「あ、わたくし、悪の組織ブラック団の幹部を務めさせていただいております、山田と申します」
「あ、これはこれはご丁寧に。わたし、ダジャレンジャーの隊長をやらせていただいておりますダジャレッドです」
――以上、三十年ほど前の『サンデー』で読んだ漫画『ダジャレンジャー』についてうろ覚えの記憶で再現させていただきました。
悪の組織が丁寧に名刺を出してきて、また正義の戦隊も背広で中年太りのおっさんが務めている。必殺技のバズーカもおっさんが五人で抱えて発射。
まあ、そういう大変に面白い漫画です。
後書きかなんかで作者の「この漫画でニヤリと来た方、お手紙ください」といったコメントが書かれていたのですが、どうも代原と思しく、恐らくこれ以降、この漫画家さんの作が掲載されることはなかったと思います。
一読してのぼくの感想は、「うわ、まだやっちゃってるよ、この人」といったもの。
80年代は大手漫画雑誌で、オタクな漫画家がオタクの読者に届くよう、密かに暗号のようにオタクネタを紛れ込ませていました。ところが上の漫画はもう、オタクネタもかなり広範囲に渡って浸透していた頃。後書きでのメッセージ含め、「ものすごい時代遅れだなあ」というのが読後感でした。
さて、ぼくが『シン・ウルトラマン』の予告で「メフィラスの名刺」を予告で見た時、真っ先に思い出したのが上の漫画です。
ツイッターでも「どうにも80年代のセンスだ」と書きましたが、同時に「特撮愛のないヤツがドヤ顔でやりそう」感もあります。
ぼくの好きな特撮同人作家さんが、
樋口さん庵野さん辺りが手がけるウルトラマンだともう見る前に「スプーン掲げて変身する中途半端なパロディとかドヤ顔でやりだしたらどうしよう」みたいな余計な心配する必要なくていいよな。そういう心配しちゃうんだよ我々ウルトラファンは。
と言っていたのですが、「いや、そのまさかをやっちゃったんじゃ……」というのがぼくの感想でした。
「禍威獣」とかやっちゃうセンスもそんな感じ。居酒屋のシーンも、実相寺っぽいって感じでもないし。割り勘とかまさか、あそこで笑わせようとか、してないよなあ……?
――いや、結論から書くと本作、よくできてたし鑑賞後の満足度は大変に高いものでした。基本、「よかった!」と思っているので、こういう構成は批判を読みたい人からも感動を共有したい人からも誉められなさそうですが……まあ、以降は「基本よかったけど、それでも感じた不満」について述べていこうかと思います。
ちなみに、ネタバレ部分は基本、固有名詞をぼかすことで対処しています。
また、今回「女災」とは基本、関係ありませんが、「狙われない女」の項だけはちょっと、その辺にかすっています。
以降、そういうことでよろしくお願いします。
あ、それと『Daily WiLL Online』様で海外でのLGBT教育事情についての記事も書いております。
こちらもよろしく。
・『シン・ウルトラマン』は怪獣の世界ではない
満足感は大変に大きい本作ですが、一言で言うと本作、『ウルトラマン』マイナス「怪獣」といった感じです。
まず冒頭では禍特対(このネーミングもなあ……)設立前史のような感じで、『ウルトラQ』の怪獣が地球を(否、日本を)襲ったことが語られます(何でゴーガだけあんな名前になったんだろう?)。
映画上のリアルタイムで登場する怪獣が立て続けに四足獣というのも、何だか『Q』の世界観を引き継いでいるようでわくわくさせられます。公式設定でどうなっているかは知りませんが、『マン』の世界観は『Q』と同一線上にあり、怪獣事件の頻発が科特隊設立のきっかけとなった――というファンの中で語られることの多い設定を、今回採用した形です。『マン』のアイツが脚本段階では『Q』のアイツの再登場として書かれていたという裏事情も拾っていますし。
レッドキングやゴモラなどの定番怪獣が出ないのは寂しいものの、近年、格闘のさせづらい四足獣は忌避される傾向にあるので、それを出してくれたのは嬉しい。
しかし「怪獣が自然由来じゃない」って線は止めてくれよ……と思っていたら、見事にそれ。
この辺から微妙な違和感が頭をもたげ、そしてその違和感はだんだんと大きなものになっていくことになります。
ダメ押しは○○○○が、「何か、ヘンなメカ」として登場したこと。
これ、仮にロボット怪獣でもいいから怪獣として出していれば、一応は「怪獣もの」としての体裁を取れるのに、何でこうなったのか。怪獣にしちゃいかん理由はないはずで、本当に理解に苦しみます。
・日本は狙われている、今……
本作の本番(本当に映画としての本番)は今回、びんぼっちゃまクン的な新解釈のなされたアイツが出てきてからです。
地球に「外星人」が介入することで起こる悲劇が本作のテーマであり、移民やコロナ問題に通ずる今日日的なテーマが選ばれているわけなのですが、そうなるともうこれ、『マン』じゃなくて『セブン』ですよね。
『マン』は本来、「怪獣の世界」でした。毎回変わった怪獣が登場することこそがメインのコンテンツであり、ウルトラマンは事態を収束させるための「最強の怪獣」でした。
しかし『セブン』はまず、恒星間の侵略戦争に巻き込まれた地球を舞台にした、宇宙とメカがテーマとなった作品、怪獣はオマケと言ってしまうと極端ですが、その重要度は低くなっていたことは事実です。
この恒星間戦争という着想自体、アイツの言ってたことといっしょだし、まさにアイツがずっと人間体でいたことが象徴するように、本作は『セブン』寄りだったと言えます。
まあ、好意的に解釈するならば『Q』から『セブン』までを一気に消化した、「シン・ウルトラ第一期」とも呼ぶべき映画だった、とも言えるのですが……。
棘だか何だかで、「もし『シン・ウルトラマン』が3クールのテレビシリーズだったら」みたいな大喜利をやっていましたが、むしろ制作者こそそういう感じで本作を作っていたのでしょう。恐らく初期クールの感じを冒頭の四足獣戦で象徴させており、それはいいのだけれど、結局、お話としては「対外星人」となってしまった。これは30分のアンソロジーシリーズである原作を映画でやってしまったがための、止むナシの処置という面もありましょうが。
・小ネタへの愛をこめて
他にも細かいことを言えばまず最初にウルトラマンが出てきた時、体色は銀一色。次に赤いラインの入った状態で出てくる。ところがエネルギーが足りなくなるとグリーンになる。
何だそりゃという感じですが、特に意味はありません。
じゃあ、普通にカラータイマーをつけてもよかったんじゃないかなあ。
(ただ、昭和二期に雑誌記事でウルトラの星の平民の体色はグリーンだったという記事が載ったことがあるらしく、その辺を拾ってきたのでしょうが)
最初に出た時の顔はAタイプと思しく、ウルトラマン自体のスタイルの変遷によほど深い意味があるのかと思いきや、別にそんなことはなかったぜ。
後、一番わからないのはウルトラマン、終始無言なんですね。
あの「シュワ」という声を一回も発さなかった。
この映画、BGMは言うに及ばず、SEなどがあちこちで今風のガジェットに転用されています。
細かくネタを拾ってくれるのは嬉しいのですが、例えば流星マーク通信機の呼び出し音を着信音(だっけ、うろ覚えですが)に転用するなど「今風に再解釈しましたよ~」と言いたげで、例の名刺ほどではなくとも、少々鼻につく気もしました。
そこを、ある意味では一番肝心とも思えるウルトラマンの声を出さなかったことに理由がないはずがありませんが、それがわかりません。こここそオリジナルを尊重して、中曽根雅夫氏の声を使うべきではなかったでしょうか。
そこまで丁寧に作られているくせにあの手のひらの変身シークエンスはただ、奇をてらっただけという感じで今一。
後、正直CGもよくできてるけどスペシウムのシーンは今一で、きぐるみで表現してもよかったんじゃないかなあと。
・狙われない女
ただ、例の名刺のアイツ以降はお話としてはよくできていたと思うし、いずれにせよこれら要素が全て、「ウルトラマンが地球人を好きになる」というテーマへと集約していくところは感動です。
プロットもあの最終回へと収束させるため、帰納的に考えられたのでしょう。
○○○○が悪(否、人類を裁く超越者)なんてのはもう、三十年遅れのネタなんですが、これは恐らく「○○○○が○○○○を操る」とのウルトラ第一期書籍の誤記を拾ってきたものでしょう。
しかし同時に思ったのは、あまりに神永が無感情で、今一話に没頭しにくい。元の『ウルトラマン』はそもそもドラマ性(情感に訴える部分)は希薄な上、むしろ「科特隊そのもの」が主役と言え、一つの人格を形成していたため、観ていて感情移入ができたのですが、先にも述べた「テレビシリーズ的なことを映画でやった」ことの弊害として、その辺りがあったように思います。
当初はあった神永と浅見のキスシーンがカットされたとも伝えられていますが、何にせよ浅見が神永を平手打ちするシーンなど、「そもそも、(裏切られたと感じる前提としての)そこまで信頼関係を築くほどの描写なかったんじゃ?」との印象を持ちました。
お話としてはウルトラマンの神永、或いは地球人全体への好意こそがテーマと言うべきであり、その辺りは少々、描かれ方が雑という感じなんですね。
本作、アフターフェミ作品だけあって、浅見が神永に突っかかり、もう一人「何か、イバってるおばさん」が(いなくていいのに)存在しているという、「アフターフェミ世界のルール」に則った構造を有しています。そこは見ていて正直、あまりいい気持ちはしませんでした。
しかし全体で見ればこれは要するにウルトラマンが神永という人間を好きになる話であって、浅見は考えようによっては当て馬と言えなくもなく、そうした一流の「バディもの」に女を形だけ、ルールに則って出してみました、という辺りに痛快さを感じなくもありませんでした。
――とまあ、ごく簡単な感想を……と思っていましたが、それなりの文字数になりました。ぼくが指摘した「拾ってきた云々」にニヤリと来た方、コメントください。
ゾフィー(宇宙人ゾーフィと呼ぶべきかな)が実はラスボスみたいなネタを拾ってくるとは夢にも思っておらず、映画館で驚きのあまり思わずひっくり返ってしまいましたwww
終始ノスタルジーに溢れた本作を一言で形容するならば、昔のオタクが作った同人ムービーといったところではないでしょうか。
シン・ゴジラが3.11を下敷きにした風刺映画だったのに対し、シンマンの方は純粋に娯楽に特化したオタク向け映画だったなあというのが正直な私の感想です。
個人的にはラストの駆け足気味な展開から急に米津さんのエンディングが流れ始めたところでテンションがダダ下がりになりましたが、そこに至るまでの道のりは概ね百点満点だったと思います。
妙にスリム化したメフィラス星人や天体制圧用最終兵器という名の使徒(笑)にされてしまったゼットンも決して嫌いではないのでソフビが発売されたら購入しようかなあと思っておりますwww
この調子でシンライダーも制作していただけたら幸いなのですが、俳優の顔を見た瞬間これじゃない感で胸の内がモヤモヤしております(やっぱり、藤岡さん以外の本郷猛は考えられないなあ)。
>「アフターフェミ世界のルール」に則った構造を有しています。
その割にフェミ様からはセクハラ云々言われてらっしゃるというね。まあ、いつものパターンなので驚きもしませんでしたが。
浅見役を長澤まさみでなく、渡辺直美みたいな怪獣……じゃなくて美的規範から外れた女性にすれば多様性の観点から拍手喝采だったのではないでしょうかwww
何にせよ、令和時代に昭和の特撮のDNAを復元しようとする殊勝な試みには頭が下がりますし、ポリコレに屈しない日本独自の特撮文化を再興すべく努力しているのが伝わってきました。
融和路線が絶対正義のように掲げられた現代の特撮作品におけるアンチテーゼとしてシンマンは今後も存分に機能していくのではないかと期待しておりますが、いかがでしょうか。
娯楽としてはよくできてたし、泣かせるポイントも充分にあるんですよね。
だから基本、点数は高いです。
>融和路線が絶対正義のように掲げられた現代の特撮作品におけるアンチテーゼとしてシンマンは今後も存分に機能していくのではないかと期待しておりますが、いかがでしょうか。
そうそう、例えば『シン・セブン』なんかやって「ノンマルト」蒸し返されたら「あ~あ」って感じじゃないですか。
本作はウルトラマンと地球人の関係性を讃える一方で、外星人の危険性も描くという感じで、何とかバランスをとろうとしていたという感じでしたね。