ハックルベリーに会いに行く
トヨタ生産方式について考える:その28(2,039字)
今回は、豊田織機の創業者である豊田佐吉と、その息子でトヨタ自動車の創業者である豊田章一郎について考えたい。
豊田佐吉は、1967年(慶応3年)の生まれで、ぎりぎり江戸時代人である。静岡で育ち、父は大工と農業をしていた。
佐吉の生家は、お金持ちではなかったが、子だくさんでも養子や奉公に出したりはしなかったので、貧乏でもなかった。この頃、大工は尊敬される仕事だったので、比較的裕福な方ではあったのだろう。
佐吉が物心ついたときにはもう明治だったので、当時できて間もない小学校に通った。卒業すると、父について大工見習いとして働き始めた。
しかし18歳の頃になると、発明家を志すようになる。というのも、ちょうど西洋文明が田舎にも届き始めた頃合いで、それに触発されたのだ。社会が工業化するようになっており、そこで自分も何かしたいと考えたのである。
その頃、工業は「家内制手工業」がほとんどで、紡績や織物作りも
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