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満州事変の直前まで、張学良は中国軍と手を結んで、満州鉄道の隣に新たな鉄道を建設し、これの実質無効化を計画していた。
これが一つのきっかけとなって、日本軍はとうとう陰謀に打って出る。指揮をしたのは板垣征四郎で、作戦を立案したのは石原莞爾であった。
ただこのとき、板垣と石原は、いかに蜜月の中であろうと、「満州の未来をどうするか」という事変の基本コンセプトについて、とことんまですり合わせたわけではなかった。それは、なにしろ作戦が成功するかも分からなかったから、そこまで先のことを話すのは「取らぬ狸の皮算用」で、あまりよろしくないというのがあったのだろう。
しかし、ここでコンセプトを明確にすり合わせておかなかったことが、後々満州事変の「失敗」を招くことにもなる。コンセプトが不明確だったため、後から来た他の勢力に「コンセプトの乗っ取り」を許すのだ。
そうして石原には、それを跳ね返すだけの膂力、また求心
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