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岡山の後楽園は、実によくできている。
まず「物語」がある。昔は戦争のために作られたお堀が、平和になって必要なくなった。そこで放水路を新たに作って水量を減らし、湿地を使える場所にした。
その大規模干拓工事の際に、ついでに庭を造ろうということになった。それは、干拓工事の記念でもあるが、同時に江戸時代の新しい戦い――すなわち「武」ではなく「美」の戦い――に舵を切るということでもあった。
また、庭造りは池田綱政の趣味でもあった。そこで遊ぶのが最大の目的だが、同時に接待の道具にもなった。訪問客に、自分の権力や審美眼、デザインセンスを誇示する芸術作品だ。
そんなふうに、後楽園の来歴にはいくつもの目的があった。それらが折り重なることによって、魅力的な物語を紡いでいるのだ。
その池田綱政には、良きパートナーがいた。ここまで見てきたように、西洋のすぐれた庭も、たいていが趣味人の貴族が優秀な庭師との共同作業で
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