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守屋くんがすすめてくれた『ドカベン』を、ぼくは読み始めた。
この日のことは、よく覚えている。どう覚えているかというと、「何も覚えていない」ということを、強烈に覚えているのである。
気がつくと、夕方になっていた。もう帰らなければならない時間だ。
いつの間に、これだけの時間が経過したのか?
ぼくは、そのことの不思議さに呆然としながらも、一方で、その場をまだ離れがたく思った。その耽溺の時間から、抜け出すのに強烈な抵抗を覚えたからだ。
それから連日(数日間)、ぼくは守屋くんの家に通い詰めた。そして、守屋くんの家にある『ドカベン』を、全部読み通した。
ただし、全部といってもほんの数冊である。おそらく3冊ほどではなかったか。
3冊読むのにも、ぼくは数日かかった。その頃は子供だったし、しかもマンガを読むのは初めてだったので、それだけの時間がかかったのだ。
その間、守屋くんは何も言わなかった。嫌な顔一つせ
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コメント
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自分は子供の頃にはこういう瞬間ってないな。覚えてない。大人になってからはあるけど。なぜかその時に自分がいた場所の空気感までよく覚えている
岩崎夏海(著者)
>>1
空気感は記憶に焼きつきますね。記憶はふとしたときに蘇ることもあるから不思議です。