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先日、産経新聞から体罰問題についての取材を受けた。そこで色々話したのだけれど、「体罰そのものを悪く言うことはできない」というのが、ぼくの結論だった。それは「薬」みたいなもので、使い方を誤ると「毒」にもなってしまうのである。だから、大切なのは使い方であり、使う人なのだ。
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すばらしい!ハックルさんの文章の中にも自然が感じられますよ。
ぼくは年中自然のなかにいるので、ハックルさんの文章の中に自然の理を探すほうが楽しいです。(笑)では仕事~
岩崎夏海(著者)
>>1
ありがとうございます。そういって頂けると嬉しいです。
自然のような文章を書くのがぼくの理想ですが、まだまだ道半ば、これからも精進します。
本日も素敵な記事を、ありがとうございます。
先日ツイートさせて頂いたのですが、桜井さんとの対談本の「鮭」を読み終わりました。
あの本に書かれている事、桜井さんの仰っている事が、今日の記事と深く関係しているなぁと思います。
もっと多くの人に読んで欲しい本です。
昨日のハックルテレビで少し語られていた、岩崎さんが自分に課しているという「缶を拾う」話が楽しみです。
では、失礼します。
「誰かに言わされている教育」ではなく、「自然から学んだ教育」を体現している先生の話を生徒が「体で覚えた」とき、はじめて「学び」が成立するということでしょうか。
岩崎夏海(著者)
>>3
ありがとうございます。
桜井章一さんはぼくが私淑する先生です。かつてぼくが暗闇の中をさまよい歩いていた時、先生の書かれた「雀鬼流。―桜井章一の極意と心得」という本が、一条の光を投げかけてくれたのです。
岩崎夏海(著者)
>>4
そうですね。「体で覚える」と言うよりも「体(のセンサー)が響いた時」、そこから学びが始まるのだと思います。