結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年7月4日 Vol.275
はじめに
おはようございます。結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
* * *
新刊の話。
『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』が無事に刊行されました! アマゾンの微積分・解析でもランキング第1位になりました! みなさんに感謝です。
出版社からは、紙と電子の同時配信となりました。ただ、 電子書店さんによっては実際に配信されるのが遅くなる場合があります。 もうしわけありません。
◆『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』
https://note9.hyuki.net
また、Webブラウザですぐに読める《立ち読み版》も、 出版社から届いています。目次から第1章までまるまる読めます。 立ち読み版ですので、もちろん無料。登録も要りません。 よろしければ、ごらんください。
◆『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』《立ち読み版》
http://ul.sbcr.jp/MATH-plQaU
恒例の先行販売となっている《サイン本》や、 《メッセージカード》が同梱されている本についても、 読者さんがたくさんツイートをしてくださいました。 ほんとうにありがたいことですね。
◆『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』サイン本&メッセージカード 取り扱い店舗一覧
https://bit.ly/note9msg
結城の本が入荷したことは、 多くの書店員さんもツイートしてくださっていました。 現代では、多くの書店さんがTwitterのアカウントを持っていらっしゃるのですね。 お忙しいところ、ツイートありがとうございます。
* * *
思い出話。
書店員さんのツイートを見ながら、 結城はむかしのことを思い出していました。
結城が書いた最初の本が出版されたとき、 私は妻と二人であちこちの書店に電話を掛け、 書店員さんに「入荷していますか?」と確認したのです。 家の固定電話だったか、 電話ボックスだったかは忘れましたが、 ともかく妻と私は受話器に耳をくっつけて書店員さんの「ありますよ」 や「いや、ないですね」という返事を聞いたのです。 結婚して数年目、いまから四半世紀も前の話。 とてもなつかしい思い出です。
現在はTwitter経由で書店員さんのツイートを見ることができます。 技術は変化し、環境も変化しました。 でも、新刊が出るときの喜びと感謝は変化しません。
みなさん、いつもありがとうございます。
* * *
《サイン本》の話。
結城の書籍は毎回《サイン本》が先行販売されます。 一冊一冊、書籍の奥付に「スレッドお化け坊や」という結城のキャラクタと、 Enjoy!というメッセージ、それに結城浩という名前を書くのです。 多くの読者さんは、結城の《サイン本》ゲット!を 「お楽しみ」として喜んでくださっています。 ありがとうございます。
でも、《サイン本》に関しては、いつも申し訳なく思っております。 それは、《サイン本》の冊数が少なく、 どうしても首都圏への配本が多くなってしまう点です。
いちおう「北海道から沖縄まで」《サイン本》は送られています。 ですが、途中の地域がたくさんスキップされていますので、 ご不満を抱かれる方もいらっしゃるはずです。 「《サイン本》を手に入れたいのに、近くで売ってないよ!」 というお気持ちは、ごもっともです。ごめんなさい!
どの書店さんに何冊ずつ配本するかについては、 書店さんと出版社さんのやりとりになりますので、 結城はノータッチです。 読者さんが書店さんにご要望を出していただければ、 もしかしたら、配本の割合が変化するかもしれません。
限られたリソースではあるものの、 読者さんにいろんな意味で喜んでいただけるよう頑張っております。 不行き届きな点も多数ありますが、ご寛恕ください。 新しい本が出ることを通して、また新たな方が、 数学ガールの、そしてとりも直さず、 数学そのものの面白さに出会っていただければうれしいです。
* * *
「自分の数学」の話。
新刊『数学ガールの秘密ノート/積分を見つめて』が刊行されたこともあり、 結城は連日「数学ガール」のことをツイートしています (まあ、いつものことかもしれませんが)。
そんな中、くちもちとくらさん(@kutimotitokura)のツイートで、 結城は涙が出てきました。このツイート(と写真)です。
--------
数学ガールの話題がよくTLに流れてきたから出してみた。
このノート全部中学校のときに書いた、
授業外の数学のノートなんだけど8割数学ガールから派生したノートなんだよな…
それほど数学ガールは面白かった。
この正五角形の作図も数学ガールにひかれて1ヶ月考えたもの。
ほんとに凄い。感謝!!
--------
https://twitter.com/kutimotitokura/status/878558059068506112
この方のツイートによれば「授業外のノート」ということ。 中学生が、授業とは別に、 本を読んで自分の興味でこれだけ書いたということですよね。 いわば「自分の数学」をしたといえるでしょう。
自分の本が、中学生の学ぶ大きなきっかけになったこと、 これは著者として感謝な経験だと思います。
結城は本当に感動しています。
この方からはさらに「冒険できるような本書いてください!」 というリプライがやってきました。
「冒険できるような本」(!)
すごい課題をいただきました!
* * *
言葉が内包しているものの話。
結城は子供の頃、母親のひとことに驚嘆したことがあります。
結城「ねえ、お母さん。『食べ過ぎ』って良くないの?」
母親「あのね、浩ちゃん。『〇〇過ぎ』というのは、
すでに『悪い』という価値観が含まれた表現なのよ」
結城「!!」
なるほど、確かに!
良し悪しとは限らないけれど、 「○○過ぎ」や「○○し過ぎ」というからには、 何らかの基準があって、それを越えているわけですね。
大げさにいうなら、概念は言葉で表現された時点で、 いろんなものを内包してしまうのかもしれません (差別的な表現の例をいくつか思い浮かべました)。
* * *
「なぜ私が怒っているかわかる?」の話。
Twitterで「なぜ私が怒っているかわかる?」 という問いかけが話題になっていました。
このような問いかけは実際には質問ではありません。 相手への非難だったり、相手への圧力だったり。 質問の形式なんだけれど、実際には別の目的があり、 それは程度によっては「暴力」になるという話題です。
これも、レトリカル・クエスチョン(修辞疑問) の一種なのでしょう。
結城は、言葉とコミュニケーションの話題に関心があります。 「暴力」は困りものだなあ……と考えているうちに、 コミカルなシーンがいくつか頭に浮かんできました。 特に、火に油を注ぐようなシーンです。
シーンその1。
「なぜ私が怒っているかわかる?」
「怒っていることはその問いでわかったけど、理由はまだわからない」
シーンその2。
「なぜ僕が怒っているかわかる?」
「それはオープンクエスチョンといって、会話が広がるいい問いよ」
シーンその3。
「なぜ私が怒っているかわかる?」
「君が怒っている理由はわからないけど、
僕が恐れている理由は君のその問いだ」
シーンその4。
「なぜ私が…」
「あーっと、ごめんごめん!」
「なぜ私が怒って…」
「怒ってるんだよね!だよねー。悪かった!
全部僕が悪い!ごめーん!すまん!」
「怒ってるか、わかる?」
「だから謝ってるじゃん(怒)」
「そういう態度に怒ってるの(怒)」
まじめな話をしましょう。 「なぜ私が怒っているかわかる?」 のような問いかけは、 コミュニケーションの品質を落とすことが多いと思います。 なので、もしも口癖になっている人がいたら、 注意した方がいいですよ。
恋人同士や夫婦での「じゃれあい」ならまだしも、 仕事でこの種のレトリカル・クエスチョンを多用するのは、 特によくないと思います。
◆『私がなんで怒ってるかわかる?』はモラハラ(精神的DV)?
https://togetter.com/li/1122316
シーンその5。
「どうして私が笑ってるか、わかる?」
「わからない…」
「あなたと一緒にいるから!」
「(はーと)」
「(はーと)」
こういう対話なら、平和でいいんですけどね。
* * *
質問。
「懐の深さ」は、どんなところにあらわれますか?
回答。
自分がとっくに知っていることを、 他人から訳知り顔に言われたときの応対にあらわれます。
「そ、そんなことはボクも知ってたもん!」 というのは大人げないですね。
(でも、結城はよく言いたくなる……)
* * *
「Yahoo!カテゴリ」の話。
「Yahoo!カテゴリ」が終わりになるとのニュースがありました。
◆日本のヤフーが1996年開始のディレクトリ検索を終了へ、時代の変遷を象徴するニュースだ
http://jp.techcrunch.com/2017/06/29/yahoo-to-shut-down-directory-search/
むかしからネットを使った身としては、感慨深いものがあります。
Yahoo!JAPANのディレクトリに掲載されるというのは、 Webサイトにとって自慢できることの一つでした。 もちろんSEOの上でも重要です。 結城も当時、 自分のWebページをYahoo!JAPANにせっせと登録しようと試みました。
でも、その手続きはなかなかアナログ(?)でした。 自分のWebページのURLをYahoo!JAPANに送ると、 Yahoo! JAPANのサーファー・チームが見て、 適切なサイトなら登録するという作業を行っていたからです。 何だか牧歌的な話ですね。
このたびYahoo!カテゴリが終了になるということで、 結城のサイトが掲載されているところを、 記念撮影(スクリーンショット撮り)しておきました。
一つの時代が終わる感覚があります。
* * *
トレーディングの話。
VALUというサイトが話題になっていました。 あまり詳しくは知らないのですが、 株式のように個人の人気を売り買いするサイトのようです。 おもしろそうなので登録しかけたのですが、 何となく「うーん」と感じたので登録を取り消しました。
何が気になったかというと「責任」の所在です。 自己責任で気軽に試すネットサービスとは大きく異なり、 株式公開に近い「責任」を不特定多数に対して負いそうだと感じたのです。 そんなことは結城にはできないので、登録は中止。 VALUは有名ですので、特にリンクはしません。
そんなこんなしているうちに、 NILUというVALUのパロディサイトが登場しました。 こちらも形の上では同じなのですが、 実際のお金はやりとりされず、「無」を売り買いします。 NTCという名前のまったく価値のない通貨(?)をやりとりするのです。
これだけでも十分に楽しいですね。
◆結城浩のNILU
http://bit.ly/hyuki-nilu
なお、リアルなトレーディングのお話はまた後ほど。
* * *
モナとミナの話。
仮想通貨モナコインの「モナ」という単位を見るたびに、 聖書に出てくる「ミナ」という単位を思い出します。 こんな場面です。以下、新改訳聖書からの引用。
さて、最初の者が現れて言った。 『ご主人さま。あなたの一ミナで、十ミナをもうけました。』 主人は彼に言った。 『よくやった。良いしもべだ。 あなたはほんの小さな事にも忠実だったから、 十の町を支配する者になりなさい。』 (新約聖書ルカによる福音書19章17節から18節)
この聖書箇所で「ミナ」というお金はたとえ話として使われています。 いろんな解釈がありえますが、 結城は、神さまが自分に与えてくださった能力や機会をどう活かすか、 という観点で考えることが多いです。
人によって天与の能力は異なります。 そこはまったく平等じゃありません。 能力が高い人もいれば、低い人もいます。 それを、与えられた分に応じて活かすことが必要。 天与の能力が少ないからといってそれを活かさず、 ふろしきに包んでしまっておいてはいけません。
この聖書箇所を読むたびに、そんなふうに思います。
私は「ほんの小さなこと」にも忠実だろうか?
* * *
それではそろそろ、 今回の結城メルマガを始めましょう。
どうぞ、ごゆっくりお読みください!
目次
- はじめに
- 仮想通貨でトレーディング
- 小学生の子供に『数学ガール』を読ませるのは早いでしょうか? - Q&A
- 恨みと羨みに代わるもの
- おわりに