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ぼくは反知性主義的な場所で育った(2,263字)
ぼくは、自分で言うのもなんだが、知識人の家に生まれた。両親は、ともに東京芸大美術学部の出身。父親はその後、ハーバード大学院で都市計画を学んでいる。父方の祖父は早稲田大学出身で出版社を立ち上げ、母方の祖父は海軍機関学校を出て職業軍人となり、戦後は出光で技術者として働いていた。
おかげでというわけでもないだろうが、生まれたときから本に囲まれた環境で育った。勉強は当たり前のようにさせられた。父親にはよく議論をふっかけられた。中学高校も、私立の進学校に進んだ。
ところが、そういう知識人の家に生まれ、知識人の環境に生きることに、いつしか限界を感じるようになった。そこでは、自分のほしい能力がいつまで経っても得られない気がした。本や議論からは何も学べない気がした。実際、ぼくは人とのつながりを求めていて、そのための能力がほしかったのだけれど、中学・高校はもちろん、その後に進んだ東京芸術大学でも、それは教えてもらえなかった。特に大学は、ぼくが欲するものは何も与えてくれず、深い絶望を味わった。
そうした環境で育ったために、ぼくの中には知らず知らずのうちに反知性主義的な考えが芽生えるようになっていった。結局、ものを知っていたり頭が良かったりしても、何の得にもならないと考えるようになっていた。
それよりも、社会の荒波の中で生きる知恵を育む方がよっぽど大切だと思っていた。人とどう仲良くするかというのが、ぼくにとっては喫緊の課題だった。そしてその能力は、反知性主義的な考えでしか育めないと思っていた。すなわち、現場に出て、人にもまれることによって、初めて習得できるのだと。頭ではなく、体で覚えるものなのだと。
そうしてぼくは、秋元康さんに弟子入りし、彼の会社で働き始めた。するとそこは、見事に反知性主義的な場所だった。
そこでぼくは、高卒の先輩からはっきりと言われた。
「おまえは、大学なんか出ているからダメなんだよ」
その先輩は、当時まだ20代だったにもかかわらず、年収が3000万円くらいあった。いい車にも乗っていたが、女の子にもすごくモテた。いつも、つき合う女性をとっかえひっかえするような人だった。
ぼくは、その先輩の言う通りだと思った。ぼくは、大学を出たからダメなんだ。実際、その会社には高卒がごろごろといた。大学出もいるにはいたが、みんな肩身の狭い思いをしていた。それよりも、高卒の方が幅を利かせていた。多くの人が、勉強とはほとんど無縁の生活を送ってきたにもかかわらず、仕事はばりばりできたのだ。実際、トップの秋元さんからして、大学を中退したから最終学歴は高卒だった。
その頃、ぼくはテレビ業界で働いていたのだけれど、テレビ業界や芸能界には、はっきりと反知性主義的なところがあった。ビートたけしさんお気に入りの小話に、東大出のADの逸話がある。そのADは、東大を出てフジテレビに就職したものの、初めての仕事が横沢さんプロデュースのお笑い番組で、そこで番組収録の折に横山やすしさんの逆鱗に触れ、結局すぐに辞めてしまったというのだ。テレビ局や芸能界は、まさにそういう世界だった。そこでは、東大を出ようが弁護士の資格を持っていようが、それとは違う物差しで能力が測られた。学歴はむしろ足かせになるくらいだった。
ぼくは、はっきり言って学歴は高かったが、そこではそれが全く通用しなかった。むしろそれが足かせになったので、普段は隠しているくらいだった。しかし、意地悪な先輩からことあるごとにそれをみんなの前でバラされて、恥ずかしい思いを味わった。高い学歴であることがまるで悪い出自であるかのように、そこではとらえられていたのだ。
そういう反知性主義的な場所というのは、どこにでもあるものなのだと思う。ドラッカーの本を読んでいたときに、そのような記述に突き当たってびっくりしたことがある。アメリカの一流企業でも、1960年くらいまでは、大学出という出自は隠していた人が多かったというのだ。それよりも、現場出身の叩き上げの方が偉かったし、幅を利かせていたのだ。
ぼくは、1990年代の日本で、まさにそういう反知性主義的な場所で育った。そうしてぼく自身も、今ではすっかり、反知性主義的な考え方をするようになっていた。
ところが、そこで恐ろしいオチが待っていた。反知性主義的な考えになって、世間の荒波にもまれるように生きていると、やがて知性というものが、ぼくの強力な武器となるようになったのだ。若い頃、友だちも作らず本や映画を見まくっていたことが、あるいは家に籠もってゲームをしまくっていたことが、30代の後半くらいから、じわじわと効いてくるようになった。それで、周囲の若い頃にさんざん外で遊んできた、その替わりに知性のバックボーグがない人たちとは、はっきり差がつくようになっていった。
それと同時に、高い学歴があることもまた、評価されるようになった。今では、この高い学歴が、他者の信用を得るための印籠として、大きく機能するようになったのである。
だから今では、反知性主義的に生きるか、それとも知識人として生きるかというのは、どちらがいいとは必ずしも即答できなくなっている。しかし、反知性主義的な考えがなければ、ぼくは早晩潰れていただろう。だから、それは人間の素養として、誰にでも必要なことだと思う。知性というのは、そこにつけ加える武器として、反知性主義的な考えを阻害するものでなければ、持っていてもいいのかもしれない。だから、いずれにしろこれからも、反知性主義的な考えを変えることはないだろう。