ハックルベリーに会いに行く
トヨタ生産方式について考える:その16(1,736字)
1970年代まで、子供たちは放っておかれた。それは数が多かったからだ。大人たちは、とてもではないが子供の面倒を見切れなかった。しかし、それが良かった。数が多いからこそ放っておかれた子供たちは、そこで自由を謳歌し、能力を育んだ。
しかし、80年代に入った頃から次第に大人たちの数が増え、また子供の数が減りだした。おかげで、大人が子供にかまうようになった。逆に言えば、子供は大人から干渉を受けるようになった。それだけではなく、監視されるようにもなった。そうして自由が次々に奪われ、それに伴って能力を育む機会を逸してしまったのだ。
その傾向が、なんと40年経った今も継続している。この40年の間に、干渉の度合いは深まるばかりだ。監視の目は増えるばかりである。
そのため、今こそ子供たちには逃げ場所が必要である。大人たちから干渉されない、自由な空間が必要だ。
だから、本当は学校をそういう空間にすべきなのだ。
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コメント
コメントを書くこの記事と全然関係ないんだけど、教文館が出してる『タルムード入門III』ってのを読んだのね。そうしたら次のような一文があった。「古代の諸民族が彼らの黄金時代をぼんやりとかすんだ遠い過去に置くのに対してユダヤ民族はそれを未来に置いた。」なるほど、昔はそもそも未来に向かって生きるということをしていない人たちもいたんだなぁ、と思った。それだけ。それ以来ずっとこのことについて考えている。