ハックルベリーに会いに行く
令和日本経済の行方:その12(1,947字)
今でこそ「限界」集落となっているが、もともとは「活性」集落だった僻地の村というものは、昭和の中頃までは日本国中いたるところにあった。
なぜそうした村落が形成され、多くの人が暮らしていたかといえば、理由は簡単で「食べ物が豊富だった」からだ。狩猟採集に適していて、しかも水が使いたいほうだいなのだ。
だから、生きていくには便利だった。それで、まだインフラが整備されていなかった昭和の中頃までは、人が住む場所として大きな選択肢のうちの一つだった。
もともと人間は、生きていくために「広い自然」を必要としていた。「広い自然」があると、そこから食料を得られ、生きることができたからだ。
しかしその生活は、天変地異に弱く、常に不安がつきまとった。そのため人は、やがて安心を求めて農業を始めるようになった。そうして、それに伴って「都市」も発展させていった。
そんなふうに、農村と都市とはその最初期から「セット」であ
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