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最近ではネトウヨが隆盛を誇っていて、一方ではそれを懸念するリベラルな人もいて、侃々諤々の議論が喧しい。そんな中で、ヘイトスピーチがエスカレートしたり、あるいはネットのいじめのようなものも横行して、「世も末だ」とお嘆きの諸兄も多いことだろう。
しかしながら、ぼくはこうした状況をそれほど悲観してはいない。というのは、こうした状況は、この日本という国にあってはそれこそ「常態」であって、こんなふうに「世も末だ」と嘆かれる中で、いつだって生き残ってきたからだ。
日本という国の歴史を見れば見るほど、この国の住民のある種の図々しさが見えてくる。
しかしながら、ぼくはこうした状況をそれほど悲観してはいない。というのは、こうした状況は、この日本という国にあってはそれこそ「常態」であって、こんなふうに「世も末だ」と嘆かれる中で、いつだって生き残ってきたからだ。
日本という国の歴史を見れば見るほど、この国の住民のある種の図々しさが見えてくる。
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確かに、物心がついた時から、「世も末だ」とずっと言われている感があります。
日本人が裏切りやすいのは、山本七平が考察していた「空気」と「水を差す」ってのもかなり関連している気がします。
私もそう思います。
フィクションですが、「多崎つくる」も「エヴァQ」も主人公が所属していたグループから何の説明もなく突然裏切られられるところから物語が始まりますしね。
日本で最も有名な小説家も映画監督もハックルさんも現代を同じように観察されているのですね。
岩崎夏海(著者)
>>1
「世も末だ」と言っていると、ちょっといいことがあった時に嬉しい、という効果もあるのでしょうね。
岩崎夏海(著者)
>>2
それは面白い考察ですね。
裏切りは日本人の真性の奥深くにいつでも宿っているものですが、今またそれがクローズアップされる、つまり裏切り者が現れることの、それは予兆かもしれないですね。