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岩崎夏海さん のコメント

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岩崎夏海
>>6
コメントありがとうございます。
「誰かのために」という視点の中に「自分という誰か」が抜けています。
自分は「他者」なのです。他人も「他者」。自分にとって自分と他人は並列な存在なのです。
社会を「一個の生物」、人間一人一人を「細胞」だと認識するような感覚でしょうか。
「誰か」というのはこの社会という名の「一個の生物」なのです。「一個の生物」の中に「細胞」である自分も含まれています。一個の生物が死んでしまえば自分は死んでしまいます。だから、細胞は一個の生物を生かすためにがんばらなければなりません。それが結局自分を生かすこともつながります。しかしながら、一個の生物を生かすために自分を殺すという局面も存在します。「新陳代謝」がそれに当たります。新しい細胞が誕生したら、古い細胞は静かに退場する必要があるのです。
この時、「誰かのために」「みんなのために」が、緩慢なる死や衰退につながらないという状況が出現します。

「もしドラ」の正義の台詞は、あれはインタビュアーに対する「イヤミ」なのです。
というのも、正義とみなみは高校野球におけるイノベーションとは何かを考える過程で、廃棄するべき高校野球の古い常識、古い考え方、古いやり方は何かということを徹底的に考え抜きました。その過程で、様式的に定まって変化しない報道の仕方にも廃棄すべきところがある——との結論に達したのです。特に、女子アナが聞きがちな「どんな野球をしたいですか?」というのは愚問中の愚問もいいところで、大した答えのバリエーションがあるわけではなく、答えは通り一遍のものになってしまうので、高校野球を古い常識に縛り付けるという悪しき効果があります。
だから、こういう質問をするアナウンサーってダメだよねと、正義とみなみは以前におしゃべりしていたことがあったのです。

ところがそこで、正義が実際にそのインタビューを受けたものだから、みなみは彼が何と答えるか注目したのです。みなみは、正義は真面目だから全うに答えるだろう。しかしながら、程高はイノベーションを果たしたチームなので、真面目に答えても通り一遍の答えにはならないはずだ。そうした思いで、正義の答えを見守ったのです。
ところが、正義はみなみが思う以上にウィット、茶目っ気があった。それで、一丁かましてやろうと思ったのです。それで、ああいう逆質問をした後に、みなみに向かってニヤッと微笑んだのでした。「逆質問」というのは、女の子に「歳、いくつ?」と聞いた時に「いくつに見える?」と聞き返された時のように、たいていはイラッとするものです。そういうイラッとすることを、正義はインタビュアーにあえてしたわけですが、それは紙幅の関係で書けませんでした。
No.10
143ヶ月前
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ハックルベリーに会いに行く
『もしドラ』作者の岩崎夏海です。このブロマガでは、主に社会の考察や、出版をはじめとするエンターテインメントビジネスについて書いています。写真は2018年に生まれた長女です。