結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2019年4月16日 Vol.368
目次
- 客観性を身に付けるにはどうするか
- 高校生の息子にメッセージを伝えたいが聞いてもらえない - 教えるときの心がけ
- 数学的概念で遊ぶとはどういうことか - 学ぶときの心がけ
- 会話をしたいけれど話題が見つからない - コミュニケーションのヒント
- 実らなかった恋
- モックアップ - 再発見の発想法
はじめに
結城浩です。
いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
最近はずっと『数学ガールの秘密ノート/ビットとバイナリー』に取り組んでいます。
第2章まではレビューアさんに送付が済み、現在は第3章の半ば。脱稿まではちょうど折り返し点くらいでしょうか。
すでにアマゾンでは予約が始まっていますし、気持ちとしては4月中にすべてを仕上げたいところです。しかし、あわてずあせらず、じっくりと進まなくては。
◆『数学ガールの秘密ノート/ビットとバイナリー』
https://bit.ly/hyuki-note11
* * *
コンビニの話。
先日コンビニに寄ったら、中学生くらいの女の子がスイーツの棚の前で目を輝かせながら「うっわ〜どれにしよっかな〜」と声に出していました。かわいいですね。
ふと思ったんですが、イラスト描ける人って、こういう場面を見たら一枚絵をきっと作れますよね。そういうの、うらやましいと思います。
* * *
スーパーの話。
スーパーでセロリを買うとき、とても幸せな気持ちになります。
幼少期に、セロリから可愛がってもらった記憶が蘇るからでしょうか。
結城栽培。
* * *
いっしょに生活する話。
先日、子供が早朝から出かけるというので、いつもよりずっと早く起きて朝食を用意していました。
ところが、起きてきた子供が「ごめん今日は遅く出る日だった」と言い出したのです。
私「いやいや、そりゃないよね。遅く出る日だといつわかったの?」
子「昨日の夜」
私「だったら、なぜそのとき言わないの」
子「だって、お父さんもう寝てたから」
私「私にメッセージ送っておけば、お父さんが起きたときにそれ見て、またすぐ寝られたじゃん!」
子「その発想はなかった」
私「それに気付いてほしい。いっしょに生活してるんだから、相手のことを考えよう」
* * *
ランダムの話。
何十年も前のこと、ある混乱した開発プロジェクトに関わるお手伝いをしました。
そこでは、作業項目がたくさん集められていましたが、数がたくさんありすぎてどうしていいかわからなくなっていました。ろくに分類もされておらず、カオス状態。
状況に対処するため、私が思いついた方法は「ランダムにピックアップする」というものでした。ランダムサンプリングの一種ですね。全部を調べたり、端から順に試したりする前に、まずは処理可能な個数だけ作業項目をランダムにピックアップし、全体の傾向を調べてはどうかと提案しました。
残念ながら、既存チームの方からは一笑に付されてしまったのですが、いまでもあれはいい方法だったと思っています。
「ランダムにピックアップする」というのは非常に重要な手法です。それはでたらめな方法ではなく、ちゃんとした意味があります。ランダムに選べば、より大きな割合を占めるものを選ぶ確率は高いからです。つまり、全部を自分が精査するまでもなく「多数派が自動的に選ばれる」といえます。
もちろん、すべてを精査して「重要なもの」「大きな割合を占めるもの」「必須のもの」を選び出せればそれに越したことはありません。しかし、それには時間的・労力的なコストが掛かります。
「ランダムにピックアップする」ならば、超・低コストで次のステップに進めます。「ランダムにピックアップする」という手法を覚えておくといいですよ。
* * *
ハッピーナンバーの話。
まずは、好きな正の整数を選んでください。
そして「その数を構成している各桁の数字を2乗して足し合わせる操作」を繰り返してください。
すると、何から始めたとしても最終的に「1になる」か「8個の数をぐるぐる繰り返す」ことになるのだそうです。びっくりですね。
たとえば、32から始めるとしましょう。
3の2乗と2の2乗を足し合わせて、9+4=13になります。
1の2乗と3の2乗を足し合わせて、1+9=10になります。
1の2乗と0の2乗を足し合わせて、1になりました。
たとえば、314から始めると、 314 → 26 → 40 → 16 → 37 → 58 → 89 → 145 → 42 → 20 → 4 → 16 → … となって、16,37,58,89,145,42,20,4という8個の数をぐるぐる繰り返します。
以下に、自分で試すためのRubyスクリプトを置きました。
◆sqsum.rb - Squared digit sumを確かめる
https://gist.github.com/hyuki/90b40e37cb6a5a2d049a78db8d1d2376
以下のブログ記事も参照してください。
◆Squared digit sum
https://www.johndcook.com/blog/2018/03/24/squared-digit-sum/
なお、最後に1になる数のことを「ハッピーナンバー」と呼ぶらしいですね。
◆Happy number
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Happy_number
* * *
では今回の結城メルマガも、どうぞごゆっくりお読みください。
客観性を身に付けるにはどうするか
質問
結城さんこんにちは。
私は自分を客観視することが苦手です。さまざまな場面(会話、人間関係、優先順位の決定、進路選択、自己分析など)で、いま自分はどのような立ち位置にいるのかが分からず、パニックに陥ってしまいます。
客観性というものは、どうしたら身につけられるのでしょうか。
回答
ご質問ありがとうございます。
あなたがおっしゃる場面で、冷静で客観的な判断をしようとする場合、結城は頭の中で考えるだけではうまく行かないですね。たいていはコンピュータや紙を使って「書く」という作業をします。考えていることを書く。そしてそれを読む。その二つのステップを踏まないと客観的に考えることは難しいです。
あなたも状況が許すなら「書く」という作業を試してみてください。慣れないと、紙に「書く」というのは馬鹿馬鹿しく感じたり、すでにわかっていることを書いて何の役に立つのかと思ったりしがちです。でも、やってみるとかなり有効ですよ。
あなたのご質問の中で「客観性を身につける」という話題が出て来ました。そのように表現すると、まるで自分がそのスキルを身につけると常時自分を客観視できると感じてしまいます。でも、それはちょっと違うと思います。
感情的・主観的に行動するタイミングと、ふと冷静になって自分を客観視して「さっきのあれはまずかったぞ」と振り返るタイミング。その両方があるのが普通ではないでしょうか。常に冷静で客観的に行動してるように見える人はたまにいますけれど、それはもしかすると、切り替えがうまいのかもね。
自分を客観視するというスキルは、自分の現在の行動を「ストップするスキル」と、そこからおもむろに自分を「振り返るスキル」の融合体なのかもしれません。
あなたの質問の中にあった「さまざまな場面」には、リアルタイムな反応が必要なものと、時間を掛けてじっくり考えるものが混ざっています。どちらの場合でも、自分が「常に」客観性を保っている必要はありません。感情的・主観的なときと冷静になって客観視するときとを往復させるつもりでいいと思いますよ。
あなたに当てはまるかどうかわかりませんが、関連する話題を少し書きます。「客観的に見る」のは「正解を見つける」のとは違います。いまこの場における「正解」を必ず見つけなくてはならないと考えたら、頭も心も動きません。「客観的に見る」というのは「正解を見つける」ことではなく、現在の状況をもとにして確かにいえる事実を積み重ねることです。
パニックになったときに使える方法の一つは「自分は現在、うまく考えがまとめられず、パニックになっています」と唱えることです。私はよくこの手を使います。人と話すときに緊張がほぐれない場合に「自分は現在、緊張していてどうしたらいいかわからないようです」と言ってしまうのです。それは現在の状況をもとにして確かにいえる事実なので、パニックになっていてもスッと言葉にできるのです。
自分一人で考えて混乱に陥ったときも使えます。「うーん、自分は混乱しているぞ」と言葉にします。そうやって言葉にした瞬間に、自分は自分のことを客観視し始めているともいえます。「混乱している自分」を自分が観察しているわけですから、まさに客観視です。そこから「なぜ混乱しているのだろう」や「混乱を止めるために順序立てて考えてみよう」と自分に言い聞かせて進むのです。言葉にすることで、パニックし混乱している自分を「ストップ」して、そこから態勢を立て直して「振り返る」のです。
人によっては会話で生まれる空白の時間が恐い人もいます。意味のあることを次々に言わなければいけない! しかもそれは客観的な意見でなくてはいけない! 主観的な言葉を出してはいけない! と考えていると簡単に処理能力を越えてしまいます。もしもそうなりがちな場合には、前もって「自分のために時間を確保するセリフ」を用意しておくといいです。「うまく言葉にならないので、少し考えさせてください」や「すぐには答えられませんので、ちょっと待ってください」のように。そうやっていったん状況を「ストップ」するのですね。
あなたの質問と、そこから関連して思ったことを書きました。何かの参考になればうれしいです。
ご質問ありがとうございました。