杉田水脈氏の発言が炎上し続けています。
いつも言うようにぼくは騒がれすぎると「何か、もういいや」という気になってしまい、結果、「祭り」に便乗して売名するというフットワークに欠けているのですが、ある意味でLGBT問題はフェミニズム問題よりも厄介なものを抱えています。いい機会だと思うので、ちょっと思うところを述べてみたいと思います。
え~と、まあ、そんなわけでガンバって記事を書いていたのですが、その間にも、世間の目はあっと言う間に東京医大の入試問題の方にシフト。この記事もほぼ注目されずに終わるんだろうなあと思いながら、キーを叩く羽目に陥ってしまいましたが……。
まず、『新潮45』の記事。騒いでいる連中のどれくらいがこれを読んでいるのかわかりませんが、ぼくは近所の図書館で通読しました。「最新号はコピーを採らせない」というイミフなルールがあったので、以下は記憶とメモに頼っての記述となるのですが、少なくともぼくが見る限り、記事自体はおかしなものではありませんでした。
大雑把に言えば杉田氏の主張は、「日本はLGBTに厳しい国ではない。当事者の話を聞いた限りでは、親との葛藤こそが問題になっていることが多い様子だ。これは制度とは無関係だ。子育て支援、不妊治療への支援などは大義名分がある、しかしLGBTについては大義名分を見出しにくい(大意)」というものです。
これはまさに一部の冷静な論者の指摘通り、「論点はLGBTと子供を産むカップルとを比較したところにある」といえます。本件に対する批判として、まず言われたのが「LGBTに生産性がないとは偏見だ、彼ら彼女らには優秀な者が多い、税金も納めている」といったことでしたが、そもそもそういう切り取り方をすべき議論では、これはないのです。
しかしネット世論は(まあ、ぼくの目に入った限りでは)上のような主張が並び、それがひと落ち着きすると、「LGBTが優秀か無能かはどうでもいい、無能な者でも生きていく権利があるのだ」といった「反論」が目立つようになりました。こうなると無限に論点が明後日の方向に飛んでいくばかりで、溜め息が出るばかりです。
少しまとめましょう。
杉田氏の主張自体、実は具体的な法案などに言及したものではなく、漠然とLGBTへ援助金(というのがどういう名目でどれくらいあるのか、無知なぼくは知らないのですが)を出すくらいなら、少子化対策に投じた方が……と主張するものであり、逆に言うとやや曖昧さの残るせいで、受け手が自在に肯定も否定もできるようなものとは言えました。しかし「少子化対策に回した方がリターンがあっていいのでは」という一般論は、それなりに正論です。これは(杉田氏が考える少子化対策がいかなるものかにもよりますが)例えば「障害者支援も大事だけど、中間層の困ってるヤツを援助した方がリターンが大きく、結果、障害者を救うことにもつながらないか」、「女は男を養わないから、やっぱり男の無職を支援した方がよくないか」という、公に言うと大変に怒られてしまう正論と、基本は同じです。
ところがそれに対する上に挙げたリアクションは、レベルが低いとしか言いようがない。まず、話がすり替わっていることが第一ですが、一度「いや、LGBTには優秀な者が多い」という根拠の不明な脊髄反射的ともいえる反応がまずあり、さらに「優秀でなくてもいいではないか」と杉田氏の議論を無化する、極端に言えば「みんな餓死する恐れもあるが仲良く貧しくなろう」という上野千鶴子師匠的ロジックに話を一段下げてしまっている点が「ダメだこりゃ」であるわけです。
まず、差し詰め「LGBT優秀論」とでも称するべきロジックについて、ちょっと検討しましょう。これはぼくがよく言う90年代初期の「フェミバブル」の頃に囁かれた論法です。当時は各雑誌が盛んに「ゲイ特集」を組んでイキっていたという、今となっては信じがたい時代でした。そんな記事の一つに、「あなたのセクシュアリティは?」とYES/NOテストで判断する企画があったのですが(よくありますよね、矢印を選択して答えを導くヤツです)そこで、
Q.あなたの愛読書は? A.漫画→1.へ。 B.学術書、哲学書→2.へ。
1.あなたはヘテロセクシャル
2.あなたはゲイ
みたいなのがあって、さすがに爆笑してしまいました。むろん、いくつかの選択の上でセクシュアリティは「判定」されるのですが、確か最後の問いがこの「愛読書」であった記憶があります。
哲学書を読むとホモだそうです。東浩紀師匠がホモだということが、これで証明されました(……と特に何も考えずにギャグを書きましたが、よく考えれば師匠の師匠が(ry)。
要するに「ホモは頭がいい」という設定だったのです、当時は。他にも「セクシャルマイノリティはお前らヘテロと違って自らのセクシャリティに自覚的で云々」みたいなバカみたいな論調も目立ちました。そんなの、今となっては「特撮オタクなので『仮面ライダー』の怪人の名前をいっぱい知っていてエラい」と言ってるのとどう違うのかよくわかりませんが、「ジェンダーフリー」などが持て囃されていた当時のことです、「セクシュアリティ」という「暗黒大陸(という表現がオーバーなら「新ネタ」程度の言い方ででいいのですが)」の前にぼくたちは畏怖の念を抱いて、あの人たちのことを「何か、エラい」と思い込まされていたのです。そうした論調がオワコン化したことは、いかにフェミのセクシュアリティに対する考察が表層的で薄っぺらであったかの証明になっているわけですが。
上の杉田氏への反論の流れは、バブル期の「イキり」からやや平静さを取り戻しての差し詰め「天賦人権説の拡大解釈」とでも称するべき論調への回帰の様子であり、しかし、それすらもがもう完全に時代遅れで、杉田氏の発言が出てくるくらい世の中は切羽詰まっているのが本当のところである(上の「中間層救え論」の方が理があると思われる)、といった流れが、ここからは明らかになるように思えます。
さて、しかし、それとは別に、指摘しておかなければならない点があります。
というのも、この問題の部分の先を読み進めると、杉田氏は実に興味深いことを言っているからです。
「LGBとTとは別に扱うべき。Tは『病気』であり、性転換に保険が利くような援助は考え得る(大意)」。
これ、記事も読まずに暴れていたリベ様からすると、かなり意外な主張なのではないでしょうか。しかし、意地悪なことを言うならば、だからこそ、ここを無化するためにこそ、彼ら彼女らはその手前に書かれた箇所に噛みついたのではないか……といった想像もつい、してしまいたくなるのです。
何故か。上の指摘は、ある意味ではLGBTに対する痛烈な批判になり得ているからです。
ホモはよく「ホモは病気ではないぞ、アメリカ精神医学会もそのように認定した」とドヤります。その精神医学会の判断の是非がどんなものか、ぼくにはわかりかねますが、そうするとLGBTから(唯一病者である)Tを外せとの主張も、一概に否定できなくなります。ましてやLGBは病気ですらないなら援助の要はない、少なくとも援助の形は違ってきてしかるべきだとの考え方ができるはずです。
しかし、彼ら彼女らはそれを認めたくないのではないでしょうか。そもそもがLGBTという「括り」自体がある種の政治的意図をもってなされたものなのですから。
これはいつも繰り返していることなので、ごく簡単にまとめます。上の「LGBT」に何故ペドファイルが入らないかとなるとそれは自明で、レズ、ホモ、バイ、オカマ、とこれらは政治的には「名誉女性」に位置する人々であり、言ってみれば「ヘテロセクシャル男性」を仮想的にするフェミニズムに色濃い影響を受けている人々が作り上げたカテゴリであると、ひとまず考えざるを得ないからです。
杉田氏が怒りを買ったのはそうした(いささか恣意的な)団結に、彼女が水を差したからだとも考え得るわけです。
また、これは以前も指摘しましたが*1、近年では「LGBT」のお尻に無限にアルファベットを続けていく傾向にあります。LGBTQ、LGBTIなどはまだいい方で、LGBTTQQIAAPとかLGBTTQQFAGPBDSMとか無限に長くなっていく傾向にあるようで、何が何やらわかりません。そもそもが、普通に「セクシャルマイノリティ」で総称すればいいであろうに、無理に延々延々つなげていく辺りが(上のペドファイルを加えない件とは全く逆に)彼ら彼女らが「多様性」というポリコレに自縄自縛になっている様が見て取れます。
杉田氏は上のような(LGBTのケツにアルファベットが続いていく)傾向を引き、「さまざまな性的指向を認めれば、「兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」と主張したのですが、これに『朝日』が「噴飯物」と批判したのを受けて、とあるツイッタラーさんが「『何の問題が?』と言えないのか。」と評していました。ここに、LGBT問題の本質が非常に強く表れています。
上にも書いた90年代のフェミバブル(同時にLGBTバブルでもあった時代)には「いろいろな人がいていいのだ」「いろいろなセクシュアリティがあっていいのだ」といった定型句が流行っていました。とあるオカマがそれを引き、「いていい」ではない、既に「いる」のだ、とドヤっていたことがあります。
そりゃ、「いるのだ」と言われると否定はするのはなかなか厄介で、リベラルがLGBTを担ぎ出したがるのも彼ら彼女らが「先天的な本人の気質であり、本人の責でもないのに理不尽を強いられており、最大限尊重されるべき属性」とでもいった特徴を持っているからでしょう。ペドファイルを担ぎ出したがる人がもう無限回数繰り返し、耳にタコのできている「持って生まれたセクシュアリティを断罪するな」理論です。
しかしやはり、「いていい」と「いるのだ」は別で、また「いていい」と「やっていい」は別です。上にあるように彼ら彼女らがその「性癖」を実行に移そうとしたら問題が出て来るのは自明で、例えばペドファイルは論外にせよ――いや、論外だと考えない人が存外にいるところがこの問題の厄介さですが――「機械婚」などにしても道徳上の問題はないからといって、実行に移せば、さらにそれを制度化せよなどと言い出せば周囲が混乱を来すのは必至です。そこを「それのどこが悪い」と居直る差し詰め「ウルトラ個人主義」とでも称するべきスタンスこそが、リベラルのお気に召したわけです。
*1「新春暴論2016――「性的少数者」としてのオタク」を読む
さらに読み続けると、『朝日』で「高校生の一割がLGBT」との記事が掲載されたようで、そうしたことをやたら騒ぐ風潮への違和感も綴られています。そう、高校生など思春期の少年少女はまだ性的に未成熟で、同性愛的な感情を抱くことも普遍的だけれども、これは一過性のものであり、そこを「LGBTだ」と騒ぐのはどうかというわけです。これはフロイトなど持ち出さずとも経験則的に納得できる話で、思春期の子供を安易にLGBT扱いすることは同意できない。しかし、この地球を「異性愛強制(ヘテロセクシズム)社会」であると考えるLGBTにしてみれば、「子供たちをLGBTというあるべき姿に戻してあげなければ」という聖なる使命を持って子供の教育に力を入れている、ということになる。彼ら彼女らも口でそうは言わないでしょうが、上の「異性愛強制社会」という言葉を演繹していくと、そういう考えに到達せざるを得ません。
また、オバマがトランスセクシャルがトイレや更衣室を自由に選べるようにするとの通達を出した(トランプが撤回)そうなのですが、これも混乱を来すとの指摘がなされています。
ここもまた、なかなかLGBTの痛い点を突いているように思います。フェミニストが「オカマは女湯に入る権利があるのだ」と主張したことは幾度も繰り返し採り挙げていますが*2、それと同じ、「権力者層にいるワルモノが清浄なるLGBTをいじめているのだ」史観では彼ら彼女らの希望が適わぬことを、この例は極めて明快に示唆しているのです。近年彼ら彼女らは「Xトイレ(オカマ向けトイレ)を作れ」などと主張するようになってきました。そんなの、どんだけの予算を投じればいいのか。民主党が埋蔵金を見つけてくれるのを祈るばかりです。
そして――そう考えると、やはり、本件が炎上してしまったことには大きな意味があると思わざるを得ません。杉田氏の記事の優れた点は、「当事者の話を聞いた限りでは、親との葛藤こそが問題になっていることが多い様子だ。これは制度とは無関係だ」との指摘をしている点です。杉田氏がどれだけ調べてこう書いているのかは何とも言えませんが、重要なのは「LGBTの主張が(為政者がワルモノであるのでは全くなく)極めて個人的な人間関係などの不遇感に根差している」とはっきりと指摘してしまっている点です。
彼ら彼女らの不遇感は大変に辛いものだろうけれども、それは「ラスボス」の陰謀によるものではなかった。しかしそこを「ジェンダーフリー」によってぼくたちの性意識をリセットすれば、彼ら彼女らも救われるのだとの空手形を売りさばいたのがフェミニズムでした。ぼくが常に指摘するように、LGBTとフェミニズムは、極めて濃厚なつながりがあるのです。彼ら彼女らはフェミニズムというウルトラ陰謀論を援用し、「ホモが嫌われるのはキリスト教の陰謀」と言い募ってきました。「では、キリスト教がそこまで盛んではない日本にはホモ差別はないわけじゃないか」と反論したのが杉田氏だったわけですが、それでは彼ら彼女らは納得しない。ぼくは複数のLGBT論者が全く別のところで「日本のホモ差別は天皇制維持のため」と言っているのを読んだことがあります。つまり、これは「キリスト教」の代わりに雑に「天皇制」が代入されているだけの「何か、エラい人が悪い」論であり、言うまでもなく天皇制がいかなるホモ排除の陰謀を張り巡らしたかは、両者とも全く語っていませんでした。
杉田氏については、議員を辞めさせよう運動みたいなのが既に展開されています。議論をすり替え、曲解し、相手を潰すことで強制終了しようとする。フェミニストやその子分たちが無限回数繰り返してきたお得意の必殺技が、今回も炸裂しようとしているのです。彼ら彼女らの目的はもはや、「ホモに逆らうと潰される」という前例を作ることでしかないのでしょう。
そうやって『ちび黒サンボ』も『オバケのQ太郎』も『ウルトラセブン』も潰されてきたわけですが、表現の自由クラスタの皆さんは何をやっていらっしゃるんでしょうね。
*2「オカマ」は女湯には入れるのか?
「オカマ」は女湯には入れるのか?Ⅱ
コメント
コメントを書くLGBT系の話題はなんだか久しぶりに感じますね(^^)
LGBTの中のゲイは少なくとも、あまりフェミ寄りな印象はないんですが、フェミニスト(貴腐人)は┌(┌^o^)┐ホモォ~を神聖化しているため自分らが不特定多数の者から迷惑がられている自覚がないので困ったものですwww
>ホモは病気ではないぞ、アメリカ精神医学会もそのように認定した
LGBTの最大の問題点は定義が曖昧かつ恣意的なところなんですよね。
例えばオタク男性の中には「男の娘萌え」「ショタ萌え」「ふたなり萌え」などゲイとの境界線がかなり不明瞭な者が大変多く、私や兵頭さんのような一般的なオタクも十分ホモォの一種と捉えることも可能かもしれませんwww
前にcrazylabさんが「今はゲイでオタクな人が少なくないし、ショタコンジャンルは男性で賑わってる」と仰っていましたが、まさにその通りでして、私が執筆しているBL小説には男性の読者も多数存在しており、よく感想をいただきます(無論、ほとんどは女性からですが)。
そうなると、Tを除くLGBの中にはマジョリティ側の人間もかなり含まれる可能性が高いんですよね。
>高校生など思春期の少年少女はまだ性的に未成熟で、同性愛的な感情を抱くことも普遍的だけれども、これは一過性のものであり、そこを「LGBTだ」と騒ぐのはどうかというわけです。これはフロイトなど持ち出さずとも経験則的に納得できる話で、思春期の子供を安易にLGBT扱いすることは同意できない。
これは高校生に限らず、どんな人間にも起き得るでしょうね。
例えばミソジニーをこじらせたオタク男性が┌(┌^o^)┐ホモォ~に目醒めて、新しい扉を開くことも十分に考えられますwww
クジラックス先生は自分がキモいおっさんになるにつれ少女に受け入れられる想像ができなくなり、強姦モノしか描けなくなったと仰っていましたが、それが行き過ぎて┌(┌^o^)┐ホモォ~へと究極の進化を遂げた男が今は増加しているように感じますね。
┌(┌^o^)┐ホモォ~にもレベルがありまして、
レベル0:いつの間にか見た目が完全に女性で男性器がついててもアリになっていた
レベル1:いつの間にか見た目完全に女性で男性器がついてる方が好きになっていた
レベル2:いつの間にか可愛い色白の女の子っぽいショタでもアリになっていた
レベル3:いつの間にか若くて色白で筋肉がちょっとついてる男が好きになっていた
レベル4:いつの間にか筋骨隆々のマッチョが好きになっていた
レベル5:いつの間にか見た目完全にハルクで男性器が逞しい男が好きになっていた
レベル6:いつの間にか女性との長期に渡る関係(結婚など)は死んでも棄却したくなった
レベル7:いつの間にか女性との短期間の関係でも築きたくなくなった
レベル8:いつの間にか正真正銘のミグタウ(我が道を行く┌(┌^o^)┐ホモォ~)になっていた
といった感じでして、私の家には今ハルクのフィギュアと多種多様なディルドが大量にありますが、それでも私がLGBTかどうかは微妙でしょうし、兵頭さんでもレベル2.5ぐらいには到達しているんじゃないでしょうかwww
今後レベル8以上まで上り詰めるオタク男性の数は益々激増し、全国ミグタウ化がより進むことで結婚制度が滅び、フェミニスト(貴腐人)大勝利といった未来が待っていることでしょう。
その頃にはオタクは滅び、私や兵頭さんのような生き残った少数派のオタクはフェミニスト(貴腐人)たちにBLという名の年貢を納めながら、本田透が全盛期だった時代を懐かしみつつオナニーするのであった。
めでたし、めでたし(いや、全然めでたくなかった┌(┌^o^)┐ホモォ~)。
こんばんは(^^
今回、実はちょっとcrazylabさんに対しても弁明めいたことも書こうかと思っていて、ころっと忘れてしまっていたんですが……。
ぼくは基本、ホモに対してあまり友好的ではありません。それは彼らの一部がLGBTという「悪の組織の戦闘員」だからです。
もちろん、「フェミニスト」は悪でも「一般的な女性」が悪でないのと同様に、「一般的なホモ」は悪ではない。が、彼らと手を結ぶとしても、単なる一人の男という扱いで仲間になってほしくて、その「ホモ性」を武器に使うようなやり方はすべきではないと思うわけです(「フェミがホモをサベツしたぞ!!」というようなやり方)。
やはりショタはおっしゃる「思春期の病」への追想、まあ『ときメモ』をやるのと同じ思春期のリプレイでしょう。そこは大事にしたい。
しかしペドファイルと萌え的「ロリコン」をいっしょにしない方がいいように、やはりショタや男の娘とLGBTはあまりいっしょにしない方がいいと思います。
いや、「しない方がいい」という言い方は政治的、戦略的に……というニュアンスを帯びますが、それ以前にまず、セクシュアリティとして全然違うと思います。
ペドと萌え的ロリコンもかなり距離がありますが、ショタとかとホモはそれ以上に違うように思います。いわゆるホモの人が言うそれって、オタク的それと全然違うんですよね。萌え絵の文法で描かれていないといいますか(そしてまた、いわゆる少年愛者を仲間のように扱うことについてのまずさは、わかっていただけているかと思います)。
そうした「違い」に目を伏せ、リベラル寄りの人たちのグローバリズムというか、「みんないっしょがいい主義」に唱和するのは、あまりよくないと思います。
もっともぼくの方もやや理に落ちた嫌悪感を持ちすぎではあるのですが……。
ちょっと前、maximamさんと意見が食い違ってしまいました。
彼はミソジニーに、「ならなければならない」との意見の主のようで、そこはちょっと違うだろうと。
2chなどで十年ほど前に「女災から逃れるためにホモになろう論」みたいなのがちょっとだけはやったのですが、なろうと思ってなれるものじゃない。
ぼくたちは「今、ココ」を死守した方がいいのではないかと思います。
かなり以前、エロ漫画関連のムック本みたいなの(当然、リベ様編集によるもの)に「最近はショタが流行っている」みたいな記事が載ったことがあるのですが、書き手はおホモ様で、内容は「こんなのホントのホモじゃない(大意)」というありがたいありがたいものでした。
ぼくたちが「外部」の人にぐちゃぐちゃ言われる筋あいはないわけで、ショタも男の娘もGやTとは関係ないから、俺たちの生み出した表現だから、と思った方がいいんではないでしょうか。
(だってシンジ君とカオル君の関係は現実のホモとは何の関係もないでしょう)
>いや、「しない方がいい」という言い方は政治的、戦略的に……というニュアンスを帯びますが、それ以前にまず、セクシュアリティとして全然違うと思います。
ペドと萌え的ロリコンもかなり距離がありますが、ショタとかとホモはそれ以上に違うように思います。いわゆるホモの人が言うそれって、オタク的それと全然違うんですよね。萌え絵の文法で描かれていないといいますか(そしてまた、いわゆる少年愛者を仲間のように扱うことについてのまずさは、わかっていただけているかと思います)。
そうなんですよね。
例えばゲイの田亀 源五郎さんはBLに対する不満を吐露されていました。あの人はSM、近親相姦、人体切断、凌辱など何でもありな方ですが、正直控え目に言ってキモ過ぎワロエナイ……。
ホモがオタク的でないことは自明であって、私の先のコメントはオタク同士のホモソーシャルな関係を大切にしていこうとでもいった感じですね(例え話が下手ですみません)。
私は真性のホモ(田亀さん的なサブカル)に対しては全くもって仲間意識はなく、むしろBLを愛好する腐女子や貴腐人の方がキャラ萌え的な深い愛着を持っていることからオタク的かつ同族であると思っています(前回記事に出た岡田斗司夫さんのこともサブカル寄りの人だと考えていて、あの人は物語やキャラクターへの関心は薄いように思われ、非オタ的に感じられます)。
オタクの本質を萌えであるとするならば、架空のフィクション(2次元)を神のように崇拝する一連の行動こそがオタク的な生き方であって、サブカル君たちのようにそれらを全否定する人間はオタクとは呼べない(前に岡田斗司夫さんがけものフレンズを批判した時の言説がいかにもサブカル特有のオタク叩きにも感じられたので、あの人は町山さんと同様にそこまでオタク文化に対する愛着はないように思います)。
>彼はミソジニーに、「ならなければならない」との意見の主のようで、そこはちょっと違うだろうと。
2chなどで十年ほど前に「女災から逃れるためにホモになろう論」みたいなのがちょっとだけはやったのですが、なろうと思ってなれるものじゃない。
ぼくたちは「今、ココ」を死守した方がいいのではないかと思います。
ああ、あの人まだいらっしゃったんですかwww
彼は私や兵頭さんと違ってミグタウというよりはインセル寄りの御方だったと思っていたんですが、「『女の子の味方なボクって恰好良い!』というナルシズムやマッチョイズムがどれほど幼稚でみっともないか、ってのをそろそろ男性は自覚すべきですよね」といった正論も仰っており、ミグタウに鞍替えしたのかと思っておりました。
maximamさんはミソジニーというよりはツンデレ属性の強い御方なので、口ではあんなこと言っててもリアルでは私や兵頭さん以上に女の子に優しいんじゃないでしょうかwww
実を言うと、私はこの世にミサンドリーな女や男はいてもミソジニーな男はホモ以外にいないと思っております(ミソジニーな女はわんさかいますが)。
腐女子や貴腐人はバリバリのミソジニストゆえホモを愛しており、その証拠にBLにおいてはメインに女キャラを出すのはタブーとされています(男性向け作品で例えるなら萌えアニメで男キャラが徹底的に排除された美少女動物園と呼ばれるものが該当するでしょう)。
結局男にはミサンドリストが多く、女にはミソジニストが多いという普遍的な男女のセクシュアリティがオタク文化には反映されていて面白いなぁと思います。
兵頭さんの本質はミソジニストではなく、女性を愛しているがゆえアンチフェミニストという生き方を選んだ孤独なオンナスキー男性でした。兵頭さんは一見すると女性に対して厳しいイメージがありますが、ホントは誰よりも誰よりも女性のことを愛している真面目で優しい男性です(ゆえに女性から見て魅力がないわけですが)。
そんな兵頭さんを応援しつつ私は今日もBL小説を執筆することで小銭を稼ぎたいと思います。そして、この金で兵頭さんたちが作る萌え系作品を購入することで萌えクリエイターたちの生活の足しにでもしていただけたら幸いですね。
>ホモがオタク的でないことは自明であって、私の先のコメントはオタク同士のホモソーシャルな関係を大切にしていこうとでもいった感じですね(例え話が下手ですみません)。
なるほど、こちらこそ失礼しました。
岡田氏に関しては、まず萌え的なモノは好きではないだろうし、世代的にも違うと思います。
ぼくはオタクの本質は「醒めた夢想家」であることだと思っているのですが、岡田氏の世代は「醒めすぎ」ですね。逆に今は「醒めなすぎ」とどうしても思えてしまうのですが。
ただ、さらに言うと最近彼は今のアニメをぼくの十倍くらい観てるようですよ。恐らく若い彼女ができたんでしょうが。
>maximamさんはミソジニーというよりはツンデレ属性の強い御方なので、口ではあんなこと言っててもリアルでは私や兵頭さん以上に女の子に優しいんじゃないでしょうかwww
ええ!? そうですか?
そうなるとむしろ言行不一致じゃないかなあ。
ぼくは理論と個人と向きあう時の態度は別にすべきではと思うのですが。
ホモに批判的でもプライベートでホモのA君と仲よくしたっていいわけで。
>実を言うと、私はこの世にミサンドリーな女や男はいてもミソジニーな男はホモ以外にいないと思っております(ミソジニーな女はわんさかいますが)。
そうそう、この世に存在するミサンドリー粒子とミソジニー粒子の数はあまりにも違いすぎる。
>結局男にはミサンドリストが多く、女にはミソジニストが多いという普遍的な男女のセクシュアリティがオタク文化には反映されていて面白いなぁと思います。
そこがオタク文化ですね。
ただし、『801ちゃん』が出て来た時は「お前ら、どれだけ自分が好きなんだ」と思いました。近年では「ヲタクに恋は難しい」ですね。
ホモの中には婦女子が自分たちを大好きだと思っている人たちがいて、ちょっと可哀想になってきます。あの人たちはあれだけ、自分が大好きなんだぞと。
>兵頭さんは一見すると女性に対して厳しいイメージがありますが、ホントは誰よりも誰よりも女性のことを愛している真面目で優しい男性です
い……いや、そういうわけでも……。
(目をあちこちにさまよわせながら)
>そうなるとむしろ言行不一致じゃないかなあ。
ぼくは理論と個人と向きあう時の態度は別にすべきではと思うのですが。
ホモに批判的でもプライベートでホモのA君と仲よくしたっていいわけで。
何故そう思ったかと言うと、アンチフェミ界隈(反男性差別クラスタ含む)を観察していると、必ずしも彼らが非モテというわけではなく、むしろ彼女がいるようなリア充層が多々いるように感じられたからなんですよ(島本さんなんかはアンチフェミではあるけれど、どちらかといえばリア充寄りな御方ですし)。
例えば反男性差別クラスタには今は離婚しているけれど、かつては妻子がいた元リア充なんかが結構いて驚きました(なんだかドクさべが可哀想に思えてきますwww)。
彼らは一見するとミソジニストに見えるけれど、本音では女性に自分を理解してほしいみたいな甘えの裏返しが強いように感じられるんですね(こういった点を『ツンデレ』と表現したわけですが、今思うと彼らに『デレ』はありませんでしたwww)。
彼らは女性に対してツンツンした態度をとることで、女性をデレさせたいと思っているわけですが、そこが何ともイタイなぁと。
兵頭さんの「女災理論を駆使してクールに女性を攻め続けるクーデレ作戦」はツンデレアンチフェミより数億倍優れた知性と品性を兼ね備えた見事な戦術でした。ですが、現在はクーデレというより『クール受け(攻めに対して、そっけなかい受けのこと)』になってきたイメージがあり、いささか後手にまわっている印象を受けます。我々のようなクール系のオタク男子はBLでは受けであることが多く、俺様DQN系に犯されるだけの存在なんでしょうかwww
BL小説を執筆しているせいか、ついつい腐女子脳で物事を見てしまいがちですが、彼女たちはホントに俺様DQNが三度の飯より大好きなので受けの男キャラはどうしても私や兵頭さんのような健気なオタクキャラになります(リアルでもBLでも私や兵頭さんは総受け状態ですもんねwww)。
>ただし、『801ちゃん』が出て来た時は「お前ら、どれだけ自分が好きなんだ」と思いました。近年では「ヲタクに恋は難しい」ですね。
ホモの中には婦女子が自分たちを大好きだと思っている人たちがいて、ちょっと可哀想になってきます。あの人たちはあれだけ、自分が大好きなんだぞと。
そうそうwww
彼女たちはいわば襲い受け(攻めを押し倒すほど積極的に迫る受けのこと)です。そして、この地球上で最もイケメン(俺様DQN系の攻め)に飢えている正真正銘のメスですよwww
私や兵頭さんは彼女たちから見て、明らかに総受け(ミグタウ)であるため嫌われているわけで、これは結局女性が弱者男性を養わないことの証明といえる。
兵頭さんが仰るように彼女たちはホント「自分」以外の人間はミジンコ程度にしか思っていないんじゃないかと疑ってしまうほどの女王様でおわせられるwww
>い……いや、そういうわけでも……。
(目をあちこちにさまよわせながら)
ワロタwww
やっぱり兵頭さんは良い男ですわ(//∇//)
次の記事も楽しみにしていますヽ(〃^・^〃)ノ
島本さん(ぱんなさん)がリア充なのは確かにそうです。
エタ風も(オタクだろうけど)かなりリア充みたいでしたし。
彼らはむしろDQN的な女性のあしらいのできる人たちではないでしょうか。
その意味ではある種、言行一致です。
ただ、maximamさんはまた違うんじゃないかなあという感じです。
でもドクさべは離婚経験があったんですか。
>ですが、現在はクーデレというより『クール受け(攻めに対して、そっけなかい受けのこと)』になってきたイメージがあり、いささか後手にまわっている印象を受けます。
ぶっちゃけるとぱんなさん的なスタンスって「経済学の観点から言って女は家庭に戻るしかない」に絞られると思うんですよね。
これはまさにその通りで、非常に頼もしい論客なんですが、ぼくはどうしても女性の内面に立ち入ろうとする「フェミニズムは冤罪そのものである」「女性のセクシュアリティは男性をワルモノにすることそのもの」と言った物言いは、大変わかりやすいと自分では思うんですが、世間に受けはよくないんですね。
それで確かに後手に回っている。
ただ、一番衝撃的なのは本田透が「二次元に撤退するぞ」と言ったその直後、リベラルが「どうぞどうぞ」と言い放ち始めたことです。震え上がらんばかりの残忍さですが、彼らもフェミニズム延命のために手段を選んでおれないのでしょう。
>彼女たちはいわば襲い受け(攻めを押し倒すほど積極的に迫る受けのこと)です。そして、この地球上で最もイケメン(俺様DQN系の攻め)に飢えている正真正銘のメスですよwww
よくある「男子諸君は閲覧注意! 男が知ったらゲンメツする女子のヒミツ!」みたいな漫画を描く人もそうですよね。そもそも男がその漫画をわざわざ読みに来て、しかもどこにでも転がってるような(女もすね毛を剃るだの女同士の猥談はえぐいだの)話で幻滅するものか心許ないのに、「自分は男へと肘鉄を食らわせた」と思い込んでいる。
描くことで恐らく、上のような図式が脳内に浮かび上がり、それが現実と取って代わっているのだと思います。
>やっぱり兵頭さんは良い男ですわ(//∇//)
いや、そんなことはw
>でもドクさべは離婚経験があったんですか。
さすがにドクさべは生粋のDTじゃないでしょうかwww
ただ、反男性差別クラスタの面子には共同親権に関して取り組んでいる方がわりと多く、不幸な家庭を築いてしまったがゆえレッドピルを飲み、この世は女性に支配されていると気づいた元リア充がかなり含まれているんですね。私は彼らよりドクさべの方が可哀想だとは思うんですが、ドクさべ本人がバカ丸出しな唐変木なため、やはり仲間意識は持てないwww
>ぼくはどうしても女性の内面に立ち入ろうとする「フェミニズムは冤罪そのものである」「女性のセクシュアリティは男性をワルモノにすることそのもの」と言った物言いは、大変わかりやすいと自分では思うんですが、世間に受けはよくないんですね。
これは結局女性がそれだけ男性によって守られている証左なんですよね。
フェミニズムは男性を悪者にすることで社会不安を鎮める役割を見事に果たし、結果的に大量の男たちを貧困層へと追いやりました。フェミニストは凶悪犯罪を起こすリスクの高い集団を捏造し、その役目を男に求め、社会不安の想像上のシンボルとされた弱者男性は貧困化の道を自ら選んだとされ、自己責任として片付けられました。
社会不安の元凶となる想像上のシンボルに仕立て上げられた我々に対してバッシングを繰り広げることで、リア充や女性の不安を鎮めることにしたフェミニストはオタク文化をも支配下に置くことで大量のオタクたちに脳改造を施し、勢力を今なお拡大させ続けています。
同じオタクからもハブられた私や兵頭さんは居場所をなくしつつありますが、私はこれからも兵頭さんの数少ない味方ですからね(^ ^)
>ただ、一番衝撃的なのは本田透が「二次元に撤退するぞ」と言ったその直後、リベラルが「どうぞどうぞ」と言い放ち始めたことです。震え上がらんばかりの残忍さですが、彼らもフェミニズム延命のために手段を選んでおれないのでしょう。
これは「オタク=セクマイ」論が該当すると思いますが、リベラル君たちの目的は恋愛市場における競争に敗れた者が抱くであろう不平等感を鎮めることなんでしょうね。
身分制度が建前上は撤廃した民主主義社会は次第に全ての人々に対して平等に社会的地位の向上の可能性が開かれた社会を作り出そうと試みてきましたが、同じスタートラインに立たせ、同じルールの下で競争したところで平等にはなり得ない。
競争に参加する人の家庭が持つ資本及び階級、本人と教育をした者の相性、生まれてから本人に与えられた学習環境/教育環境、競争者同士の能力や適性の違い、その人の特性が恋愛資本主義に適合的であったか否かなど、様々な競争者同士の差異が、勝敗に影響を与えます。そして、これらの差異をスタートラインとルールの下の平等だけで解消することは不可能です。
公平な競争というのはある意味で錯覚です。ある1つの基準から見て公平な競争というのは実現可能かもしれませんが、あらゆる角度から見て公平な競争というのは存在しません。我々の社会では競争に敗れた者がその競争が公平だったと錯覚して不公平感を持たないようにしているだけで実際は遺伝子の時点で差がついているのだから結局モテない者は何をしてもモテない。完全に攻略不可能な無理ゲーと化しているのが現状です。
リベラル君たちは公平に見える競争が実は不公平だったということを隠蔽して、「敗北の原因はあなた自身の弱さ(例えば、努力不足、意欲や意志の弱さ、好ましくないライフスタイル)にある」という言説を垂れ流し、オタク=セクマイ論を展開することで弱者男性を二次元性愛者に規定しました。
彼らはこうして個人の弱さだけに焦点を当てた競争の敗者の物語を作り上げ、その物語の内容は「オタク的なライフスタイルを選択したから、競争に勝てなかったのだ。敗北はお前の自己責任であり、社会や競争のあり方が問題なのではない」という筋書きでオタクに喜んでマウントしております。「フェミの悪口を言っても何も変わらない」「負け犬ほどよく吼える」と言った論理なんかは実に象徴的ですね。
>そもそも男がその漫画をわざわざ読みに来て、しかもどこにでも転がってるような(女もすね毛を剃るだの女同士の猥談はえぐいだの)話で幻滅するものか心許ないのに、「自分は男へと肘鉄を食らわせた」と思い込んでいる。
そうそうwww
実際は女のスネ毛やウ◯コを食べたいと思っている男が大多数であり、オタクにとってはご褒美ですらあるwww
特に最近のオタクは一般男性よりも女好きなため、オタク=草食系といったイメージが薄れ、しまいにはフェミに迎合してしまいました。
この世でオタクほどミソジニーから掛け離れた存在はいないと言っても過言ではなく、女が好き過ぎるがあまり恋愛至上主義を誰よりも内面化し、強いルサンチマンを抱えて苦しんでいるオタクが少なからず今も存在しています。
兵頭さんはオタクからミグタウへと究極の進化を遂げ、私も兵頭さんを脳内で萌えキャラ化し、愛でることで心の隙間を埋めています。今後もミグタウは減ることなく、増加の一途を辿り、勢力を拡大し続けることでしょう。
どうも、コミケ期間中でお返事が滞っております。
>ただ、反男性差別クラスタの面子には共同親権に関して取り組んでいる方がわりと多く、不幸な家庭を築いてしまったがゆえレッドピルを飲み、この世は女性に支配されていると気づいた元リア充がかなり含まれているんですね。
そうそう、彼らには結構期待を持っています。
ただ、この問題について、あまり「男性差別」(でも、「女災」でも「女尊男卑」でもいいですが)といった言い方はなされないように感じていますが、そうでもないのでしょうか。まあ、久米は例外として。
もう一つ言うと、この問題は「フェミニズムという家庭を何よりも深く憎悪するカルトへのカウンター」という性質を持っており、頼もしいと思う一方、「家族のため」という大義名分がある辺り、「男性自身の問題」という切り口がやや見えにくくなる難点もあるようなあと感じています。
だからこそ上に書いたように「男性差別」といった言い方はなされないんじゃないかと。
>フェミニズムは男性を悪者にすることで社会不安を鎮める役割を見事に果たし、結果的に大量の男たちを貧困層へと追いやりました。
そう、まさにフェミニズムは「女性ジェンダー」の一番禍々しい発露です。
何か、「フェミニズムはミサンドリーを許容しない」と寝言をいっている方もいらっしゃいましたが。
>同じオタクからもハブられた私や兵頭さんは居場所をなくしつつありますが、私はこれからも兵頭さんの数少ない味方ですからね(^ ^)
ありがとうございます(^^
>これは「オタク=セクマイ」論が該当すると思いますが、リベラル君たちの目的は恋愛市場における競争に敗れた者が抱くであろう不平等感を鎮めることなんでしょうね。
そうそう、「鎮める」というか、「ミソジニー」という言葉により、不平等感に気づいたものを殺戮するというのが目下の方法論ですね。
>特に最近のオタクは一般男性よりも女好きなため、オタク=草食系といったイメージが薄れ、しまいにはフェミに迎合してしまいました。
う~ん、そうでしょうか。
前おっしゃっていたラノベ読者の質の推移の話と同じことでしょうか。
なんか自分のことが噂されてる!
>ショタとかとホモはそれ以上に違うように思います。
確かにそれは感じますね。ショタ作家であってもプライベートの性的関係は成人とという方が多勢だし、年少者に限らず「男性全般が好き」といった方が。それこそ田亀氏もショタものは描いてらっしゃいますし。
子供そのものへの興味より、子供に男性的魅力を発見しているという感じですかね。だからジャンルとして存続してるのでしょう。
ただ私が言いたかったのは「仲間として扱う」ということではなく、ロリコン(萌えヲタ)がペドと平気で混同されている状況の中でもショタは妙に黙殺されてるなぁということで。
一緒に燃やしてくれと言うつもりは全くありませんが、SNS時代になって距離感が縮まり、逮捕者が出ているような状況も度々あるのにそこを結びつけて叩く人や、当事者内で自省を促すような動きもなく、なんだこの静けさは?という非対称感です。
下手すりゃ記事内のように思春期からLGBTなんて言い出す始末ですから。いやお前らセックスしたんかと小一時間。
海外なんてもっと酷くて、8歳の男の子がゲイをカミングアウトしてドラァグクイーンになったことが「いい話題」にされたり。いやお前勃つんかと小一時間。
こんばんは(^^
ちょっと、crazylab.さんのスタンス次第ではデリケートな話になってしまうのですが、率直に書いてみます。
「ショタが黙殺されている理由」はやはり、「同性愛は全て正義だから」だと思います。
フェミニズムにしてみれば「最強の弱者カード」としてのLGBTはどうしてもキープしておきたい。だからロリコン(ペドファイル)をとっかかりにヘテロ男性の全てを悪としたい一方で、「ホモは絶対に悪いことをしない」という「設定」をあくまで守りたい。
だから彼女らは少年愛者が子供をレイプしても、それを絶対に認めません。
>海外なんてもっと酷くて、8歳の男の子がゲイをカミングアウトしてドラァグクイーンになったことが「いい話題」にされたり。いやお前勃つんかと小一時間。
少年愛者が子供をレイプして、その子供も少年愛者に……といったことが往々にしてあるようですが、フェミは「理念のため」その「同性愛再生産」を肯定したくてたまらないのでしょうね。
海外でカミール・パーリアという「フェミニストを批判するフェミニスト」みたいな看板の人がいるのですが、この人もペドファイルを擁護している人です。
(この人の本は読んだことがなく、あくまで想像なのですが)アメリカのネオリブみたいな人なんじゃないでしょうか。