東條英機は、久留米に飛ばされていたとき、師である永田鉄山が皇道派との派閥争いに勝ち、真崎甚三郎を更迭したことによって、中央に戻れることが決まった。元々東條は、真崎と対立したことで久留米に飛ばされていたのだ。しかし飛ばされた久留米でも勤勉実直に職務をこなし、じっと耐えていた。それで再びチャンスが巡ってきたのだ。

ところが、中央に戻れる直前になって、永田鉄山が殺されてしまった。それで陸軍内は騒然となった。統制派と皇道派の対立がより深まったからだ。両者は一触即発となった。
そうして東條の周囲も急に剣呑になった。このまま中央に戻ったのでは、永田のように斬殺される危険性もあった。

そこで、同じく永田の子飼いでまだ中央に残っていた武藤章が、気を利かせて満州への転属を決めた。中央から遠く離れた満州なら、統制派もさすがに東條を殺さないだろうと考えたのである。

そんなふうに、この頃の陸軍の派閥争いは、