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noteにバックナンバー引っ越し中!メルマガにも再掲載します(この記事は2014年6月に掲載されたものです。)

80年代末からのプロレス格闘技界を席巻した「喧嘩芸骨法」。80年代末期に骨法に入会した漫画家・中川カ〜ル氏は会員番号229番と黎明期を知る数少ない人物。ひとつの町道場が熱狂と共に業界のスターダムに駆け上がっていく瞬間を間近で目撃していた……(聞き手/ジャン斉藤)



【1記事から購入できるバックナンバー】

・ヤノタク、堀辺正史を語る「骨法は俺の青春でした……」【愛と悲しみの17000字インタビュー】



――
中川さんはブレイクする前の初期骨法に在籍されていたいたそうですね。

中川 ブレイクしかけた頃の骨法になりますね。入会したきっかけは、『週刊少年サンデー』で竜崎遼児先生が『闘翔ボーイ』というプロレス漫画を連載してまして。俺は竜崎先生のアシスタントをやってたんですね。

――
あ! 『闘翔ボーイ』といえば……。

中川
 そうなんですよ(笑)。その漫画の中に骨法が出てくるんですけど、そこで取り上げたことで骨法がブレイクしたところもあるんですよね。これ、『闘翔ボーイ』の単行本なんですけど、表紙に写ってるのは廣戸(聡一)さんですね。

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――廣戸さんは初期骨法の重要人物でその後はパンクラスに関わって、いまではJOCやプロ野球をはじめスポーツ方面で活躍される超有名トレーナーですね。廣戸さんの経歴には骨法の二文字は触れられてなくて。

中川
 もう廣戸さんは骨法のことは語らないでしょうけど、廣戸さんなくして骨法ってなかったと思うんですよね。で、俺はそれまで格闘技は何もやってなくて。でも、プロレス自体は好きでよく観てたし、アシスタントをやる前にプロレスのマスク屋さんで働いてたんです。そこの会社は覆面レスラーのマスクとか、前田日明のレガースも作っていたりして。

――
凄い経歴ですね(笑)。

中川
 そのマスク屋にはプロレスラーになる前のスペル・デルフィンがあとから入社してきたり。そこで働いているときに『サンデー』でアシスタント募集があって、もともと漫画家志望だったんで応募したら合格したんです。それで竜崎先生が『闘翔ボーイ』に骨法を出すことになって。ウチの先生はちゃんと取材する人なので、当時「骨法武術館」と呼ばれていた東中野の道場に行ったんですよ。

――
中川さんは骨法の知識はあったんですか?

中川
 『週プロ』で堀辺先生とカブキさんが一緒に載ってる広告を見たりしてて「うさんくさいなあ」とは思ってて。だからべつに取材しなくてもいいんじゃないのかって思ってたんですよね(笑)。で、これは骨法の会員証なんですけど。

――あ、そんな貴重なものが。

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中川
 本当は退会時に返さないといけないんですけど。途中でなくして再発行してもらったんですが、紛失したやつが手元に残ってたんですね。これを見ると入会したのは昭和62年になりますね。

――
入会したのが昭和62年。いうことは1987年ですね。そして会員番号229ですか!(笑)。

中川
 矢野(卓見)さんが1000番代と言ってましたからね。たかだが3年くらいのあいだにそんなに人が増えたり減ったりしたという。

――
実際に取材をしてみた骨法の印象はどんなものでしたか。


・17歳の船木誠勝
・武藤敬司「かっこいい技だけ教えてよ」
・堀辺先生は強かった
・骨法の基本は金的狙い
・ペチペチ掌底は骨法ではない
・骨法が宗教化していったのは…
・船木誠勝にシュート指令が出たが…続きはこのあとへ