『そこそこ週刊・畠山理仁』
Vol.165
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『そこそこ週刊・畠山理仁』
追悼・独立系無頼候補・金子博さん/御恩返しの立候補
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●「東京を天国にしたい」。病院を飛び出して都知事選に立候補。
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また一人、私の敬愛する独立系無頼候補が亡くなってしまった。
2014年2月9日執行の東京都知事選挙に立候補された金子博さんが、今年5月8日にお亡くなりになったとご親族から連絡をいただいたのだ。享年85歳。
金子さんは東京都知事選挙告示3日前の昨年1月20日まで、地元・福島県白河市内の病院に入院していた。2013年11月に発覚した肺がんは、当時、ステージ4。すでに全身に転移していたため手術もできず、抗癌剤治療を受けていた。
「今の自分があるのはみなさんのおかげ。残りの人生はみなさんのために使いたい。ご恩返しをしたい。東京を天国にしたい」
金子博さんが半ば強引に病院を飛び出して都知事選に立候補したのは、そんな強い思いがあったからだ。
金子さんのガンは股関節まで侵食していた。全身にガンが転移している様子を写した写真も見せてくれた。本当であれば立つことすら厳しかったはずだ。しかし、金子さんは選挙戦最終日まで街宣車に乗り、街頭で有権者への訴えを続けた。そして投票日の2月9日には再び福島県白河市に戻り、2月14日から再び入院。その後は入退院を繰り返して療養生活を続けていた。
金子博さんは生前、福島県内でホテルや岩盤浴の施設を経営されていた実業家だった。都知事選では雪の降る中、新橋SL広場前で声を枯らしながら、
「私は中国、韓国、北朝鮮、台湾とのパイプになりたい。北京、ソウル、平壌、台北の市長に自ら会いに行き、知事のトップ外交で友好都市にする」
と訴えていた。
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