ハックルベリーに会いに行く
適度な痛い目こそ最も必要である(1,829字)
人生は掛け替えのないものだが、どうしようもなく損なわれていく。際限なく失われていく。諸行無常である。さよならだけが人生だ。
そういう性質を持った「人生」というものに向き合うとき、哀惜を基調にするのはいいことだ。そう言うとほとんどの人が「岩崎さんはネガティブな考え方をする」と返してくるが、これはポジティブとかネガティブとかいうせせこましい次元の話ではない。この世の本質である。失われゆくものに哀惜の眼差しを向け、喪失の予感に儚さを感じることこそ、周り巡って人生の本質なのである。これは、古今の達人がそろって辿り着いている共通の境地だ。従って、もはや疑いようのない既定事実といえよう。
面白いことに、多くの人がこの既定事実に気づけない。知らないまま死んでいく人も多いだろう。
いや、どんな人でも死の直前にはそういう境地に到達するという考え方もある。その意味で、この世は平等だ。しかし、死の直前にならない
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