それで、「なんでそうなのか?」と考えてみたら、はたと気づいた。それは「サービス」なのだ。客へのアピールなのである。客に「一生懸命やっています」という姿勢をアピールし、彼らに「この店員はおれのために走っている」という満足感を味わわせるためにやっているのだ。
おそらく、多くの人に「執事を所有することへの憧れ」があるだろう。執事にあれこれと指図をしている自分を夢見る。夢までは見なくとも、自分のためにあれこれしてくれる人がいるといいな、と
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コメント
コメントを書くこの競争相手や執事は、AIなどの疑似的なものでも良いのでしょうか?
>>1
いえ、これは心の問題なので、やはり人間である方がベターです。ですが、スマートスピーカーで孤独が癒やされる人もいるくらいですから、何か想像力で保管される競争相手でもいいかもしれません。
返信いただきありがとうございます。なるほど、どちらの気持ちもわかるような気がします。極端なことを言うと「ウェストワールド」のような世界もちょっとよぎりました。
ところで、もう一つお聞きしたいのですが、狩猟採集時代の人間は、競争や人を踏みつけにする行動を既にとっていたのでしょうか?
立て続けに質問してすみません。別の機会でももちろん構いませんので、もしよろしければ教えて下さい。
>>3
とっていました。縄文人が平和だったというのは現代人に流布した願望のようなもので、実際は小競り合いをくり返していたと思われます。
そうだったのですね。そうするとスポーツというのはよくできた仕組みだという気がしてきました。
たくさん教えていただき、ありがとうございました。