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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回はノアを統括するサイバーファイト取締役の武田有弘氏をお迎えしてノアを語ります!


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──
武田さんは新日本プロレス出身で、リデット時代からノアの運営にタッチされています。本日は小佐野さんと「これまでのノアと、これからのノア」について語っていただきたいと思います。

武田
 小佐野さんはノアに関しては詳しいですよね。

小佐野 そうですね。選手たちのことは旗揚げ前から知っているわけだし。

──
武田さんと小佐野さんはいつぐらいに知り合ったんですか?

小佐野
 武田さんが全日本プロレスにいた頃かな? 

武田
 そうですね。ボクは95年に新日本さんに入社して、02年に武藤(敬司)さんたちと全日本さんに移って。

小佐野
 私は全日本の担当だったから、新日本方面の方とはそこまで接点が持てなかったんですよね。武田さんのことで覚えてるのは、武藤さんの取材をするために武田さんに電話したら「わかりました。じゃあ、この日はどうでしょう?」ってすぐに日時を挙げてくれた。変な話、それまでの全日本の人たちって取材対応はかなり遅かったんですよ(苦笑)。

武田
 なるほど(笑)。

小佐野
 「あっ、武田さんは頼んだら、すぐやってくれるんだ」って安心した印象がある。

武田
 そこはせっかちな性格なんで。でも、そんな普通のことで驚かれるなんて、すごい会社だったわけですよね、全日本プロレスさんは。

小佐野
 もう20年近く前のことですし、当時のプロレス団体ってそんな感じですよね。

武田
 結局ボクは1年くらいで全日本さんをやめたんじゃないかな。

小佐野
 武藤さんが全日本の社長になったときはいた?

武田 ……ときまでは、いたかなぁ。どうだろう。この業界の人って「自分は何年入社」とかいろいろ覚えているんですけど、そういう時系列の記憶がまったくなくて。

小佐野
 あの頃は業界もグシャグシャしてたから余計にね。あのとき新日本からは選手だけじゃなくて、武田さんとかフロントの人たちもゴッソリ抜けて全日本に来たでしょ。

武田
 新日本プロレスさんの試合ビデオを制作していたヴァリスの人間も移ったり。

小佐野
 それで武藤さんはレッグロックという会社も作ったりもしてて。

武田
 結局、全日本プロレスさんには全日本プロレスさんのやり方があるんで、武藤さん関連のグッズや芸能方面は別会社がやろうと。関係がややこしかったですね。

──
当時K-1やPRIDEのブレーンだった柳沢(忠之)さんのローデスジャパンもいろいろと関わってましたよね?

武田
 あー、そうです。柳沢さんは新日本時代からけっこう仕事をやらせてもらってて。その人脈でスカパーさんで放送したり。当時はいまと違ってネット配信なんかはなかったから、CS放送やスカパーのPPVをやるしかなくて。

小佐野 当時は地上波に頼らない団体運営が試されていた時代だったよね。

武田
 ものすごく大変でしたよね。ボクは新日本さんに戻っちゃいましたけど。

──
ノアはサイバーエージェント(以下CA)体制となりましたが、体制変更の混乱もなくスムーズにやられてるなっていうイメージがあります。

武田
 じつはCA体制に移る前が最大のピンチだったんですよね。リデット体制になってそれまで整っていなかった社内の体制はうまく整えることができて、支払いなんかは問題なくなっていて。あとは投資していただける会社さえつけば……という段階だったんです。だから、もしCAの話がうまくいかなかったら、ノアは消滅していたんじゃないかなって。その頃と比べると、スムーズに見えるのかもしれないです(笑)。

小佐野
 CA以前のリデット体制でいえば、19年11月の両国大会が勝負所だったんですよね。あのときデイリースポーツの月1連載の記事を書くときに、武田さんに話を聞いたら「とにかく結果を出さなきゃいけない」「時間がない」と繰り返していたことがすごく印象的で。

武田
 あの大会が11月で、そのあとくらいからですかね、CAとそういう交渉が始まったのは。正式に決まったのは、発表間近だったんですよ。

──武田さんの「とにかく結果を出さなきゃいけない」という発言は発破をかけるために言ってるんだと捉えてていて。まさか本当に危機的状況だとは思わなかったですね。

小佐野
 まあノアがここまで生き抜いてきたのは、奇跡に近いものがありますよ。

武田
 それこそボクが関わる前から奇跡の連続だったんじゃないですか。

小佐野
 ホントそうですよ。ノアは三沢(光晴)さんがご存命のときもヤバかったわけだから。日本テレビの地上波もなくなっちゃったし、選手のリストラが始まっていたし……。

武田
 リデット体制になるまで、親会社も何回か変わってますよね。そんな中、新日本プロレスさんから選手がやってきて。

小佐野
 鈴木軍で2年間なんとか回してね。

武田
 全日本さんもいろいろあったけど、ノアの激動のせいで目立たないところもあるじゃないですかね。

小佐野
 そうかもしれないね(笑)。

──
多くのプロレスファンはそこまでノアが深刻だとは捉えてなかったと思うんですね。大会はなんとかやってるから。

小佐野 体制は変わっていたけど社名は社名であって、団体名とはまた別だからね。

武田
 やっぱりノアという看板の名前が大きかったのかな。どんなにピンチに陥っても、なくならなかったですよね。ボクがノアに関わったのは2019年の3月からで、経営の財務はもうキツイなってのはわかっていましたけど。リデット体制になってから、財務面ではまともにはなったんですよ。

小佐野
 いまだから言えますけど、リデットの前はホントにダメでしたよ。パンフレットの制作代は踏み倒されましたし(苦笑)、遅配はあたりまえで。もう当時の代表に直に話をしないとお金が出てこないっていう状況だったから。ノアとは昔からの繋がりだから、仕事の依頼は断らなかったんですけど。

武田
 その頃と比べたらリデット体制はすごくよくなったんですけど、それでもピンチには変わりなくて。CAに提出する資料を作って、プレゼンもやって、結果を待ってるあいだはドキドキして精神的にキツかったですね。

小佐野
 武田さんがノアに関わるようになって、いろいろと新しいことを打ち出していきましたよね。

武田
 当時のノアは結局やれてないことが多くて。やるべきことをやれば、よくなることはわかってたんですけど。何かをやろうとすると、お金がかかるっていうのがプロレス団体なので、なかなか難しいところでしたよね。何かをやったからといって、いきなりお金がバーっと入るわけでもないし。

小佐野
 やっぱりお金がないと、やれることやれないし。

武田
 結局ノア、全日本プロレス、新日本プロレスの宿命ですけど、ちっちゃく成功すればいいっていうわけでもないじゃないですか。そこが難しいですよね。やっぱり常に大きく、メジャーっぽくやらなきゃいけない。

小佐野 思ったのは、武田さんは新日本の人間じゃないですか。ノアは全日本系。その選手たちと一緒にやっていくのは大変だったんじゃないですか。

武田
 ちょっと考え方が違うといえば違いますけど、そこまでめちゃくちゃな違いはないっていう安心感はありました。どちらかというと新日本さんが攻めだったら、ノアは守りのような文化はありますけど。いまはとりあえず「大きな成功しよう」と。その方法をちゃんと説明することで理解はしてもらっています。武藤さんが入団したりとか、ぶっ飛んだ攻めがあったりするじゃないですか(笑)。

小佐野
 驚きますよ(笑)。ノアらしからぬ攻めってことですね。

武田
 全日本系という意味では、やっぱり変化はあまり求めないところはあるのかな。なぜ変化させたかというと、変化を恐れているともう経営は成り立たなくて、選手を守れないから。変化することで批判されることは承知の上ですね。

小佐野
 やり方でいえば全日本や昔のノアっぽくはない。新日本っぽいんだけど、それがうまく刺激としてノアに入ってきてる。いまのノアがいいバランスだなと思ったのは、鈴木軍が来たときはノアのファンが引いちゃってたんですよ。

武田
 あー、そこまで見てないんですよね、あの当時のノアは。

小佐野
 結局、それまでのノアは長い試合を丁寧にやる文化だったのが鈴木軍がそれをぶっ壊して、鈴木軍ペースの試合になっちゃったことで、それまでのノアのファンが離れちゃったんです。

武田
 鈴木軍に太刀打ちできるくらいノア側が強ければよかったんでしょうけども。

小佐野
 まさに丸藤(正道)は当時を振り返って「あれはウチらのせいだ。結局全部向こうが持ってっちゃったから」と言っていて。結局、鈴木軍のほうがよっぽどノアのことを考えて戦っていたから。

──いまのノアの現場が変化を受け入れたのは、「さすがにもう変わらないとやっていけない」という空気を感じたからですか。

武田
 それも当然ありますし、一番大きかったのはお金がそんなにあるわけじゃないですけど、しっかりとした会社がついていれば、遅配とかお金に関する迷惑をかけなくてもいいことで信頼されるじゃないですか。小佐野さんがおっしゃった「ダメだった」ころは、会社から言われたことやっても、給料が出なかったり遅れたりしたら「ホントに任せていいの?」っていう不安な気持ちがあったと思うんですよ。

──
生々しい話ですが、お金や生活の安定をさせてくれる人じゃないと選手はついていかない。

武田
 そりゃそうですよ。来月給料が出るかどうかわからない中で「試合をしろ」と言っても集中できないですよ。いいパフォーマンスはできないですよね。

小佐野
 集中しないとケガもしやすいしね。

武田
 たとえば小佐野さんや周りの人にも迷惑をかけてることを選手が知っちゃうと……。いまはとりあえずちゃんと信頼関係があるので、これから団体が大きくなれば選手に還元できる体制にはなっているので。

──
それくらいノアは追い込まれていた時代があったっていうことなんですね。

小佐野
 これは武田さんが来る前なんだけど、芸能関係の仕事があるじゃないですか。そのお金を全部会社に持っていかれちゃったって選手から聞いたことあった。あとは未払いでどうしようもないから、業者さんにも毎回その場で現金払いという時代もあったみたいで。

──
プロレス団体ってそこまでいくともう終わりですけど、そこからよみがえるってそうそうないですね。

武田
 そこで終わりとしないのがプロレス経営者なのかなと(笑)。FMWやW★INGとか昔からそうかもしれないけど。

小佐野
 あと周りも多少被害を被っても「ノアは潰しちゃいかん」という意識がずっとあって。

武田 それもありますね。「ノアだから」って。

小佐野
 それは絶対あると思う。そりゃあ未払いに対しては「ふざけんな」ってなるかもしれないけど、「でもノアだしな……」っていう気持ちもあって。

──
90年代はメガネスーパーの失敗があったことで「企業プロレス」のイメージは最悪だったんですが、最近は逆に「企業プロレスじゃないとダメだ」という空気にもなってます。

武田
 新日本プロレスさんもユークスが親会社になって、そのあとブシロードであそこまで復活して。企業プロレスじゃないとダメだってことじゃないですけど、たとえば新日本プロレスって90年代中盤にドームツアーをやっていた頃は年商39億円かな。いまのブシロード体制は50億円。この50億円は当時はなかったデジタル売上も追加されているじゃないですか。デジタルに強い親会社がつけば、いままでやれてなかったことがやれたり、獲得できなかった人材を獲得できたりする部分では相性がいいというか。そういう意味では、親会社がつくっていうのは理にかなってるのかなと思います。ただ単にお金を出す親会社がついてるだけなのは、あんまり意味がないと思うんですけど。

小佐野
 結局SWSの場合は企業プロレスというかタニマチプロレスだったから。税金で取られるくらいなら、とか、ちょっとでも宣伝になればいいやくらいの姿勢だったよね。

武田
 それだとビジネス的にシンクロしてなかったのかなと。だからユークスさんやブシロードさんとか、今回のリデットやCAは、お互いにメリットのある団体と親会社のつき方なんじゃないですかね。ノアに関していえば東京ドームをやっていた全盛期は年商20億円くらいあったんです。アナログ売上だけで20億円。

──
2004年や2005年の頃ですね。

武田
 だからポテンシャルは全然あるんですよ。それに当時のノアが持ってなかったメディアがある。ABEMAもありレッスルユニバースもあり、そういう意味では本当にいいかたちはできていますよね。

小佐野 2005年頃って、業界の盟主が新日本からノアに移ったって言われたんだけど。そこからの転落が早かったんだよなあ……。

武田
 あのときのノアの東京ドームってYoutubeなんかでも映像が見れますけど、お客様がすごく入ってますよね。その当時のボクは新日本さんに戻ってたんですけど、新日本プロレスはドーム大会にお客様が入ってなかった。三沢さんと杉浦さんのタッグがドーム大会に出たときに、当時ノア所属だったKENTAさんが会場を見て「新日本のドーム、お客さん入ってねぇじゃん」って言ってましたもん(苦笑)。

小佐野
 あの当時の新日本はいつドームから撤退しても、おかしくなかったよねぇ。

武田
 逆にノアの東京ドームは本当に入ってたと思うんですよ。ただ、あの当時のノアって力を持ちすぎていろんな団体と助け合う、束ね合うというか、ちょっと変な方向を目指してしまったように見えたんですよ。

小佐野
 要は「対・新日本」みたいなね。

武田
 そうそう。あの頃の新日本さんはどこからも嫌われてる団体だったから(苦笑)。誰も相手にしてくれなくて、それが結果としてブルーオーシャン的な世界が作れたのかなと。

小佐野
 あのときノアが中心となってグローバル・レスリング連盟(GPWA)っていう組織も作りましたよね。

武田
 そうなるとノアの選手がいろんな団体に出て助けなきゃいけない。で、いろんなところから選手を借りる。そうなると、どのカードをやってもどこかで見た試合だし、そのうちネタは切れますよね。あれでノアが完全にレッドオーシャンになっちゃったのかなと。

小佐野
 交流の弊害ですね。

武田
 そこを新日本さんは独自でやろうと。誰からも嫌われてるから(苦笑)。

小佐野
 あんまり亡くなった人のことは言いたくないけど、当時のノアの現場を仕切っていた仲田龍氏が野望を持ちすぎちゃったんじゃないかな。あの当時「銀行が金を借りてくれとしょうがない」って言ってたもんね。そういうこともあって拡大路線に入ると、他団体の選手を呼ぶことになるし、お金がかかるようになっちゃって。

武田
 ボクがノアに入ってから社員面談をやって「なぜノアがダメになったか教えてくれ」って聞いたら、大多数の人は「東京ドームをやったこと」そして「東京ドームをやめたこと」で。新日本プロレスは東京ドームがガラガラなことが何度もあったのに、それでもやり続けたんですね。それは資本があったから、ユークスのお金があったからで。ノアは新日本プロレスみたい会社の後ろ盾がなかったから、ドームをやり続けることができなくなったんだと思うんですよ。

──
新日本とノアにはそこに違いがあったんじゃないかと。

武田
 なぜ「東京ドームをやめたこと」がよくなかったかというと、新日本さんにはいろんな資産があって。道場ももちろんそうだし、IWGPというタイトルやG1クライマックスという毎年恒例のシリーズ、そしてイッテンヨン東京ドーム。そういうフォーマットができてるから、人気が落ちてもそのフォーマットを軸に復活できるじゃないですか。そのフォーマット自体が資産なんです。ノアって引き継いだ段階で、東京ドーム大会もやめてしまったし、この時期にはこのシリーズを行うという毎年恒例のシリーズもなかったし、なんのパターンもフォーマットもなくなってたと思うんですよ。何か思いつきます? ノアで。

――そう言われると……たしかに。

小佐野
 変な話、最後に残ったのは「三沢光晴」っていう名前だけだから。それだけで、あとは何も残ってなかったね。

武田 「三沢さんだったら、どう考えるだろう?」という文化頼りになんとかやってきて。新たに来年1月1日に日本武道館をやろうとしたり、今後はいろんなパターンを作ろうと思ってます。<16000字対談はまだまだ続く>
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