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プロレスラーの壮絶な生き様を語るコラムが大好評! 元『週刊ゴング』編集長小佐野景浩の「プロレス歴史発見」――。今回は特別編! 小橋建太さんとのスペシャル対談です!!




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――
小橋さんと小佐野さんが初めて会ったときのことはおぼえてますか?

小橋 おぼえてますよ。

小佐野
 私も鮮明におぼえてますね。初めて小橋さんに会ったのは1987年6月20日。

――
日付までおぼえてるんですか(笑)。

小佐野
 なぜかというと、その日に小橋さんが入門したから。小橋さんが初めてしゃべったプロレスマスコミが私になるのかな。

小橋
 そうなりますね。入門した日に当時六本木にあった全日本プロレス事務所に行ったんですよ。そうしたら、もの凄い数のマスコミが集まっていたからビックリしちゃって。「なんで新人の入門者が来るのにこんなにマスコミがいるんだろう?」と。そうこうしてるうちに小佐野さんと日刊スポーツの記者の方に「ちょっとこっちへ……」と別の場所に連れて行かれたんですよ。

小佐野
 他のマスコミに気付かれる前にこっそり個室に連れて行ったんですよね(笑)。

小橋
 そこでいきなりインタビューが始まってたんですけど、どうも話が合わないんですよね。小佐野さんは「おかしいなあ……」という顔をしてて。なんのことはない、ボクと田上明を間違えたんですよ(笑)。

小佐野
 フフフフフフ。上半身裸にして写真も撮ったりしてたのにね(笑)。

小橋
 あの大勢のマスコミは玉麒麟(田上明の四股名)が入門するということで事務所で待ち構えていんですよね?

小佐野
 いや、というわけじゃなかったんですよ。あのときは全日本のシリーズオフで、何も話題がないからマスコミは事務所に集まって記事のネタを探してて。玉麒麟が入門してくることを知ってる記者は限られていたんだけど、こっちは相撲の知識がまるでないでしょ。身体の大きい小橋さんが入ってきたから「これが玉麒麟か!もう髷を切ってるんだ」と勘違いしちゃってね(笑)。

小橋
 丸坊主なんですけどね(笑)。

小佐野
 日刊スポーツの記者と顔を見合わせて「他のマスコミに気付かれる前に別の場所で取材するしかない」と。いざインタビューしてみるとプロフィールが全然違うわけですよ。

――
別人ですもんね(笑)。

小佐野
 インタビューを始めた以上はやめるわけにはいかないし、とりあえず写真も撮っておくかと(笑)。 

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小橋
 それから1週間ぐらいしたあとに、砧の全日本道場に小佐野さんがやってきたので「あのときの写真をください」とお願いしたら「なくなったからまた撮るね」とアッサリ言われて(笑)。

小佐野
 「記事にはできないんだよ」とも言ったのかな。その頃は玉麒麟クラスだとすぐに記事にはなるけど、一介の新人だとデビューする前にやめちゃうかもしれないから記事にはできなかったんですよ。

小橋
 でも、北ちゃん(北原光騎)と菊地(毅)さんの記事は載ったでしょ? 何かで読みましたよ。 

小佐野
 菊池くんはアマレスの全日本チャンピオンだったし、北原くんはスーパータイガージムのインストラクターだったから載せられたのかもしれないね。

小橋
 ボクは何もバックボーンがないから最初は書類審査で落とされましたからね。不合格通知が来たから、電話で広報の方に「なんでダメなんですか?」と聞いたら「キミには実績がない。会社は辞めたの?だったら別の会社を探しなさい」とガチャンと切られて(笑)。

小佐野
 その頃の身長・体重は?

小橋
 身長は186センチで体重は100キロです。北ちゃんや菊地さんのプロフィールを知っていたので「なんで彼らより身体の大きいボクが入れないんだろう?」と。

小佐野
 それだったら全然問題なく入門できるはずだよね。不運だったのは前の年に相撲出身のジョン・テンタと高木功(嵐)が入って、そしてこの87年にはアマレスの菊地くん、シューティングの北原くんが入って。そのあとに田上明が入ることが決まっていたから、全日本からすればもう新人はいらないということになってたんですよね。

小橋
 ボクが入門したときに何の実績もない新弟子がひとりいたんですよね。スカしましたけどね。

小佐野
 逃げちゃったわけね。なにせ全日本は新弟子が育たない。小川良成がデビューして以降、小橋さんたちの代まで3年ぐらいあいだが空いていたし。

――
そんな環境の中、小佐野さんは小橋さんがデビューできると思ってました?

小佐野
 できると思ってましたよ。まず田上明と間違えたということは、それだけ身体ができあがっていたということですからね。 普通の新弟子はあそこまで身体ができてない。

小橋
 入門したときは100キロぐらいあったんですけど、2週間で10キロぐらい減ちゃったんですけどね。トレーニングもキツイですけど、先輩・後輩の関係もキツかったです。

小佐野
 いろいろと雑用をやるわけだもんね。いまだったらパワハラだなんだって騒がれるようなことも当時は関係ないし。

小橋
 みんなそれでやめちゃうんですよ。大学のレスリング部のキャプテンとかも入ってきましたけど、みんなスカしましたから。

小佐野 全日本は本当に新人がデビューしなかった。新日本の場合はテストで一斉採用するから同期と切磋琢磨して頑張れるところがあるでしょ。全日本の場合はパラパラっと入門させるから、最後に入った人間が雑用なんかで大変な目にあっちゃうんですよね。小橋さんのあとにデビューしたのは折原昌夫?

小橋
 そうですね。新人はたくさん入ってきたんですけどね。

小佐野
 当時の『週刊プロレス』ってレスラーの格に関係なく若い選手をピックアップしていて、『週刊ゴング』はそれが許されない本だったんだけど。私としては小橋さんの人気が出てから扱うのがイヤだったわけ。この選手は『ゴング』と共に育った……というイメージが欲しかったから、小橋さん、菊池くん、北原くんは新人の頃から押さえておきたかったんですよね。

小橋
 それでもやっぱり田上明でしょ?(笑)。

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小佐野
 ハハハハハ。デビュー1年目の小橋さんが自分の誕生日にアジアタッグに挑戦することが決まったときに、『ゴング』でスタジオ撮影したじゃないですか。

小橋
 ああ、そんな取材ありましたっけ。

小佐野
 当時の編集長の舟木(昭太郎)さんに怒られたんですよ。「新人をこんな扱いをするんじゃない」と。あの頃の小橋さんはシングルで1勝もしてなかった時期だから。

小橋
 してないですね。ずっと勝てなかったですね。

小佐野
 それはどちらかというと、上のほうの選手と当てられていたこともあったからなんだけどね。

小橋
 外国人選手ともやってましたし。あの頃の全日本は変革期というか、「新人は海外修行に行かせない」という方針に変わって。ボクが馬場さんに「海外に行かせてください」と何度もお願いしても頑として「ダメだ」と。

小佐野
 馬場さんは「海外に学ぶものはもうない」という考えになってたからね。当時の全日本の変わりようにビックリしたのは、小橋さんがデビューした直後の試合でベテランの大熊元司さんにブレーンバスターをやってたこと。だって昔の新人はドロップキックにボディスラム、腕を取ることくらいしか許されてなかったら。当時でもアーダコーダうるさい先輩はいたと思うけど。

小橋
 いろいろと言われることもありましたよ。

小佐野
 ミサイルキックなんかやったら「若手がコーナーポストに上がるんじゃない!」とかね。

小橋
 ヒザにサポーターをつけただけで言われましたから。「そんなものをつけてるんじゃねえよ。顔じゃねえよ」と。だからケガをしてるヒザだけサポーターをつけるという不格好なことをやってましたね(笑)。

小佐野
 当時はサポーターをつけないのがあたりまえだみたいな雰囲気だったよね。馬場さんはちゃんとできるのなら、大技を使っていいよというスタンスだったはずだけど。

小橋
 他の先輩にはけっこう言われましたね。言われても、使ってしまえば、こっちのもんみたいな感じでしたけど(笑)。

小佐野
 あとは先輩が使わない技、使えない技をやればいいと。

小橋
 馬場さんは「使っていい」と言ってましたからね。 馬場さんは「アメリカから学ぶものはもうない。俺が教える」と。海外修行に行かせられないぶん、そうやって「どんどん使え」と言ってくださったんじゃないですかね。だって海外だと好き勝手できるじゃないですか。

小佐野
 海外に出ちゃえば、誰にも文句を言われないもんね。小橋さんは馬場さんに好かれて付き人になったわけじゃないけど、周りからそうは思われなかったところはありましたよね。要は「小橋健太だけ特別扱いされてるんじゃないか」と。

小橋
 いやいや、ボクはデビューするまで馬場さんに口を利いてもらえなかったですけどね、付き人なのに。 人間無視されることがどれだけつらいことか……。

小佐野
 一日中、ずっと身の回りの世話をしてるのに。

小橋
 無視してくるのが同級生だったら「じゃあ、いいよ」ってなるけど、相手は馬場さんですよ。会社のトップですよ。いつ追い返されるのか本当に怖かったです。 周りからは、すんなり行ったように思われるかもしれませんが、人生はなかなか……。

小佐野
 他のレスラーからすれば、馬場さんにかわいがられて、チャンスをもらって「あの野郎!」って目で見ていただろうし、当然試合になればキツイ当たりをしてくる選手もいたんじゃないのかなあと思うんだけど。

小橋
 でも、エリートとして入ってきてチャンスを取り逃したり、チャンスを掴みに行ってない選手もいましたからね。ボクはチャンスをもらったときに必死で掴みに行きました。そこの違いだけですよ。
小佐野 よく小橋さんが言っていたのは「自分はバックボーンがないから、もしチャンスを逃したら次はない」という危機感があったと。

小橋
 その危機感はありました。必死でしたよ。 

小佐野
 だってはじめは田上明のドロップキックの練習台だったわけだもんね。田上明は馬場さんからドロップキックを教わって、その実験台が小橋さんで。

小橋
 そんなのばっかですよ。ボクは練習のときに馬場さんの前で田上さんのことを投げたことは一度もないです。投げられてばっかりで。ボディスラムやバックドロップ、ブレーンバスター、ビッグブーツの練習台ですよ。<14000字対談はまだまだ続く……>
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