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全日本キック、K-1MAX、Krushとゼロゼロ年代の立ち技シーンの最前線で戦い続けてきた佐藤嘉洋ロングインタビュー。「日本人最後の大物」と呼ばれたキックボクサーが味わった“テレビ格闘技”の現実とは――!? (2015年に掲載された記事です)

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佐藤選手って「地味」と言われがちですけど、試合で手数は多いし、リング外のニュースも多かったりするしで、そこまで地味だとは思わないんですよね。

佐藤 それは谷川(貞治)さんのせいじゃないですかね。2005年に初めてK-1MAXに出たとき、解説の谷川さんから「佐藤選手は地味なんですよね~」と言われ続けたので(苦笑)。

――谷川さんが悪いと(笑)。

佐藤 人間って一番最初のイメージの刷り込みが覆させられないと言われますよね。まあ21歳の頃からイタリアでも「いぶし銀」と言われてたんですけど(笑)。

――「地味」と「いぶし銀」のあいだには深い溝がありますけど(笑)。

佐藤 よく「華がない」と言いますけど、「じゃあ華ってなんだ?」って話ではありますね。自分の場合、日焼けしてヒゲを生やしたら「オーラが出た!」とか言われたりしましたからね。「オーラってそんなもんで出るんだ!?」って(笑)。石井館長からは「日焼けをしなさい」と言われていたんですけど。

――そんな館長アドバイスがあったんですね。たしかに長州力のサイパン合宿は見栄えを良くするための日焼け目的だったりしますね。

佐藤 いちおうハダカの職業なので見栄えを良くするのはわかるんですけど。でも、みんながみんな黒いのはどうなのかなって(笑)。

――魔裟斗さんの登場以降、日焼けして短髪で下の名前だけをリングネームにする立ち技の選手が増えましたね。

佐藤 なんかの会見のときに魔裟斗さんとコヒさん(小比類巻貴之)がいて2人とも黒いじゃないですか。それまで肌が白かったボクも黒くしたからオセロでひっくり返ったみたいになりましたね(笑)。

――佐藤選手はキックボクシングを徹底してやったあとにK-1に参戦して“興行と競技”の波に揉まれたイメージが強いですね。

佐藤 そうですね。魔裟斗さんとコヒさんは別格として、ほかの選手は世界と戦う前にK-1に上がったじゃないですか。ボクの場合は世界で戦ったあとにK-1に行ったから珍しいパターンではありますね。「日本最後の大物」というキャッチフレーズでK-1に参戦しましたけど、そういった評価は嬉しかったですよ。

――佐藤選手がキックボクサーになったのはどういうきっかけなんですか?

佐藤 ボク、プロレスが好きだったんですよ。小学生の頃、テレビで金曜日に全日本、土曜日に新日本、日曜日にWWEがやってて毎週見てたんですけど。そこでプロレスの知識が止まってるんですよね。蝶野(正洋)がエゴイスト集団になったときくらいまでですかね。

――というと、90年代中期くらいですね。

佐藤 それとボクシングが好きで勇利アルバチャコフのファンだったんです。小学生の頃、勇利と同じ髪型にしてたくらいですから(笑)。

――ハハハハハハ!

佐藤 ただの角刈りですけどね(笑)。で、中学2年のときにキックボクシングを始めてから、プロレスは見なくなって。

――キックはどういう理由で始めたんですか?

佐藤 畑中清詞が名古屋でボクシングジムを出すということで友達と一緒に通う話をしてたんですけど。ジムができる前にそいつと殴り合いのケンカをしちゃってボコボコにされたんですよね(笑)。で、「コイツと一緒のことをやっとったら強くなれない」と思って、キックボクシングジムの名古屋JKファクトリーに入ったんです。「奴がボクシングで手だけなら、こっちは足も使うキックだ!」という感じで。

――なるほど。とくにキックに憧れたわけじゃなかったんですね(笑)。

佐藤 全然違います(笑)。ジムも家の近所にあったし、たまたまの巡り合せなんですよね。そこでプロの選手が指導していることも知らなかったですし。行ってみたら小森会長の人柄や、先輩たちの凄さを知ってキックにハマっていった感じで。「こんな世界があるのか!?」と。

――学校が終わったら毎日通う感じですか?

佐藤 いや、中学の頃はあんまり真面目には通ってなくて週1~2回ですね(苦笑)。キックをやってるとカッコつけたかっただけで、そこまで「強くなりたい」とは鬼気迫ってなかったんです。だんだんハマっていった感じですね。で、高2でグローブ空手の全国大会で優勝したんです。

――あら。センスあったんですね。

佐藤 そうなんですよ!(笑)。その大会はオープンなんで大人も参加してたんですよ。そんな中で優勝したから『格闘技通信』に「おそるべき16歳」という記事が載りましたから。嬉しかったですよね。学校中で話題になりましたし、翌年も優勝して連覇して。

――エリートじゃないですか!

佐藤 だから地味地味と言われてますけど、じつはスーパールーキーなんですよ。鮮烈な記録も作ってるんです。この記事でボクのイメージを払拭してくださいよ(笑)。

――ハハハハハハ。

佐藤 強くなれたのはもちろん小森会長の指導のおかげでもありますし、佐藤孝也さんや鈴木秀明さんといった偉大な先輩がいたからで。先輩たちをとにかく必死に追いかけていけばいいんだなって。

――高校当時は将来はどう考えてました?

佐藤 もう最初からキック一本で行くと決めてましたね。

――デビュー当初からキックで食べていくと。

佐藤 18~19歳のときに団体内で問題が起きて、ジムの会長、選手全員で話し合いをしたことがあったんですよ。ウチの会長から「いまの現状ならキックだけで生活していくことはできない。暮らしていくことを考えたら別の道に行ったほうがいい」と言われたんですね。ボクはキックで暮らしていくつもりだったから「食べていける可能性はゼロパーセントなんですか?」って聞いたら「ゼロではない」と。だったらキック一本でやっていこうと。

――そこは自信もあったんでしょうね。

佐藤 なんとなく自信はあったんですよね。周りの同期たちはその会議に関しては後ろ向きで「これからどうしよう……?」という感じでしたけど。

――MMAもそうなんですけど、キックボクシングも基本的に何かで働きながら……という選手が多いわけですよね。

佐藤 そうですね。いまでもキックだけで暮らしてるのは10人もいないんじゃないですかね。だから当時はすべてを利用してやろうと思いました。


・スポンサーはなくてはならない
・ヨーロッパを戦い抜く
・全日本キックを裏切ってしまった
・K-1MAXが人生を変えた
・魔裟斗戦判定騒動
・テレビ格闘技の現実……続きはこのあとへ


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