そもそもなぜ社会には「仕事」という概念があり、それが今もなくならないのか?
知らない人も多いかと思うので、今回はそのことについて書いてみたい。
「人はなぜ働くのか?」という問いに答えられない人は多い。
なぜなら、「仕事」はもう何千年も存続してきたものなので、在ることが当たり前となってしまい、今さら疑問に思う人が少ないからだ。
しかし、「仕事」というのはそれほど古い概念というわけでもない。例えば、「空気」や「人間」といった概念よりはずっと新しい。
「空気」や「人間」という存在は、人間より以前からあった。だから、それがなぜ存在するのか、その理由を答えることはなかなかに難しい。
しかし、「仕事」というのはそれよりもずっと後にできた概念だ。少なくとも「人間」よりは後にできた。
だから、「なぜ仕事が存在するのか?」という質問に答えることは、「なぜ空気が存在するのか?」や「なぜ人間が存在するのか?」といった質問に答えるのよりは、ずっと簡単なのである。
「仕事」というのは、確かに古くからある概念だ。しかしそれは、人間が作ったものだろう。もちろん、自然発生的にできたという側面もあるだろうが、いずれにしろ、人間の都合で生まれたものであることは間違いない。
つまり、この世に仕事が存在するのは、人間の側に何か理由があってのことなのだ。「空気」や「人間」と違って、その理由を「人間」そのものの中に求めることができるのである。
そもそも「仕事」という存在は、「人間にとって絶対に必要」ともいえないものだ。仕事がなくとも、人間というものは成立する。実際、仕事をせずに生きている人もいる。
それでも、多くの人が仕事を必要としている。そうしてこれまで、それは何千年もなくならなかった。その意味で、人間にとって仕事は、絶対に必要というわけではないが、しかしとても需要の高い存在といえるのだ。
そんなふうに、仕事を取り巻く状況を概観することで、その「存在理由」がおぼろげながら見えてくる。そういうふうに外堀を埋めることで、その存在の輪郭のようなものが浮かびあがってくる。
では、上記を踏まえた上で、あらためて考えてみる。
「人はなぜ働くのか?」
その答えは、こうである。
コメント
コメントを書くこれは本当そうだと思う。
よく書いてくださいました。私の実感そのものです。言葉にならないことが目の前で文書化されていて感激です。