Vol.166
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          『そこそこ週刊・畠山理仁』

        ハイパーメディア無職リターンズ(2)

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●人生の恥を書き捨て
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 思えば今年は初めからツイていなかった。厄年がようやく終わったと思ったら、まだあと一年も「後厄」が続くことに気がついた。それが正月早々のことだ。
 その後、知り合いが立て続けに亡くなった。年長者も年少者もいた。みな尊敬できる人たちだ。去年のうちに亡くなっていたことを、今年になってから知ることもあった。毎回ショックを受けていたら体が持たないが、やはり落ち込む。お世話になった人たちが自分より先に亡くなってしまったのだから当然だ。
 そうこうしているうちに仕事の発注依頼と自分の仕事のタイミングがうまく合わず、泣く泣く断らざるを得ない状況も続いた。すべてが悪い方、悪い方に回っているように思えた。あまりの間の悪さに自分としては笑うしかなかったが、なかなか周囲から笑いは取れない。救いようのない泥沼にどんどんハマっていっている気持ちが募った。そんな中、お米を車内の床にぶちまけて、情けない気持ちで一粒残らず拾い集めたのが前回までの話だ。