結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年4月28日 Vol.161
はじめに
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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新刊の話。
『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』が刊行されて、 たくさんの人から「読みました!」というメールやメッセージをもらっています。 あらためて、読者さんからの生の声をもらえる喜びをかみしめています。
◆『数学ガールの秘密ノート/微分を追いかけて』
http://note5.textfile.org/
「数学ガール」シリーズに比べて「数学ガールの秘密ノート」シリーズの方は、 数学的にやさしい内容を扱っています。 そのため、当然ながら「これならわかります」という声と共に、 「もうちょっと手応えのあるものも読みたい」という声をいただくことになります。
こういう声は、非常に執筆の参考になります。 もともと「数学ガールの秘密ノート」シリーズは、 本編を難しいと感じる人のために書いたものですから、 結城の想定した読者にちょうどリーチしていることがわかります。
「読者ハガキの時代」から比べると、 読者さんの様子がはるかにわかりやすい時代になったといえますね。 感謝なことです。
「手応えのあるものを読みたい」という声に応えるために、 結城は現在「ガロア巻」の次にくる『数学ガール6』の執筆に励んでいます。 詳しくはまたのちほど。
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数学を学ぶことについて。
新高校生になる息子が春休みの間、 毎朝一時間くらいいっしょに数学の問題を解いていました。 という話は先日の結城メルマガにも書いた話ですね。
春休みのあいだ毎日のようにやっていたので、 けっこうな分量になりました。厚いファイル一冊分くらいの量。 ほんとうに子供にとって有効だったかどうかはさておき、 私自身はとても楽しい体験でした。
数学に限らないけれど「わかった」という感覚は扱うのが難しいものです。 話を聞いて「わかった」のと、問題が解けるくらい「わかった」のと、 問題を解いてみて始めて「そういうことだったのかとわかった」のと、 それぞれに別のニュアンスと深みがあります。 こういう「わかった」について教育学の人は研究しているのでしょうか (研究しているといいな)。
数学の場合は特に、常識から導き出せないことを扱うことが多くあり、 そのために「わかった」という感覚が非常に大事になってきます。
自分ではわかったと思うけれど、
ほんとうにわかったのだろうか。
という疑問を抱く姿勢は大事です。 これは「数学ガール」シリーズでも繰り返し登場するテーマでもあります。
自分の子供といっしょに春休みに問題を解いていて、 この「わかった」について考えさせられました。
子供の「わかった」という発言をどのように受け止め、 子供に対して次に何を問題として繰り出すのか。 結城はそのやりとりについて「楽しい」と感じるらしいです。 まあ、子供の理解とは別のところで楽しんでいるわけですけど……。
数学を学ぶということに関連して、 のちほど「わかった」について考えます。
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大きな数の話。
一人の人間が一生のうちに、道具を何も使わずに扱える数はどれだけだろう。 そんなことをふと考えた。
「一生のうちに扱える数」というのはずいぶんあいまいな話だけれど、 たとえば、単に「数を数えていく」ことにしよう。1,2,3,…と数えていったときに、 人は一生でどれだけ数えられるのか。
フェルミ推定じゃないけれど、いわゆる「封筒の裏」計算をしてみよう。 まず、人の一生を「100年」と見積もる。100年は36500日(閏年は無視)。 それを秒に直すと3,153,600,000秒ある。 不眠不休で1秒に1ずつ数えていったとしたら、
ざっと31億5千万まで
数えることができる計算になる。覚えにくいので、
ざっと円周率の10億倍
としておこう(覚えやすくしてどんな意味があるかはさておく)。 ここまでは不眠不休の場合の話。おぎゃあと生まれてから1,2,3と数えていき、 不眠不休というのはつらいから、一日8時間労働としよう。 そうすると、約3分の1になるから、
ざっと10億
になる。言い換えると、人が人生で直接なし得る活動というのは、 「約10億秒」の中に詰め込まれているわけだ。 さて、「約10億秒」は長いのか短いのか。
「約10億秒」だと数が大きすぎて見当がつかないので、一日にしてみよう。 一日8時間労働として、
8×60×60=28800秒。
ちょっと足りない1200秒(20分)を残業(?)するとして、
約3万秒
になる。言い換えると、人が一日に直接なし得る活動は、 「約3万秒」の中に詰め込まれている。うわ短い。 一日の労働とは、ざっくり三万秒をどう使うかということなんだな。
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文章と編集の話題。
信州大学の入学式で「スマホやめるか、大学やめるか」という学長の言葉があった、 というニュースがありました。
◆「スマホやめるか、大学やめるか」 信州大入学式で学長
http://www.asahi.com/articles/ASH44578MH44UOOB007.html
これについてはすでにネットのあちこちで賛否両論が出て、 (そしていつものように)もうみんなすっかり忘れたころですね。 まだ一ヶ月も経っていませんけれど。
上のリンクからもたどれますが、 入学式のあいさつ全文は以下から読むことができます。
◆信州大学・山沢清人学長の入学式あいさつ全文
http://www.asahi.com/articles/ASH455FQGH45UEHF004.html
これを読むと、確かに記事にあったような発言を学長は行っていますね。 でも、全文を読むと印象は大きく変わるように感じます。
一つの主張から一部を切り出して、それを見出しにすると、 印象を大きく操作することができそうです。 同じ入学式のあいさつ全文を使ってまったく違う印象を持つ記事も作れそうだな、 そんなことを考えていました。
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デジタルディバイドの話。
結城は自宅のビデオ機器を操作できない。
普通に再生するのは何とかできるけれど、録画や予約録画は絶対失敗する自信がある。 家内から電話で「○○という番組録画しておいて」と連絡が来るときには必ず、 「と、あの子に言っておいて」と私経由で子供への依頼という形になる。 私は戦力外なのである。
そもそも、あのリモコンがいけない。 リモコンが二つある上に両方がそっくりのデザイン、 しかもボタンが無数についているし(大げさ)…… あのボタンの数は「エンジニアリングの敗北」だと思うんだけれど、 そう思いませんか。もっとも、 そんなことを主張しても私は録画ができないという事実は変わらない。
自宅にはフルーツや野菜を絞るジュースメイカーがあるのだが、 この掃除が難しい。複雑な形態をした部品が組み合わされていて、 洗い方も難しい。家内から何度も方法を聞いたのだが、 洗ってから組み立て直すと必ず部品が一つ残ったりする。 「こ、これはどこに入れるんだっけ?」という間抜けな質問になる。
逆の現象もある。Windowsでいつもと違うダイアログが表示されると、 家内は私を呼ぶ。「何だか変なの出てきた。どうするの?」 それはAcrobat Readerの更新だったり、セキュリティ関連のアップデートだったり、 ダイアログの文章を読んで「なんとか」すればいいのだけれど、 それもなかなか難しいようである。
「世の中ってほんとうに便利になっているのかしら」と家内は言う。
「たぶん、便利になっているんだよ」と私は答える。
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Twitterカードの話。
Twitterには「Twitterカード」という機能があります。 この機能を利用すると、URLをツイートしたときに、 そのURLの先にある情報をツイート上でうまく表示してくれます。 たとえば、サムネールを表示するとこんな感じになります。
ブログやSNSなど多くのWebサービスではTwitterカードに対応していますので、 あまり気にすることはありません。でも、自分でWebサービスを作ったり、 昔ながらのCGIを使ってWebコンテンツを提供している人は、 自分で対処する必要があるでしょう。
すごく単純に書けば、name="twitter:XXXX" という形の meta タグを Webページ中に入れるだけで対応できます。 たとえば、あるURLをツイートしたときに大きなサムネール画像を表示したかったら、 以下のようなmetaタグを出力します。
metaタグを出力するようになったら、以下の検証ページで登録する必要があります。
◆Card validator
https://cards-dev.twitter.com/validator
詳しい手順は以下の公式サイトにある通りです。
◆Twitterカード
https://dev.twitter.com/ja/cards/overview
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さて、それでは今週の結城メルマガを始めましょう。
今回は、先ほど触れた「わかった」のことを 「学ぶときの心がけ」のコーナーでお話しします。
「本を書く心がけ」では『数学ガール6』の話を、 そして「文章を書く心がけ」や「仕事の心がけ」のコーナーもあります。
結城メルマガをゆっくりお楽しみください!
目次
- はじめに
- 「わかった」について考える - 学ぶときの心がけ
- 数学ガール6を書きながら - 本を書く心がけ
- 《本番書き》に向かう覚悟 - 文章を書く心がけ
- ひと味ちがう一年に - 仕事の心がけ
- おわりに
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。