Vol.282 結城浩/ネガティブなセルフブランディング/夫婦の対話/紙か電子か/

結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2017年8月22日 Vol.282

はじめに

おはようございます。結城浩です。

いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。

先週は変な天気の一週間でした。 暑いわけではないけれど、曇天や土砂降りが多く、 どよんとした気分になることが多かったですね。 気持ちがどうも上向きにならず、たいへん困りました。 暑いのも困るけれど、曇りも困りものです。

今週はどんな一週間になるでしょうか。

 * * *

まずは訂正とお詫びから。

先週の結城メルマガVol.281で大きな間違いがありました。 ネギを切るときの手間の話で、O(n)とO(log n)の定義を間違っていました。 ざっくりいえば、不等号の向きを逆に説明していたことになります。

 O(n)の説明の部分:

 正:たかだかnの定数倍の手間
 誤:nの定数倍以上の手間

 O(log n)の説明の部分:

 正:たかだかlog nの定数倍の手間
 誤:log nの定数倍以上の手間

以上、お詫びして訂正いたします。

 * * *

「夢空間への招待状」の話。

「夢空間への招待状」というのは、 結城が「Oh!PC」というコンピュータ月刊誌に連載していた読み物です。 いまからもう20年以上も前のことです(!)。

ずいぶん以前からWebで公開していたのですが、 今回、スマートフォンでも読みやすいように、 レスポンシブデザインに直しました。

フロッピーディスクが登場するくらい古く、 クラウドなんて影も形もない時代の読み物です。

今回レスポンシブデザインに直すために読み返しました。 結城が結婚した前日に書いていた文章(初めての経験) も入っていて、とても懐かしいですね。

 ◆初めての経験
 http://www.hyuki.com/dream/notebook.html

現在の私にとって興味深い文章もいくつかありました。

 ◆若くなければプログラムは書けないか
 http://www.hyuki.com/dream/strategy.html

力が入りまくった「若い文体」があちこちにあり、 恥ずかしいのも事実です。

 ◆不安を感じるプログラマの君へ
 http://www.hyuki.com/dream/letter.html

お時間がありましたらご笑覧ください。 連載記事のうち40本ほどを無料公開しています。

 ◆夢空間への招待状
 http://www.hyuki.com/dream/

 * * *

ボットか人間かの話。

Twitterには、 主としてプログラムがツイートを行っているいわゆる「ボット」がたくさんいます。 たとえば、結城自身もボットのアカウントを持っています。 ふだん自分がツイートしているのは @hyuki ですが、 毎日一回ツイートしている @hyukibot というアカウントはボットです。

 ◆結城浩(自動投稿)ボット
 https://twitter.com/hyukibot

Twitterのアカウント名を与えると 「ボットか人間か」を識別するWebサービスはあるかな? という疑問を以前抱いたとき、 ある方から、以下のBotometerというサービスを教えていただきました。

 ◆Botometer - ボットかどうかを判定するサービス
 https://botometer.iuni.iu.edu/#!/

このBotometerにアカウント名を入れると、 「ボットといえそうな割合」をパーセンテージで教えてくれます。

たとえば、結城のアカウント(@hyuki)と、 結城のボットアカウント(@hyukibot)と、 それからサンプルとしてマザーテレサのボットアカウント(@MotherTeresaBot) を比較してみました。

 ◆Botometerの実行例

2017-08-21_botometer.png

これによると、

 マザーテレサのボットアカウント(@MotherTeresaBot)…… 77%
 結城のアカウント(@hyuki)…… 17%
 結城のボットアカウント(@hyukibot) …… 40%

となりました。 うん、何となくそれっぽい動きはしているようですね。

ところでどうして「ボットか人間か」が気になったかというと、 結城のアカウントをフォローしている人のうち、 何割がボットなんだろうと考えたからです。

原理的には、 結城のフォロワー一人一人をBotometerに掛ければ、 全体の何割がボットなのかは調べられそうですが……

 * * *

「○○ガール」の話。

あるとき、@tricken 氏の以下のツイートを読みました。

(引用開始)

 https://twitter.com/tricken/status/893656712976023552

ところで単一キャラとしての「〇〇ガール」でなく、 対話篇としての「〇〇ガール」を考えた時にいつも断念するのは、 社会学寄りの何かの対話篇を普通にやると しばしば「驕った」キャラクターを要請することになり、 フィクションとしてダサくなるのがつらいなと思っていた。

「数学ガール」や「子ども科学電話相談」のような、 学術蓄積を媒介して、 それ以外の政治言説に巻き込まれない知的領域で対話篇を続けることの佳さ、 を対話篇でつくる、何かよい方法はないのかなあ、 と思っていた。

村上春樹『海辺のカフカ』で 主要人物のセクシュアリティの問題に触れることになった時、 どうしてもモブのおばさまがたが愚かに描かれたことを、 痛ましく思ってたんだよね。 モブを愚かに描かずになお対話篇において社会を知的に語ることが もう少し容易であればいいのに、と思っていた。

(引用終了)

これを読みながら、結城は以下のように考えました。

「数学ガール」での数学トークの心地よさには大きな理由が二つあって、 一つは対話している彼女たちが互いに信頼と敬意を保っている点。 もう一つは数学というものを楽しんで味わっている点。

この二つは関連しています。数学を楽しむのにあたって、 相手の考えの誤りを正すことはあっても、 相手を人格的におとしめる必要はない。 そのように思っています。

言い換えるなら、数学に限らず、

 「相手の誤りを指摘すること」
 「相手に敬意を払うこと」

この二つが独立である分野なら、 同様に心地よく意味のある対話篇が作れそうです。

でも、注意すべき点はそれだけではないかもしれません。 『海辺のカフカ』の例で考えてみると、 指摘を受けた女性が、すぐに考えを変えてしまったら、 物語としては嘘っぽくなりそうですから。 誤りを指摘したとき、相手が「確かにそれは誤りですね」 とすぐに認めても、不自然じゃないようにしなければいけません。

といっても、 社会問題のように視点や主張が複数(排他的に)存在する場合、 正解を一つに収斂させ過ぎると、 プロパガンダ作品になる危険性もありそうです。 かといって収斂させないと、 問題提起だけで終わってしまう危険性もあって、 作品にしたてあげるのは確かにつらそう……

tricken氏のいう、「学術蓄積を媒介して、 それ以外の政治言説に巻き込まれない知的領域で対話篇を続ける」 のは本当に難しい話なのかもしれません。

結城自身は社会学的な方面の知識も理解もないので、 以上のように想像するばかりなのですが、 詳しい方はどんなふうに思うのかしら。

『数学ガール』はしばしば(光栄なことに) 『ソフィーの世界』と並べて語られることがあります。 『ソフィーの世界』では、 哲学の歴史をたどりながら対話が行われていますね。

対話篇が作りやすい分野、作りにくい分野について、 あなたはどう思いますか。

 * * *

それではそろそろ、 今回の結城メルマガを始めましょう。

どうぞ、ごゆっくりお読みください!

目次

  • はじめに
  • サイトの引っ越しについて検討中
  • ネガティブなセルフブランディングの危険性 - 仕事の心がけ
  • 会計のことを妻と話しながら思ったこと
  • 「やる」「やらない」の判断 - 仕事の心がけ
  • 紙か電子か - 本を書く心がけ
  • おわりに