結城浩の「コミュニケーションの心がけ」2015年12月29日 Vol.196
はじめに
おはようございます。 いつも結城メルマガをご愛読ありがとうございます。
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フェア企画の話。
ジュンク堂書店池袋本店さんが、2015年の8月からずっと 「結城浩書店」というフェア企画をしてくださっておりました。 いよいよ12月31日までということですので、 もしも池袋にいらっしゃる機会がありましたらぜひどうぞ!
◆紹介ツイート(ジュンク堂さん)
https://twitter.com/junkudo_ike_pc/status/681088064832188416
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ゲームの話。
すでにコンプリートしてしまいましたが、 pruneというゲームがお気に入りです。
◆prune
http://www.prunegame.com
これは、にょきにょきと伸びてくる木を「剪定する」 という変わったゲームです。
うっかりすると枯れてしまう。 太陽の光まで届かないと花が咲かない。 困難を乗り越えて、たくさん花を咲かせるにはどうするか…… そんなパズル要素はたくさんあるのですが、 私がこのゲームを気に入っているポイントは、そこではありません。
ひとゲーム終わると、画面全体が一つの小さな「絵」になる。 その絵は、ゲームの結果としてできあがる木と花の絵なのですが、 失敗しても成功しても、それなりの形で美しい。 そこがいいんですよね。
百聞は一見に如かず。 結城が作った「絵」(ゲームの結果)をみてくださいな。
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絵の話。
漫画家の弓月光さんが、 森薫さんの『乙嫁語り』に登場するアミルを描いたツイートを見かけました。
◆弓月光さんのツイート
https://twitter.com/h_yuzuki/status/677098044387495937
美しい!上手い!というのは当然そうなのですが、 「弓月光さんの絵だけれど、しかもアミルになってる」 というのを素敵に感じました。 描き手のオリジナリティというのでしょうか、個性というのでしょうか。 すごいですよね……
それからもう一つ思ったのは、 そうか、弓月光さんもツイッターやってるんだ!ということ。 現在、作品を発表している漫画家のみなさんは、 みなどこかで生活していて、仕事をなさっている。 そんな、あたりまえのことを改めて思いました。
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訪問販売の話。
先日、自宅に飛び込みの営業マンが来た。 訪問販売のようである。 以下、インターホン越しの会話。
営業「ご説明させてください」
結城「資料をお持ちなら、郵便ポストに入れておいてください」
営業「はい、資料はありますが、ぜひとも直接ご説明を」
結城「あなたは、いきなり来た知らない営業マンに、玄関のドアを開けますか?」
営業「……いえ」
結城「私も同じです」
というやりとりがあって、営業マンには帰ってもらいました。 ちなみに、この営業マン、郵便ポストに資料を入れていきませんでした(!)
結城は、訪問販売が来たときや営業の電話が掛かってきたときには、 最初に、
「これは営業ですか?」
と尋ねるようにしています。 「営業です」と答えが来たら「けっこうですので」と言って帰っていただきます。 営業マンが勝手に自分の話を進めようとしたら、 繰り返して「これは営業ですか?」と聞くようにしています。 訪問販売では、勧誘に先立ってこの質問に答えなければいけないからです (正確には、自分から告げるべきなのです)。
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事業者の氏名等の明示(法第3条)事業者は、
訪問販売を行うときには、勧誘に先立って、
消費者に対して以下のことを告げなければなりません。
1.事業者の氏名(名称)
2.契約の締結について勧誘をする目的であること
3.販売しようとする商品(権利、役務)の種類
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◆訪問販売
http://www.no-trouble.go.jp/search/what/P0204002.html
◆電話勧誘販売
http://www.no-trouble.go.jp/search/what/P0204008.html
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勉強の話。
先日、CodeIQの「マヨイドーロ問題」が終了しました。
◆マヨイドーロ問題
https://codeiq.jp/magazine/2015/12/35521/
ある方から「このような問題が解けるようになるには、 何を勉強すべきでしょうか。大学に行かずに独学で大丈夫ですか」 という質問をいただきました。
こういう質問にちゃんと答えるのは難しいものです。 というのは前提条件によって答えは大きく変わるからです。 たとえば質問する人が高校生である場合と、 職業的プログラマの場合とでは、答えは変わりそうです。
でも、このような質問に答える機会を、 「自分の考えていることを表現するきっかけ」と考えるなら、 答えられないということはありません。 たとえば、以下のような答えになるでしょう。
短く答えるなら、マヨイドーロのような問題を解くには、 数学とコンピュータ科学とプログラミングの知識が必要です。 マヨイドーロ問題に限るなら、 プログラミングの知識だけでもある程度は解けるかもしれません。
マヨイドーロ問題を解けるかどうかに関していえば、 「大学で学ぶ」ことは、必要条件でもないし十分条件でもないと思います。 でも、あなたがこれから進学するかどうかを考えているならば、 大学でコンピュータ科学や数学を学ぶのは悪い選択ではないと思います。
しかし、「大学に行く」ことは本質ではありません。 大学という場で刺激を受け、その場を活用して本を読み、プログラムを書き、 何よりも「自分でしっかり考える」のがポイントとなるでしょうね。
「大学に行かなければ駄目」ということはありませんし、 「独学では学ぶのは無理」ということもありません。 けれども、ぜんぶ自分の頭で考えようとするのも効率が悪いといえば悪いです。 本をたくさん読み、人からもたくさん学び、 でも「ここぞ」というところでは必ず自分の頭と手を使う。 そういう態度が大事なのだと思います。
そして「本をたくさん読み、人からもたくさん学び、 ここぞというところでは自分の頭と手を使う」という習慣を身につけるのに、 きちんとした大学に行くことは、一つのよい選択であると思います。
……おおよそ、こんな答えになるかしら。
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日本国憲法をコンピュータで処理できるように書き換える話。
「憲法(日本国).」というシステムを作っている方(@bitlawjp さん)がいます。
◆憲法(日本国).
http://bitlaw-jp.github.io/logicon-system/
説明文によれば、
憲法解釈が高度化する中、憲法の条文そのものを基準としたシステムを使うことで、
その内容をよく理解し、議論することが可能になるのではないかと考えています。
とのこと。Prologを使って、憲法をプログラムとして表現し、 憲法の条文から論理的に導けることを答えるシステムのようです。
以下は「天皇ってなに?」という質問への回答です。
おもしろいですねえ。
プログラムは以下で公開されています。
◆日本国憲法 in Prolog
https://github.com/bitlaw-jp/the-constitution-of-japan
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条件抜きの「好き」の話。
「答え」なんか出さなくてもいい。 毎回わたしを楽しませる必要も笑わせる必要もない。 無理して稼がなくてもいい。かっこ悪くても構わない。 ただ、あなたに、いてほしい。 ……という気持ちを「好き」と呼ぶ。
「〇〇ができるあなたが好き」という条件付きの気持ちは、 「〇〇ができなくなったあなたは嫌い」という状態になる危険性がある。 もちろん、いつもそうなるとは限らないけれど。
「あなたの今回のテストは点数が低い。なので、今学期の成績は悪い」 という主張に耐えられる人は多い。でも、 「あなたの今回のテストは点数が低い。なので、あなたの存在は否定される」 という主張に耐えられる人は少ない。
点数の高低で成績が変化するのは耐えられる。 でも点数の高低で存在が認められるかどうかというのは恐怖である。 「点数の高低」に、どんな条件を入れても同じだ。
「点数の高低」を自分の存在と結びつけてはいけない、とも言える。 また「愛する人への励まし」が条件付きにならないようにしたほうがいい、 とも言える。
「好き」を表明するなら、 私はあなたを理屈抜きに好き! 圧倒的に好き! 条件抜きで好き! 誰が何と言おうとも、あなたがどんなことになろうとも、 好き好き大好き、絶対的に大好きだ! ……というのがいいなあ。
ということを書くと「甘やかすな」とか「そんなことをしたらつけあがる」 という反応が来ることが予想される。もしも、どうしても、 条件を付けたかったら、存在に対してではなく、行為について付ける方がいい。
あなたの愛する人が悪いことをしたら、 その悪い行為に対して文句をいう。その行為について悲しいと表明する。 つまりは「罪を憎んで人を憎まず」ということか。 まあ、極端な例を出し始めたら切りがないけれど……
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ケアレスミスの話。
教える立場の方から「生徒のケアレスミスを防ぐにはどうしたらいいか」 という主旨の質問をいただきました。 たとえば「問題の読みまちがい」や「移項の際の符号ミス」 などを防ぐ(生徒自身に防いでもらう)にはどうするかという話。
結城はこんなふうに考えました。
生徒の個々の状況を「ケアレスミス」という表現から、 別の表現で言い換えてみるというのはどうでしょうか。 問題の読みまちがいにしても、符号ミスにしても、 それを何と表現するか。 先生自身が言い換えてみるのもいいし、 生徒自身に言い換えさせるのもいい。
具体的にいうならば、今回の「ケアレスミス」は……
・先を急ぎすぎている
・実は理解が不足している部分がある
・ステップごとに細かく確かめをしていない
・「自分はできる」と誤解している
・文字を小さく書きすぎている
などなど。
発生した事象に「ケアレスミス」 という大ざっぱなラベルを付けて終わりにするのではなく、 できるだけ「具体的に」表現してみる。言い換えてみる。
つまり、これは「《ケアレスミスを起こして困る》という問題」 を解こうとしているわけなのですから、 名著『いかにして問題をとくか』に出てくる問いかけが使えるはず。
《問題をいいかえることはできるか》
《ちがった言い方をすることはできないか》
ですね!
◆もとのツイートはこちら
https://twitter.com/hyuki/status/678960417712959488
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それでは、今週の結城メルマガを始めましょう。
今年最後のメルマガなので、 ふわっとした内容の読み物をお送りします。
どうぞ、ごゆっくりお楽しみください!
目次
- はじめに
- 橋を架けることについてのメモ
- 同一視と豊かな人生
- 「先生」という呼称について - 仕事の心がけ
- 「数学ガールの秘密ノート」新シーズン
- おわりに