ハックルベリーに会いに行く
1994:その10(1,721字)
2024年の今年、株高になったが「庶民にはその実感がない」ということが話題となった。これと同じで、1994年当時、バブルはすでに崩壊していたが、庶民はまだそれを実感していなかった。
それを実感――いや「痛感」するのは、1998年になってからだ。長銀や山一証券が破綻して、給料の目減り――というより「増えなさ」が顕著になっていく。ハンバーガーや牛丼の値段が際限なく下がりはじめ、本格的なデフレ社会へと突入していくのがこの辺りだ。
そのため、1994年はまだまだ世の中は明るかった。バブルはとっくの昔に弾けていたが、庶民にその実感はゼロだった。
おかげで、むしろバブルの延長戦ともいえるような文化が最後の一花を咲かせていた。1995年には阪神淡路大震災とオウム真理教事件によってその花も枯れてしまうので、燃え尽きる直前の線香花火のように、束の間パッと明るくなったのが1994年だった。
話を80年代に戻す
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