったですね(苦笑)。ただプロにはなりたいっていう気持ちはちょっとありまして、一般練習に参加しつつ出稽古に行ったりしてがんばってまして。

──
どんなところに出稽古にいかれたんですか?

長谷川
 慧舟會は寝技ばっかりでレスリングが弱かったので、新宿スポーツ会館のレスリングスクールに入りまして。掛け持ちでレスリングを週1回やっていたのと、もうひとつはやはり打撃が苦手でしたので、いまもあるんですけど空手維新というチームが大森のゴールドジムの中にありまして。そこにも週1回、月謝を払って通いまして。それは2001年からですね。

──
当時慧舟會でもそんなことやってる人は珍しかったんじゃないですか?

長谷川
 そうですね、みんな慧舟會でしか練習してなかったんですけど。私は本当に自信がなかったのでお金と時間をかけていろいろ勉強しないとと思いまして。ただ、私が打撃がすごい苦手で……。

──練習してもあんまりうまくはならなかった。

長谷川
 はい、うまくならないので、慧舟會はDEMOLITIONという自主イベントをやってたんですけど、私はプロ練習も出てないですし、久保社長と守山さんに才能を見抜かれてるので声がかからず……。当時アマチュアパンクラスというかなり大きなアマチュア大会があったんですけど、それに3位くらいに入るとパンクラスゲートというパンクラス前座のセミプロみたいイベントに出れたんですね。で、アマチュアパンクラスの3位に入ったんですね、2002年に。でも、パンクラスゲートから声はかからず……。

――うーむ(笑)。

長谷川
 あとJTCという大きいアマチュアの大会がありまして。それの東京大会で3位くらいに入ると社長の推薦でDEMOLITIONに出れるんです。私はその東京大会で3位に入ったんですが、やっぱり声かかんないんですよね。

──
それでも(笑)。ちゃんと成績は残してるんだからピックアップされても……。

長谷川
 3位がちょうどボーダーラインでして、1位2位だと確実なんですね。3位というのはちょうど先生の裁量に任されるような位置でして。やっぱり打撃も苦手で危ないなと思われたんだと。

──
でも、当時のMMAって組み中心だから、組みがしっかりしてれば誰でも出れるところもあったわけじゃないですか。

長谷川
 そうですよね。私はプロでチャンピオンになりたいとかではなくて、記念に1試合だけやりたいってちょっと志が低かったんですね。

──ガツガツしてなかったんですね。

長谷川
 結局セミプロ的なのでもいいと思って、その頃DEEPがクラブDEEPというイベントを地方でいっぱいやってたんです。あれはちょうどプロルールで入場曲もあってプロっぽいから憧れてまして。ただ東京ではやってなかったんで、福岡大会にセコンドの旅費を含めて自腹で出して出ました。

──
福岡まで行って!

長谷川
 はい。それが2004年の3月ですね。バウトレビューさんが福岡大会に出たい選手を募集してまして、まぁ地元の選手を集めるって意味だったんですけど、東京在住でも申し込めましたので自分で履歴書を送って。

──
当時和術慧舟會とDEEPって仲が超よろしくないから……。

長谷川
 そうです。ですので私が申し込んだあと、久保社長とDEEPの関係者がやりとりして「まぁ長谷川くんは特別扱いなのでいいよ」みたいな感じで(笑)。

──
慧舟會とDEEPの壁をぶち壊した男!

長谷川
 それが期待されてるアマチュア選手だったりしたら、何か問題になったと思うんですけど、私は全然気にされてなかったんで「自由にやっていい」という感じで出れちゃいました。

──
どういう存在なんですか(笑)。その試合は勝ったんですか?

長谷川
 5分2Rで引き分けですね。

──
セミプロでもちゃんと5分2R戦えるわけじゃないですか。そろそろプロでどうだみたいなオファーがあっても……。

長谷川
 そうなんですよね。でも、ただ、その後もデモリッションやパンクラスゲートから、いっこうに声がかからなくてですね。サブミッションアーツレスリングってご存知ですか?

──
麻生代表にインタビューしたことあります。

長谷川 麻生先生がやってるスポーツ柔術っていう打撃ありの柔術があったんですね。それの世界大会ってのがありまして、やっぱり自費でブラジルまで行きまして。どうしても外国で試合がしたかったんですよね。

――思い込んだら止められない(笑)。

長谷川
 2004年の6月にスポーツ柔術の世界大会に出まして、そこで優勝したんですね。

──
すごいじゃないですか!

長谷川
 ただ本当に出場選手が少なくて。ブラジルに世界中から選手が来てるんですけど、みんな大きいんですね。80キロ90キロの選手ばっかりで。私が63キロ級でして、63キロ級が4人しかいなかったんですよ。打撃ありのスポーツ柔術と打撃なしのグラップリングの2部門ありまして、グラップリングのほうで2回勝って優勝しました。それで世界大会でも優勝しましたし、クラブDEEPも引き分け。これでプロに声がかかるかなと思ったんですけど、やっぱり声がかからないので……(笑)。

──
久保社長には優勝を報告はしたんですか?

長谷川
 しました。

──
なんて言われたんですか?

長谷川 「よくがんばったな」と。

──
それだけ!(笑)。

長谷川
 自分もなんかプロはあきらめていたので……。

──
あきらめないでくださいよ!(笑)。

長谷川
 それでDEEPに出たので今度はZSTに出たくなってしまったんです。

──
ZSTも慧舟會とはちょっと……。

長谷川
 疎遠だったんですけど、いま思うと勝手な行動なんですけど、ZST事務局に電話しまして。セミプロのジェネシスバウトに自分と同じくらいのレベルの他のジムの方が出てたので「どうやったら出れるんですか?」って聞いたんですね。それで事務局の方といろいろ話をしたら、ジェネシスバウトは一般には公募してなくて「履歴書を送っていただけたら考えます」と言われて。それで履歴書を送ったんですね。そうしたところZSTから慧舟會の方に連絡が行きまして。

──
「慧舟會の人間がどういうことなのか」と。まあ怪しまれますよ(笑)。

長谷川
 ZSTと慧舟會は関係はよくなかったんですけど、今回も久保社長は「まぁ、長谷川くんなので、いいですよ」と。

──
ハハハハハハハハハハ!

長谷川
 それがきっかけで慧舟會の村田卓実さんがZSTに出たり少し交流が生まれたんですよ。

──
すごいじゃないですか!

長谷川
 はい。いいことをしたと思います(笑)。私も2004年の9月にZSTのジェネシスバウトに出れたんですけど、バッティングのノーコンテストですぐに終わっちゃったんですね。

──
ZSTはそれっきりですか?

長谷川
 それっきりです。そのあともZSTから「出ませんか」と誘われたんですけど、DEEPとZSTに両方出ましてセミプロでもちょっと勝てなかったということで私の中で限界を感じてしまいまして。それでもうプロとかはいいかなと思いました。

──
あきらめちゃうんですね。

長谷川 あきらめも早かったですね(笑)。

──
久保代表はそこを見抜いていたんですかね(笑)。

長谷川
 それもあったと思います。チャンピオンになるとか一切考えてなく、記念に1試合だけ出たいという。記念でしたらセミプロでも一緒ですから満足してしまいましたね。

──
そこで満足しっちゃったんですか。

長谷川
 はい。やっぱり打撃がすごい怖くて。どうしても怖かったですね、いくら練習しても。試合の前日とかもドキドキしてしまいまして(笑)。やっぱりMMAは向いてないと思いました。寝技の練習は本当に何時間やっていても楽しいんですけど、週1回2時間通っていた打撃の練習が苦痛でして、練習も楽しくないんです。

──
久保社長と守山さんは見る目がある(笑)。

長谷川
 ホントです(笑)。それで本当に向いてないんだなと。それからは顔面は殴っちゃいけない安全なMMAには出れたんですけど、グラップリングと柔術を中心に試合に出るようになりました。

──『ねわざワールド』とも出会って。

長谷川
 はい。慧舟會の籍は残して『ねわざワールド』に通ってたんですけど、それがだいたい2005年頃ですね。タイガープレイスと『ねわざワールド』は平行してまして。2006年に和術慧舟會GODSが家の近所にできたんですね。今度はタイガープレイスに行かなくなっちゃって。そこからはGODSに2011年までいました。

──
『ねわざワールド品川』を作るきっかけはどういうことなんですか?

長谷川
 『ねわざワールド品川』は2011年に作ったんですけど、私は和術慧舟會という大きいコミュニティーの中にいまして、その中だと普通のアマチュア選手ですし、序列としては後ろのほうになるんですね。自分の実力に身分不相応なんですけど、小さいコミュニティーでもいいので一番上に立ちたいと思いまして。

──
そんな野心からですか!(笑)。

長谷川
 そうなんです(笑)。慧舟會ですと、たとえば独立しても和術慧舟會という看板すらもらえなそうだったんですね。

──
そんなことはないんじゃないですかね?(笑)。

長谷川
 当時慧舟會の広報に●●さんという女性がいたんですけど……。

──
●●さんのことは知ってますよ。

長谷川
 ●●さんに電話で「自分で体育館を借りてサークルをやりたいんですが」ってお願いしたんですけど、なんかあんまり話を聞いてくれないといういか、相手にしてくれなくて……。

──
うーむ、●●さんならありえるのかな。プロにもなれないし、独立もさせてくれない(笑)。

長谷川
 『ねわざワールド』だとお金を払えばフランチャイズですぐに暖簾分けしてくれますので「ぜひやってください」みたいな感じだったので。

──
なるほど。それで『ねわざワールド品川』(笑)。

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長谷川
 それと当時柔術がブームがきつつあったので、慧舟會だとどうしてもグラップリングですので。グラップリングのサークルをやるよりも柔術のサークルのほうが人が集まるなと思ったんですね。それで2011年の3月で慧舟會をやめまして『ねわざワールド品川』を8月に立ち上げました。

──
もしかしたら「和術慧舟會・品川」になってたかもしれないんですね。

長谷川
 そうですね、そういう可能性もあったんですけど、……。和術慧舟會ってやっぱり怖いイメージがありまして、ちょっと人が来ないかなってのは思ってましたね。

──
古巣になんてことを言うんですか!(笑)。

長谷川
 名前がなんか危ない団体っぽい……。

――まあ、たしかに和術慧舟會って意味がわからないですよね。大沢ケンジさんの和術慧舟會HEARTSとか、何も知らなかったら劇団っぽいですし(笑)。

長谷川
 『ねわざワールド』のほうが寝技やってるなと。あんまり怖そうな名前ではないですし。いま体育館とレンタルスペースなんですけど、最初は週1回だけ体育館を借りてやってました。

──
いまはどれくらい会員が集まってるんですか?

長谷川
 はい。いまは150人ほどいまして。

──
すごいですね!

長谷川 月謝が3200円と安く設定してますので。ちょっと敷居を低くして、どなたでも始められるように会費は安く設定しています。月に何回来ても3200円。平日はレンタルスペースでやってまして、土日が体育館でやってます。

──
なるほど。それは道場を開くよりもメリットはあるんですか?

長谷川
 やっぱり固定費がかからない、家賃がいらないですね。公共の体育館なので安いのですが、借りるときに抽選なんですよ。他の合気道とかの団体とかと被ってしまうので希望通りの日時が取れないっていうのがデメリットなんですが。平日はレンタルスペースで決まった時間でやっております。土日の体育館は抽選なので、お休みだったり朝だったり昼だったりと。

──
先生は長谷川さんお1人で?

長谷川
 いや、私以外にインストラクターが5人ほどいまして。みんなで回してやっております。

──
いつぐらいから軌道に乗り始めたんですか?

長谷川
 2013年のちょうど3年目ですね。そのときにちょうど奥村ユカさんというスマックガールにも出たMMAの選手がいるんですけど、奥村さんが入会してくれまして。奥村さんが1人目の女性会員だったんですね。それまで女性はいなくて男性だけで20人だけだったんですけど、女性が1人入ると、もう1人女性が入ってくれまして、どんどん女性が増えていくんですね。その奥村さんが、非常に明るくてかわいらしい方で、その方がいるとサークルの雰囲気が明るくなりまして。

──
部活やサークルでもよくある現象ですね!(笑)。

長谷川
 そうですね、1人明るいかわいらしい女性がいると女性も増えて男性も増えるという感じでどんどん増えていきまして。で、『ねわざワールド品川』はちょっと女性が多いということで少し話題になりまして。

──
そうか、女性が学べる格闘技道場ってなかなかないんですよね。AACCくらいで。

長谷川 ないです。たいてい男40人女性1人とかくらいですね。あとグラバカさんが多かったですね。

──
ソフト・オン・デマンドが経営していた女性専門ジムとか。

長谷川
 薮下めぐみさんがやられていたところですね。女性が増えると自然と男性も増えますので、いままで20人くらいだったのが一気に100人くらい増えまして。男性80人に女性20人くらいになりました。その後も徐々に増えたり減ったりしながら、いまは150人ですね。いまは会社員をやりながら副業としてやらせてもらってます。

──
それってやっぱり店舗を持ってないことが強みなんですかね?

長谷川
 そうですね、やっぱり固定費がかからないのと、やっぱりテナントを構えてしまうと、そのぶん月謝を上げないといけないので。月謝を6000円、7000円にしないと絶対無理ですね。このスタンスがよいかなとは思っております。

──
同じようなスタイルでやってるところってあるんですか?

長谷川
 練馬区の方に柔術サークルがありまして、そこも体育館を借りてやってたんですけど、7月から常設を持たれますね。

──
やっぱり常設に行っちゃうんですね。

長谷川
 はい。たいてい体育館からはじまって、みんな軌道に乗ると常設を持たれますね。

──
長谷川さんは常設ジムは目指さないんですね? 

長谷川
 一応ちょこっとは考えているんですけど、いまのところはうまくいってるので、このままでよいかなと思ってます。あとはお金が……。『ねわざワールド』は黒字ですので、ちゃんと貯めてれば常設道場とか持てたんですけど。

――何か使っちゃったりとか。

長谷川
 私はこうやってメディアに出るのが好きでして。一昨年はテレビ神奈川で毎週日曜日24時55分~25時00分に『柔術やろうぜ!』という番組を作ってしまいまして。全12回の5分間番組。自費制作です。けっこうなお金をかけて番組枠を買い取っちゃったんですよね。

──すごいことやりますね!

長谷川
 番組を作るきっかけがありまして。2018年の6月に地上波の人気番組が『ねわざワールド』の取材に来てくれたんですよ。地上波のゴールデンタイムで15分流れますと言われたんですけど、撮影に来ていただいた制作会社のほうでトラブルがありまして。撮影が3分で終わっちゃったんですね。で、結局15分流れる予定が1秒も流れなかったんです。その日の撮影に向けて1ヵ月前から私は制作会社の方と打ち合わせして、いろいろキャスティングしてたりしたんですけど、本当に1秒も流れなくてすごいがっかりしてしまいまして。撮影のためにみんなも会社を休んで来てくれたり、協力してくれた方もたくさんいたんですけど、それがすごい残念で。それまで興味なかったんですけど、それ以来どうしても地上波に映りたくなっちゃったんですね。

──
“長谷川スイッチ”が入りましたか(笑)。

長谷川
 絶対地上波に出ないと死ねないくらいの勢いになってしまいました。そこから半年間走り回って、2019年の1月にちょっとコネを見つけまして。テレビ神奈川さんでしたら自分で枠を買い取ってレギュラー番組を持てるという話だったんで。

──
ちなみにいくらですか?

長谷川
 5分間番組を3ヵ月1クールだと、枠が●●●万でして制作費が●●●万くらいですね。

──
トータルで550万円近く!

長谷川 額も額なので半年考えて、ちょうど湯浅麗歌子さんがTBSの『情熱大陸』で取り上げられまして、あの番組を見て地上波はやっぱり素晴らしいなと思いまして。自分も地上波に出たいなと思いまして、決めてしまいました。

──
長谷川さんも情熱大陸すぎますね(笑)。

長谷川
 普通の会員さんも出演できて喜んでましたし、私が好きで応援してる女子格闘家を全員出せたので。それも自己満足できました。

──
なるほど(笑)。自分のお金で夢を実現したんだから、それは誰も責められないですよね。

長谷川
 ありがとうございます。いいお金の使いたかをしたなと。ちょっと付き合いのあった所英男さん、高阪剛さん、ミノワマンさんにも出ていただいて。所さんとは昔アマチュアで試合をしたことがありまして。それから付き合いがありまして、すごいいい方なんですね。

──
いつぐらいに試合したんですか?

長谷川
 それが2000年の7月ですね。

──
所さんが世に出る前のことですね。

長谷川
 はい。アマチュアで所さんがはじめたばっかりの頃に正道会館さんにフリースタイル柔術という打撃ありの柔術がありまして、そこで試合をやりました。アマチュアMMAですね。私が負けたんですが、試合後に挨拶をしたらすごい好青年でして。そこから付き合いがはじまって。そんなにすごい親しいとかではないんですけど、細く長くお付き合いさせていただいてます。

──
あれから20年近く経って、自分の地上波番組で出ていただけるんだから感慨深いものがありますね。

長谷川
 はい。ものすごくうれしいですね。

──
“長谷川スイッチ”が動かしたというか(笑)。

長谷川
 自分で言うのもなんですけど、すごい行動力がありまして。ついこのあいだ『ねわざワールド品川』10周年記念興行を新木場1stリングをやったんですね。私は船木誠勝さんとグラップリングルールのエキシビジョンマッチをやらせていただいたんですが、最終的に全部で300万くらいかかってしまいまして。

──
ハハハハハハハ! その300万円は赤字ですか?

長谷川
 一応チケットは完売したのでマイナス150万円ですね(笑)。船木さん、ミノワマンさん、高阪さん、所さんを呼んだ時点でけっこうなファイトマネーがかかってしまいまして。あとはラウンドガールに範田紗々さんという私の好きな女優さんを呼んだり。あと大望さんという福岡にすごくきれいな柔術家がいるんですね、モデルもやってまして、前から付き合いもあって大好きなので福岡からラウンドガールを呼んでしまいまして。

──
ラウンドガールだけのために福岡から!

長谷川
 もうめちゃくちゃやっちゃいました。あとレフェリーも中井祐樹先生にお願いして。やるときは徹底してやっちゃうんですね。気がすまないといいますか。それで赤字150万円。

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──
それでこのDropkickも記事広告というかたちのインタビューで。

長谷川
 はい、本当にありがとうございます。

――最初に長谷川さんからお話があったときは、会員制のメルマガなのに何か悪い冗談だと思ったんですけど(笑)。

長谷川
 いやあ、どうしても載りたいと思ってしまいまして。

――スイッチが入ったら止まらない(笑)。ところで名刺の肩書にあるDEEPの選手育成ディレクターってどういうことなんですか?

長谷川
 これは主にJEWELSのアマチュアを担当していまして、やっぱり女子でMMAやってる方がすごく少ないので私がアマチュアの女子選手を見つけて。

──スカウトの役割を。それはどういうきっかけで?

長谷川
 私が女子格闘技がすごい好きでしてJEWELSの会場にずっと通ってたんですね。で、DEEP事務局の方と名刺交換したときにLINEで繋がりまして。事務局の方が誰にでも送ってたと思うんですけど、「怪我人が出てしまったのでプロ大会で誰か知ってる女子選手いませんか」という連絡がありまして。それで私が2回くらい代打の選手を見つけたんですね。事務局の方に言わせれば「すごいことだ」と。そこから「スタッフとして手伝いませんか」と誘われました。私が本当に女子格闘技が好きでして、すごい好きな女子選手が何人かいたんです。いまもいるんですけど、スタッフになってしまうと、えこひいきではないんですけど、あんまりよろしくないので、最初はお断りしたんです。やっぱりファンのまま応援したいということを伝えたんですけど、けっこう熱心に誘われましてやることに決めました。2年半前のことですね。アマチュアの対戦カードを組んだりですとか、選手と交渉して体重を決めるとか。

──
すごいじゃないですか!

長谷川
 いえいえ、とんでもございません。

──
女子ってなかなか選手がいないから大変ですよね。

長谷川
 いないですね。Facebookやツイッターをチェックして、友達や知り合いの道場の集合写真に女性が入っているとすぐ連絡しまして。「この方はプロ目指してますか?」「試合に出たりしますか?」と。

──
すごいエネルギー!(笑)。

長谷川
 「ちょっと興味あるみたいですよ」っていう返答をもらえると、「アマチュアのJEWELSがあるので出ませんか」と声かけて出てもらうっていう感じですね。

──
JEWELSってよく選手見つけてくるなと思ったら長谷川さんの力が大きいんですか。

長谷川
 いえいえ、そこまででもないんですけど。最近はやっぱりジョシカクもブームなので自分から「やりたい」と申し込んでくることもありますし。アマチュアパンクラスにも女子があったり、アマチュア修斗さんでも女子の試合が組まれたりしてますよね。

──
一時期よりも女子も増えてますよね。

長谷川
 増えてますね。5〜6年前に比べたらかなり増えたと思います。ただ、キックだけやってる方、柔術だけやってる方はいるんですけど、MMAになると一気に減りますね。

──
MMAってやることがたくさんありすぎますもんね。

長谷川
 練習相手もいなかったりしますからね。すごいハードルが高いです。柔術からですとまず打撃をやらないといけない。キックやってたりする人は今度は寝技が好きではなかったりするので、すごい難しいところですね。

──
時間かかりますもんね。女性の場合、結婚や出産なんかで活動が止まることもあったり。

長谷川
 そうですね。逆に結婚してお子さんがいるほうがわりと続いたりします。

──
しかし、長谷川さんの参考記事や資料を読んだかぎりでは、話がここまで広がるとは思わなかったんですけど(笑)。

長谷川
 他の媒体だと無駄だと思われたのか、バッサリ切られることが多いですね(笑)。お恥ずかしい話なんですけど、若いときから勉強もスポーツも苦手で自分に自信がなかったんですね。女性ともうまく喋れなくて、34歳まで女性と付き合ったことなかったんですよね。それが格闘技をやることによって、すごい自信がついて女性ともしゃべれるようになって結婚もできまして。やっぱり格闘技をやって強くなると自信がもてるなってのが私の体験としてあります。久保社長と守山さんに30歳の頃に言われたのが「長谷川くんの寝技の粘り強さは素人童貞ならではだね」と言われて(笑)。

──
どんな評論ですか(笑)。

長谷川
 だからそれも明るくコンプレックスではなく、いじってもらえたということで、コンプレックスを克服して、いまこうして自信を持てるようになったのですごいうれしいですね。

──
そういう成功体験があるから夢のためなら、お金があるなら全部つぎ込めるし、そこでブレーキを踏まなくなったってことですね。もしプロとしてやってたらまた違ったんでしょうね。

長谷川
 プロでは無理だと判断した久保社長と守山さんの見る目が正しかったという(笑)。本当に感謝してます。<おしまい>

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