永田鉄山の作った勉強会(軍閥)である「二葉会」は、主に「陸軍人事」についての研究をしていた。陸軍人事の仕組みを解明して、どうすれば山県有朋の権力を希釈化できるか、またどうすれば自分たちの権勢を強めていけるのか、綿密に戦略が練られたのだ。

一方、鈴木貞一が作った勉強会「木曜会」は、石原莞爾が参加していた。後に永田鉄山や東條英機も参加するのだが、そこでは「満蒙」の問題が研究された。

「満蒙」とは何か?
それは日露戦争後に日本の領有となった満州と内蒙古のことだ。これらの領土をどうするか、というのが当時の若手将校――特に陸軍にとってはホットな話題だったのである。

なぜかというと、1920年代の後半となると、ソ連も建国から10年が経過し、国家の基盤が整いつつあった。そうして、まだロシアだったときに失った満蒙の土地を、取り返そうと虎視眈々と狙い始めた。

同時に、中国でも清国が1912年に崩壊し、新しく