さて、ちょっとまずお報せから。
前回、前々回記事を読んでいただけたでしょうか。
青識亜論「ツイフェミはフェミサイドを治癒しない」を読む
赤田祐一の「ショックのパー」な言い訳
久し振りに新規記事を連発してゴキゲンを伺っておりますが、何とこれら二つともにビッグな不手際が発覚。
後者は「ロボパー」の解説がなく、私のような昭和特撮に通じているインテリ以外には少々高尚すぎる内容に。
前者は「パレットーク」師匠の主張の要約に不足部分があり、これもわかりにくいものになっております。
そんなわけで、今さらですが加筆をしておきましたので、そこだけでも読んでいただけると幸いです。
――というわけで本題。
ピル神(本名:ピルとのつきあい方(公式)@ruriko_pillton))が凍結されました。
何があったのかはわかりませんし、ぼく自身は彼女に否定的なわけで、ことさらにこの件についてモノを申す立場にはおりません。
しかし、何というか事後の静寂ぶりには不気味なものを感じます。
togetterでは一応、本件についてのまとめが作られました。
しかしこのまとめ、pv数は7554、着けられたコメントは30。
彼女の全盛期と呼んでいいであろう、四年前のまとめ、ネオリブの産声 を見るとpv数56483、コメント221。
もちろん単純に比較できることではありませんが、いかにも寂しい様子です。ちょっと前であれば類似のまとめがいくつも作られる騒動になっても不思議のない大事件なのですが、今回、他にまとめられてはいない模様。本当に幾人かを除いて沈黙している、という印象です。
例えばですが、青識亜論など本件について何も言っていないのでしょうか。これはあくまでまとめにないというだけで、或いは本人は何か言っていたのかもしれませんが。
そもそも、近年togetterでこの種のまとめが作られること自体がかなり少なくなっている印象があり、或いは、まとめ人が何人か仕事をしなくなったということなのかもしれませんが、いずれにせよこの種の連中(要するに「表現の自由クラスタ」)がかなり力を失っているという気もします。
ともあれ、今回含めしばらくはピル神関連記事の再録を考えているのですが、まず今回は「2017年度女災流行語大賞(2017/12/29初出)」の中の記事の第7位、8位だけで、本当に短いもの。
そんなわけなので、まずは再録した上で、ちょっとオマケの加筆を行おうかと思います。
ちなみに「流行語」と言っていますが、それは言葉のアヤで、お歴々のケッサクな発言を採り挙げ、ツッコミを入れるというのが本企画の趣旨です(ピル神は凍結されてしまい、残念なことに元のツイを辿れなくなっていますが……)。
では、そういうことで……。
* * *
第8位 日本のフェミニズムの夜明けを目指すべく立ち上がったネオ・リブの女たち
――さすが多摩湖♡ナルコレプシー
第7位 2017年にネオリブが生まれたことは歴史的必然、大きなうねりに成長していく
――ピルとのつきあい方(公式)
何という頼もしい宣言でしょう!
「ネオリブ」の具体的な理念、方針は全然わかりませんが!!
さてこの「ネオリブ」、ウィキにも掲載された、れっきとした……え~と、すみません、ウィキにはまだ載っていません。どうも、ウィキに載せようとしたモノの、断られた形跡が見て取れるような*4……何てケツの穴が小さいんだ、ウィキ! みんなで根拠のないデタラメを書き込むことで嘘を真実に変える、『ダンガンロンパV3』みたいなところがウィキの醍醐味だったのに!!
しかし、それにしても、そのウィキにすら否定されるネオリブは……あ、いやいやいやいやいや!!
ともあれ、ウィキには適わなかったモノの、ピル神は「碧志摩メグを規制したのは武田邦彦氏の発言がきっかけ」といったデマを流して信者(原田実師匠)に信じさせたり、或いはおっぱい募金を全否定しながら、その事実を信者から批判されなかったり*5といった数々の「超力」を発揮していらっしゃいます。彼女らに帰依することでぼくたちもまた、「超力」を得ることができるのです!
もう一つ、彼女らの優れた政治性について指摘しておかねばなりません。彼女らは従来のフェミニズムの批判者、というスタンスを気取っていますが、専ら「まなざし村」とやら言われる「野良フェミ」について述べるだけで上野千鶴子師匠とかについては何も言わないのですな。いえ、彼女らも北原師匠や確か、千田有紀師匠も批判していたはずで、その意味ではまんざら「野良フェミ」にだけケンカを売っているわけではない。しかしこれは、むしろ彼女らの「後退」を示しています。
少し前まで「ツイフェミ」は悪者、アカデミズムには真のフェミがいる、というのがリベラル君の口癖だったのが、だんだんと名のあるフェミも擁護しきれなくなり、今年はとうとう牟田和恵師匠をも批判せざるを得なくなりました。牟田師匠もアカデミズムの世界にいる、上野師匠に近いフェミであり、この人までダメならもう、フェミニズムそのものがダメであるとしか言いようがないと思うのですが、彼ら彼女らはそれだけは決して認めようとはしません。ピル神など、ぶっちゃけ非常に古い人で(その意味でリベフェミという自己申告は半分くらい当たっているのかも知れません)、リベラル君が彼女を担ぎ出している現状は、にっちもさっちもいかなくなり、お古を整理ダンスから引っ張り出してきたようなもの、というのが本当のところです。
ピル神や多摩湖師匠の「ネオリブ」宣言は本当に捨て身のダイブだったのですが、しかしそれでは彼女らはフェミの根本理念、分けても彼女らが批判している(はずの)ラディカルフェミニストの「ジェンダーフリー」などに対し、どう思っているのかがさっぱりわからない。「ネオリブ」はリベラル君たちの大好きな「女性差別が許されぬのであれば男性差別も許されない」といったふわっとした観念論は大いに唱えますが、それならばそもそもフェミニズム(この社会にはまず、絶対的な男女格差がある、という世界観)自体に意味がなくなることについては、徹底的に無関心なのです。
*4「ノート:ネオ・リブ」
「削除依頼/ネオ・リブ」
*5「おっぱい募金への反対論者との議論」
* * *
――以上です。記事の一部の再録なので「*4」などもそのままにしておきました。
ピル神と表現の自由クラスタはずっと、二人三脚で進んできました。
多摩湖師匠は「フェミニストと名乗ることは止めた」などと言った後も平然とフェミニストとして発言をしていますが、それをとがめた表現の自由クラスタというのを、見たことがありません。
彼ら彼女らは「フェミニズム」の看板を守ることが唯一の目的であり、「フェミニストを名乗るのを止めた」などと言ったところで、別にフェミニズムをまともに内省し、批判することなど夢にも考えてはいない。単に世間の目を気にして言ってみせただけなのです。そしてそれは表現の自由クラスタも同様でした。
しかし、そこへ持ってきて本件です。
いくら何でももう少しみんなで彼女を応援するなり何なりがあってもいいのに、この静けさ。ありていに言ってみんな不人情だと思います。
さて、こうした流れの原因として、先には表現の自由クラスタ自体の弱体化を挙げましたが、実のところもう一つ、もっと大きな理由があるのではないか……とぼくは想像します。
つまり、「TERF」の件ですね。
当初、この業界で「TERF」という言葉が流行った時点では「悪のツイフェミがトランス様の権利を否定しているぞ」との論調が濃厚でした。
ピル神は単純に、女性側の権利を侵害する者としてトランスを批判し、そして女性の権利を省みず、ただリベラルのヴァーチャルなお題目を掲げることを目的とする表現の自由クラスタはトランス側に立った。
しかし普通に考えて今のLGBT、トランス側の主張が正しいとは到底思われない。近年の女子スポーツへの侵略ぶりなどから、「さすがにトランスはおかしくね?」という方へと潮目が変わってきた。
(しかし以前より、リベラル側のトランス擁護は無理矢理なものでした。例えば学校の女子トイレにオカマが自由に入れることに、普通の女性は異を感じたりしないのだ、そうでなければならないのだ、とするリベラル君、例えば坂爪真吾の言い分が正しいとは、とうてい思われません)
表立っては騒ぎになった様子もありませんでしたが、水面下では結構、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開されていたんじゃないでしょうか。
実際、ぼくが『WiLL』様で「Save James」の件を書いた時、表現の自由クラスタはガン無視(匿名用アカウント氏はこの件に腐心し、白饅頭に採り挙げてほしいと進言したのですが、無残に無視されました)、ピル神が珍しく賛同してRTしてくれたのは何とも象徴的です。
記事には以下のようにあります。
ピル神など、ぶっちゃけ非常に古い人で(その意味でリベフェミという自己申告は半分くらい当たっているのかも知れません)、
ピル神は70年代のウーマンリブの世代の方と思しく、均等法のない当時は「法改正によって男女平等を実現する」とのリベフェミの方法論が意味を持っていた。
しかし均等法が通って以降も彼女らの満足する結果を得られず、やむなく「だんじょのじぇんだーきはんがいけないのだ」と無理難題を持ち出し、ジェンダーフリーというラディフェミ的思想を唱え出した……というのが近年のフェミの動向であり、言わばオカマを自軍の兵器として抱え込もうという発想もこれに端を発しているわけです。
表現の自由クラスタは「過去の世界」に戻ってまで、自分たちにとって都合のいいフェミを探してきたが、しかしそれはやはり、自分たちの乗っかっているパラダイムにはそぐわないものであった。
そこで、両者に齟齬が生じ始めた。
いずれにせよぼく自身はピル神を評価するものではないけれども、表現の自由クラスタの身勝手さ、冷酷さには戦慄を覚えずにはいられません。
今の彼らの脳内では、このようなフレーズが響き渡っているのではないでしょうか。