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映画『犬ヶ島』が描く美しい主従関係(ネタバレなし)(2,026字)
ウェス・アンダーソン監督の新作映画『犬ヶ島』のことを知ってから、ずっとそのことを考えてきた。
それは、以前このメルマガにも書いた。
また、それ以降も『犬ヶ島』のことを考え続け、ついにはフィギュア付きの前売りチケットまで買ってしまったくらいだ。
そんなふうに、ぼくの中では『犬ヶ島』のことがどんどん大きくなっていったのだが、ついに2018年5月25日、公開初日にぼくは『犬ヶ島』を見たのだった。
見たのは金曜日だ。初日だからもう少し入っているかと思ったけれど、だいた七割くらいしか埋まっていなかった。つまり、あまり入っていなかった。これではヒットしないかもしれない。
しかし、この映画はヒットしてもらいたい。なぜかというと、これがヒットするとウェス・アンダーソン監督の素晴らしい映画を再び見られる可能性が高まるからだ。
ぼくは、アンダーソン監督の映画をもっと見たい。だから、この『犬ヶ島』にはヒットしてほしい。これをお読みのみなさんにもぜひ見にいっていただきたいし、できれば親しい方をお誘いしても見にいってほしい。
そう勧めるのは、この映画がやはり期待に違わぬ素晴らしいものだったからだ。ぼくはこの映画を見ながら涙を流した。それは、内容に対してもそうだけれど、それ以前に、これだけ素晴らしい映画を作れるということに、純粋に感動したからだ。これは映画を見ることの中でも最上位の感動ではないだろうか。ドラマ『ブレイキング・バッド』を見たときもそう感じたけれど、この『犬ヶ島』でもずっとその感動を味わいながら見ていた。
『犬ヶ島』の何が素晴らしいか?
多くの人は、その美術的センスがまずパッと目につくだろうし、そこは分かりやすい魅力ではある。しかしながら、逆にいえばそれが目立ってしまって、それ以外が目立たなくなっている嫌いはある。美術の素晴らしさばかりで、その裏にあるテーマの奥深さにはなかなか思い至らない人が多いのではないだろうか。
そう考えると、至極もったいない。なので、もしこれから見られる方には、そこのところにも注目してもらいたい。
では、その美術以外の魅力とは何か?
それは、一言で言えば「批判精神」である。しかもとびきりユニークな批判だ。
何を批判しているかというと「ポリコレ」である。この映画は、「ポリコレによって失ってしまっているものがあるのでは?」と問いかけている。
現代において、ポリコレというのは最強の棍棒といえよう。ポリコレ棒でポカポカ叩けば、それに抵抗できる人は少ないはずだ。
しかしながら、このポリコレ棒はあまりにも強すぎるために、かえって世の中を悪くしてしまっている部分もある。例えば、ある映画では、制作者自らがポリコレ棒で作品をさんざんなめしたおかげで、映画にとって最も肝心な「面白さ」が損なわれてしまっていた。その作品はミステリーなのだが、「最も犯人ぽくない人物が犯人」という常套手段をそのまま疑いもなくなぞってしまい、ストーリー的には完全な駄作となった。
これは、逆にいえば「多様性の排除」でもある。ポリコレ棒でポカポカ殴ると、逆に「ポリコレ的に正しい」という価値観一色に染まってしまうので、多様性はどんどん失われていくのだ。そして、「ポリコレ」という価値観一色に染まっていく。上記の映画は、まさにそんな作品だった。
『犬ヶ島』は、そういうあり方に対して洒脱にノーを唱えている。いや、しかしそれはある意味「正面切って」といえるかもしれない。
どういうことかというと、この映画には犬と人間が出てくるのだが、犬と人間との間には完全なる「主従関係」がある。人間が主で、犬が従者だ。そして、その関係は覆されない。最後まで貫き通される。
また、それは周到に明示される。そのため、「人間も犬も平等だ」と考えている人には、強い抵抗があるだろう。たとえば、犬を「うちの子は」と呼ぶ人にとっては、むしろ毛嫌いするような内容かもしれない。
しかし、この映画はそうした批判が来るだろうことを重々承知の上で、それでもなおそのことを問いかけている。「主従であるがゆえの、かけがえのない『関係』というものもあるはずだ。もっというと、それは美しいし、価値があるのではないだろうか?」
美しい主従関係というのは、もちろんどちらがどちらかを一方的に簒奪するというのではない。どちらも与え合い、助け合う。
そして世の中には、そういう関係でしか乗り越えていけない問題もあるのではないか。だとすると、もし全ての関係が平等になってしまったら、我々は今後、そうした問題を乗り越えていけなくなる。
タイミングの悪いことに、今の日本においては誤った主従関係、つまり日大の事件が世間を騒がしている。しかし逆にいえば、それがあったからこそこの映画が問いかける「正しい主従関係がどれほど価値があるのか」ということについて、あらためて考えるいいきっかけになるのではないだろうか。