
石原莞爾と東條英機:その89(1,679字)
東條英機が陸軍大臣になるのが1940年7月のことである。石原莞爾がクビになるのが1941年3月なので、およそ9ヶ月、3/4年をかけてじっくりと追い出したことになる。逆にいうと、この間に東條の権力がみるみるうちに拡大したのだ。
このことは以前にも述べた。東條の前任の陸相が畑俊六で、これは人格者で海軍出身の首相、米内光政とも相性が良かった。天皇の信任も篤かったが、それで逆に陸軍の中枢から「軍縮になびくのではないか」と警戒され、下ろされてしまった。
この頃、ドイツがすでにヨーロッパで戦争を始めており、ものすごい勢いで領土を拡大しつつあった。1940年当時は、このままドイツがフランスはもちろんイギリスをも倒してしまうのではないかと思われた。
イギリスが捲土重来を期してチャーチルを首相にするのが1940年5月である。あの有名な「ネバー・サレンダー」の演説や、ダンケルクの撤退が行われたのもこの時
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