ハックルベリーに会いに行く
マンガの80年代から90年代までを概観する:その42(1,693字)
赤塚不二夫は、23歳になる年の1958年、秋田書店の「漫画王」という雑誌に『ナマちゃん』を掲載する。これが好評だったためそのまま連載になり、彼の「ギャグマンガデビュー作」となった。
その後、それまで描いていた少女マンガと並行しながら、ギャグマンガをぽつぽつと発表していく。そこで、更なる転機となったのは1962年(27歳になる年)に2話完結の読み切りとして描いた『スーダラおじさん』という作品だ。
内容は、どこかうだつの上がらないおじさんが、教育ママの妻と、それに甘やかされて育った息子に疎まれながらも、なんとか楽しく生きていこうとする話である。そういう構造の中でところどころギャグが展開するのだが、途中からジャズのように変奏し、ナンセンスなドタバタへと昇華する。最後は、主人公のお父さんが、クレイジー・キャッツの『スーダラ節』を他の大勢のうだつの上がらないおじさんたちと合唱して、自分たちを慰めると
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