東京オリンピックを騒がせた小山田圭吾とイジメ告白記事! その問題を巡って原稿チェックのあり方が議論になっているが、原稿チェックといえば、やっぱり『紙のプロレス』に掲載された菊田早苗インタビューだろうということで、編集担当だった松澤チョロさんに話を伺いました。無駄話が多すぎて18000字!(聞き手/ジャン斉藤)
【1記事¥110から購入できるバックナンバー】
「魔法の煽りVをつくる男」 RIZIN演出統括・佐藤大輔17000字インタビュー
アポロ菅原 SWS鈴木みのる戦シュートマッチ全真相1万字インタビュー
プロレスラー、SNS、リアリティショー……この3つを背負うのは重すぎる■菊地成孔
元・東スポ記者が作ったFMWの裏側、果たせなかった三沢光晴との約束■寿浦恵一
――小山田圭吾と東京オリンピックの件で原稿チェックのあり方が話題になってましたけど。原稿チェックといえば、松澤さんが担当して『紙のプロレス』に掲載され物議を醸した菊田早苗インタビューだろうなと。
――簡単に説明すると、プロレスは真剣勝負ではなくファンを裏切ってるということで、菊田さんが「天コジはろくな死に方しない」と発言したことが大きな波紋を巻き起こしたんですが、後日になって菊田さんは実際には言っていないと。小山田さんと同じく編集側に勝手にやられたという主張をしてますね。
松澤 そう、最初はそうだった。小山田さんのイジメ告白記事が載った『クイック・ジャパン』の件でいえば、自分たちの先輩の吉田(豪)さんは当時の空気感に詳しいんで的確なこと言ってると思うんだけど。
松澤 それでも吉田さんに「おまえが言うな」みたいに突っ込む人がいるのは、吉田さんがそういうことをやっていた側の『紙プロ』の人間だったからで、 『紙プロ』も鬼畜系雑誌の部類に入るだろうと。
――そのときボクはまだ『紙プロ』に入ってなかったんですけど、『紙プロ』と一口に言っても、小さい判型の頃の『紙のプロレス』時代はミニコミ誌的で、判型の大きくなった『紙のプロレスRADICAL』時代は業界に片足を踏み入れて、そしてより業界紙となり名称を変えた『Kamipro』時代と分かれるじゃないですか。歴代編集長は山口日昇さんとボクなんですけど、責任の所在が明らかになっていない時期もあって。
松澤 知ってる人は知ってるだろうけど、会長は編集長だった時期も、ほとんど現場にいなかったからね。
――そのへんの話を吉田さんの『書評の星座』単行本発刊記念で配信された『紙プロ』 同窓会でいろいろと話したいと思ってたんですよ。でも、松澤さんが泥酔しちゃって、あちこちに絡み始めて。
松澤 あー、その件に関しては本当に申し訳ございませんと言うしかないです。久々にみんな集まったから嬉しくて飲み過ぎてよくない方向に暴走してしまったというか。いろいろご迷惑をおかけしました!
――面白かったからいいですけど!
松澤 途中から記憶なくて、最後の挨拶でハッと意識が戻ったんだけど、吉田さん見たら明らかに不機嫌そうな顔してたんで、マジで生きた心地がしなかった。ジャン斉藤の話に期待してたDropkickファンにも申し訳ないというか。……あれ、今日はなんの話なんだっけ?
松澤 でもたしかに『紙プロ』というだけで、こっちは関係ないのに責任を背負わされることはちょくちょくあったよなあ。『Rintama』ってあったでしょ。当時流行ってた『リングの魂』の雑誌版みたいな。俺は時期的に『Rintama』にはまったく関わってないんだけど。
――ボクも『Rintama』には一切関わってないんですけど。ゆでたまご先生の自伝でもその件が触れらていて、その自伝の版元の人間から「原稿をなくすなんて、本当にどうしようもない」みたいに言われたことがあって「こっちは無関係なのに!」って憤慨した記憶がありますね。
松澤 なくしたのは、当時関わってた、のものもなのか、中村カタブツ君なのかはいまだにわからないけど。
――のものも姉さんで思い出しましたけど、『紙プロ』同窓会で松澤さんが「ジャン斉藤のような性格の悪い男が再婚できたなんて信じられない」という話を繰り返して「みんなが知ってる人と結婚した」みたいな話をしたから、コメント欄で、のものも姉さんと結婚したことになってて。会ったことすらないんですけど。
松澤 え、そんなこと言ってたんだ!? 我ながら酷い。のものもさんと言えばアレク(サンダー大塚)と離婚してるからそう思った人もいるのか。のものもとは会ったことすらない?
松澤 俺のせいで悪いイメージが……。まあ会長はそこまで管理する人ではなかったから、吉田さんがスーパーバイザーとしてみんなの原稿をチェックしていたというか。これは「面白くないからやり直し」みたいにワンクッションはあったよね。
――吉田さんはRADICAL時代はもうフリーでしたけど、編集部に席があって。「書評の星座」とロングインタビューの仕事が3万円の家賃代わりだったみたいですね。
松澤 他にも座談会に出たりとか、それ以上仕事をしてもらってましたね。
松澤 なんなら見せたくなかったときもあった(苦笑)。
――松澤さんはあからさまに吉田さんに見られるの嫌がってましたよ(笑)。締め切りとっくに過ぎてて時間がないのに、いまさら書き直せるわけがないみたいな。
松澤 そうそう。「え、この段階で直さなきゃいけないの?」って。でも、吉田さんもほぼ無償でスーパーバイズしてくれてるし、その指摘に間違いはないし、内容的に指摘されてもしょうがないところはあるから。ただ、吉田さんもすべての原稿を見てるわけじゃないし、そこをくぐり抜けて問題が起きた原稿もあるんだけど。 小山田さんの件みたいに確信犯的なものはなかったんじゃないかなと思う。 ただ、「絶対にありませんでした!」と強く言える立場でもないかもしれない(笑)。
――確信犯ではないけど、振り返ればお叱りを受ける原稿はたくさんあったという。
松澤 まあ、それこそ『紙プロ』は編集者弄りはけっこうしてたから。読者の評判が悪かったら「これはやめた方がいいかな」って幸田珍みたいにフェードアウトさせるとかよくあったし。
――幸田珍って、もう誰も知らないですよ! ボクも会ったことないですし。
松澤 俺は菊田さんの原稿の前に、『紙プロ』に入って早々に原稿チェックでやらかしてるからね。初インタビューで二瓶組の女子マネージャーを取材したんだけど、プライベートな話を赤裸々になんでも喋ってくれて。 「こんな話は『週プロ』や『週刊ゴング』では聞けない!!」って興奮して、最悪削られたらアルファベットにしようとか自分なりに考えて。まずはそのまんまの原稿を二瓶組長に見せたらすごく怒られて。「こんなものを出したら業界の先輩に迷惑だろうが!」と。
――それは二瓶組長が正しいですね(笑)。
松澤 それで「編集長を出せ!」ってことで電話越しで山口日昇vs二瓶組長が勃発したという。会長は会長で「二瓶組長って誰だよ!?」っていうスタンスだから、お互いに引けなくて……まあ悪いのは俺なんだけど(笑)。
――実際にアウトな原稿はありましたよね。山口さんが座談会で当時の『週プロ』佐藤編集長のプライベートに触れたことがあって。山口さん、吉田さん、堀江(ガンツ)さんが出席者で全員の原稿チェックではスルー。新人時代のボクが担当だったんですけど、そのまま載せたら大問題になって。堀江さんに連れられて『週プロ』編集部まで謝りに行ったんですけど、佐藤さんからめちゃくちゃ睨まれて。
松澤 それ、めっちゃ面白いじゃん。菓子折り事件的な(笑)。
――紙面で謝罪文も出したんですけど、悪ふざけされないように事前にチェックされた記憶も。
松澤 ああ、前に何かの謝罪文を出したときにメチャクチャ相手をバカにしたからかなあ。
――それはボクが入社した早々、本当にくだらない理由でケンカになりかけたんですよ。クビにならなかったのは人手不足だったからで、山口さん関係のインタビュー原稿や座談会はボクがずっと担当だったんですけど。
松澤 会長はしょっちゅう行方不明になるから原稿チェックできなかったこともあったりヒヤヒヤしたんじゃないの。
――なんだかんだチェックはするんですよ。とくに座談会は吉田さんが危険な手直しをしてくるから。当時の山口さんは榊原(信行)さんのブレーンだったからPRIDE方面を刺激したくない。でも、当時の吉田さんはギラギラしてるからPRIDEを刺激したくなるようなことを言いたいという。当時の2人の原稿チェックのやり取りは緊張感ありましたよ……。
松澤 担当じゃなくてホントよかった。当時『紙プロ』がPRIDE寄りになりつつあったから、吉田さんのスイッチが余計に入ってたときで。
松澤 あったなぁ。吉田さんの原稿はすごい緊張するよね。 吉田さんの原稿だから自分たちは当然変えられないんだけど、会長的には手は入れてほしいってのはあるだろうし。吉田さんが言ってたけど、上品なサブカルと下品なサブカルでいえば、どちらかというと『紙プロ』は下品寄りで。当時で言ったら『クイック・ジャパン』というよりは『スーパー写真塾』的な。
――そのたとえ、『スーパー写真塾』の説明から必要ですよ(笑)。
松澤 俺は『クイック・ジャパン』の熱心な読者でもなかったし、どちらかっていえば『紙プロ』にいて、いま新日本プロレスにいるマッシー(真下義之)なんか完全にそっち側じゃない?
松澤 結果的に下品寄りな雑誌で働いてたけど、マッシーは世界の村上隆の弟子だからね。
――話題になってる当時の『クイック・ジャパン』編集者の村上さんより遥かに知名度は上ですからね(笑)。
松澤 マッシーはいま新日本でそれなりのポジションにいるみたいだから、もしかしたら今回の騒動がなければ新日本のドーム大会とかで小山田圭吾をブッキングしてる可能性もあったかもしれない(笑)。
――どんな世界線ですか(笑)。堀江ガンツさんはサブカルではないですよね。
松澤 そうね。スモーノブさんは本人的にはサブカルじゃないって言うかもだけど、外から見たらサブカルになるかもしれない。自分も 『紙プロ』のサブカル感を作ったのはスモーノブさんだと思うし。実際サブカルっぽいライターを誌面に引っ張ってくるのはスモーノブさんが多くて、俺はお下がりじゃないけど、そういう方々を担当させていただいて。
――椎名基樹さん、せきしろさん、杉作J太郎さんとか。
松澤 あと掟ポルシェさんとかも。読者時代から『紙プロ』のコラムは面白くて。あの頃は『テレビブロス』のコラム陣も好きだったけど、『紙プロ』のほうが全然好きで。 俺が思うサブカルな人が集まってたのも『紙プロ』の魅力だった。で、会長は糸井重里、椎名誠方面じゃないですか。
―― 小さい判型の『紙プロ』は糸井重里カラーでしたね。
松澤 で、その中でも花くまゆうさく先生のマンガやコラムが大好きで。花くま先生の影響をモロに受けて、当時知る人ぞ知る的な存在で、あまりメディアには取り上げられてなかった菊田早苗や郷野聡寛を取材をしてみようと。
――「花くま先生の影響」をわかりやすく解説すると、もともとプロレスファンだったけど、実力主義の格闘技的な見地からプロレス幻想を見極めていくっていうことですね。
松澤 『紙プロ』は一応プロレス雑誌だけど、『週刊プロレス』や『週刊ゴング』ではやらないようなプロレス企画をやれるのがカッコいいみたいに思って。単純だけど(笑)。
―― それで原稿チェックの話題になると必ず例の一つとして挙がるのは、その菊田インタビューですよね。
松澤 いまさら、どっちが悪いかとか言いたくないし……菊田さんはYouTubeなんかで「紙プロにやられた」みたいなこと言ってるんだよなぁ。だからってこっちは菊田さんのことを貶めてやろうというつもりで取材したわけじゃないし、むしろ応援したい気持ちで取り上げたんで、そこはぶっちゃけ悲しい気持ちもあって。ただ本人からすれば、ああいう批判を受けたら、いろいろと言いたくなる気持ちはわからないでもない。
――あのインタビューで菊田早苗幻想が高まったし、内容もかなり面白かったんですけどね。
松澤 実際「面白かった」という声もたくさんあったし。ただ菊田さんは「天コジはろくな死に方しない」発言でいろんな方面から批判されたのは間違いないだろうし、実際PRIDE出たときのブーイングも凄かったし、そこはホントに申し訳ないというか。
――当時のネットっていまみたいな炎上はしないですし、『紙プロ』もそんなに部数も出てないのに、相当反響があったってことですよね。
――それまで菊田さんから抗議はなかったんですか?
松澤 「チョロさん、これは酷いですよ」みたいな連絡も特になかったし。だから『ゴング格闘技』を読んでビックリしたし動揺もしたよ。 あれからだいぶ時間も経ってるから何が正しいのかってのは確認しようがないんだけど「あれ、俺が一方的に悪いんだっけ?」みたいな。この件に関する菊田さんの主張もいろいろと変わってるわけで。
――2~3時間って相当ですよ(笑)。
松澤 で、菊田さんは読んでみて怖気づいたんだろうね。「ちょっとこれは言い過ぎじゃないかなぁ」と。
――まあ、武藤vsオタービオは、なんちゃって総合格闘技の最たる酷い試合でしたからねぇ。
松澤 それで「武藤・蝶野はろくな死に方はしない」と言ったんだけど。当時のプロレス界の象徴的な存在に噛みつくのは問題ないんじゃないのかなって、駆け出し編集者なりに思って。
――いや、「ろくな死に方はしない」は問題ありますよ!(笑)。
松澤 菊田さんも原稿チェックの段階で「これはちょっと……」と渋った。その頃は表になってないけど菊田さんは新日本の練習生だった過去があって、さすがに先輩にそんなことは言えないと。でも、 俺は『紙プロ』の編集者になったばかりで『紙プロ』っぽいことをやらなきゃいけないって思いが強くて。
――いわゆる“爪痕”を残したいってやつですね。
松澤 うん。そこで「天コジだったら、ファンがあまりよく思ってないからいいじゃないですかね」と提案して。花くま先生的な文脈で弄りやすいというか。
松澤 菊田さんも「彼らは知らない仲じゃないから、わかってくれるんじゃないか」ってことで。まあ、こっちからすれば『紙プロ』だったらアリなんじゃねみたいなノリだよね。 ホントに酷い言葉なんだけど。
松澤 当時は「あれ、じつは武藤や蝶野に対して言ってました」と明かすわけにもいかないし。
―― 「新日本プロレスやプロレスラーは本当に強いのか」っていう風潮が加速させたと思うんですよ。だから「ろくな死に方」って言葉自体は、極端なことをいえばどうでもよくて、インタビュー自体が尖ってましたから。いま読み直すと「ろくな死に方」以上にヤバイことを菊田さんは言ってます(笑)。
松澤 久々に読み返してみたら、ほかにもヤバい発言あるよね。まあでも「八百長は絶対に許さない」という佐藤ルミナ的な立場から「よくぞ言ってくれた!」っていう声も菊田さんのところには届いたと思うんだけど、いわゆる当時の天コジ好きなファンからすれば「ふざけんなよ」と。そういう声に菊田さんは耐えられなかったのかなと。
――怒っていたのは天コジファンじゃなくて、U系ファンだったと思うんですよね。「プロレスラーは本当は強くあってほしいとは思ってるし、当時のプロレスに不満はあるけど、格闘技側から偉そうにつべこべ言われたくない」という。菊田さんも皮をめくると、じつはプロレス側だったんですが……
――酷い話だし、菊田vsアレクは歴史に残る泥試合になって誰も得することなかったわけですけど(笑)。あの試合直後、松澤さんは菊田さんと新横浜駅でバッタリ会ったんですよね。<18000字インタビューはまだまだ続く>
この続きと、秋山成勲ヌルヌルの裏側、斎藤vsクレベル消滅、井上直樹…などの9月更新記事が600円(税込み)でまとめて読める「14万字・記事16本の詰め合わせセット」はコチラ
https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar2053667
この記事の続きだけをお読みになりたい方は下をクリック! 1記事110円から購入できます!
コメント
コメントを書く第1回紙プロ同窓会で出てきた「天山・小島はロクな死に方しない」が本当は「武藤・蝶野はロクな死に方しない」だった話がついに出てきた!
チョロさんも不備あるけど、菊田せんしゅが罪深いような。
昔の紙プロ話最高です。吉田豪さんは責任感あるタイプなんだなと、意外に感じました。佐々木健介の考察も納得。いづれ健介のこと深く掘り下げて欲しいです。
懐かしいうえにすっっっげえ面白い。
当時のプヲタのファッションチェックという悪意しかない企画とか面白かったなぁ。キャプションとかひどいものでした。
健介さんに関しては基本的にジャパンプロレスの教育が悪かったと思うんですよ。同期の馳選手はエリートで特別待遇、雑用は全部健介さんですもん。「練習生ってのはこういうもんなんだ」と教育されてるんだからそりゃ自分が教える立場になったらそうなりますよね。
斉藤さんもチョロさんもカミプロ末期は未払いで働いてたんですか?
紙プロの人たちは、活字プロレスの成功者ターザン山本さんに憧れて入ったけど、ターザン山本さんまでの才能がないため表面だけを真似して、失敗したイメージが、僕の中にあります。
ターザン山本チルドレンで一番成功したのは吉田豪さんですかね。その次がジャン斎藤さん。
村上清=クリス・ベノワ説!
面白い人同士が語るとこんなにも面白い