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この記事はダチョウ倶楽部・上島竜兵とプロレスを語ったDropkickニコ生配信を編集したものです(語り:ジャン斉藤) 画像は紙のプロレスRADICAL NO.63より
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・『紙のプロレス』は鬼畜系だったのか〜小山田圭吾と原稿チェック問題〜■松澤チョロ
・『至高の三冠王者 三沢光晴』を書いた理由■小佐野景浩の「プロレス歴史発見」
・追悼“レイザー・ラモン”スコット・ホール■斎藤文彦INTERVIEWS
・【こじらせU系】高田延彦という最強の空洞■小説家・樋口毅宏
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんがお亡くなりになりました。上島さんの芸能界での活躍は、世代によって見え方が違ってくると思うんですけど、プロレス方面でも非常に重要な存在だったことを振り返りたいと思います。
ダチョウ倶楽部は3人ともプロレス格闘技大好きで、上島さんもかなりのプロレスマニアでした。ボクは『紙のプロレス』編集者時代に一度取材したことがあるというか、吉田豪さんが聞き手で、その企画の編集担当だったんです。上島さんたちは当時の『紙プロ』が触れられてこなかった全日本・ノア系のレスラーたちと親交が深かったことで、知られざる全日本ネタに触れられたことが新鮮だった記憶があります。
このエピソードは上島さんが亡くなったことを受けて一般メディアがあらためて取り上げていますが、志村けんさんとダチョウ倶楽部を繋いだのは、双方と交流のあった川田利明でした。その時期については馬場・全日本プロレス時代、三沢光晴全日本社長時代、全日本・ノア分裂後と諸説あるんですが、紙プロの記事によれば三沢時代の日本武道館大会後のことでした。<会員ページへ続く>
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1990〜91年頃に千葉テレビでダチョウ倶楽部と神奈月の番組があり、毎週稲毛のショッピングセンターにリングを組んで公開収録してたのを思い出しました。1回観に行ったら客は10人くらいしか居なかったけどめちゃめちゃ面白かったです(笑)
当然上島さんは涙のカリスマ、当時名が売れはじめた頃の神奈月さんは長州力、肥後さんは鶴田だったかな?寺門さんは何をやっていたか全然覚えてない(笑)ご冥福をお祈りします。
多少興味深い話もあったけど短いし課金するほどではなかった。