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小説『神神化身』第二部 第十一話 「水先スプリング・ハズ・カム」
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小説『神神化身』第二部 第十一話 「水先スプリング・ハズ・カム」

2021-07-09 19:00

    小説『神神化身』第二部 
    第十一話

    水先スプリング・ハズ・カム

     誉れ高き舞奏(まいかなず)の名手として有名だった祖先は、化身(けしん)を偽ったノノウとして一夜のうちに舞奏社(まいかなずのやしろ)を追われることになった。かつては化身持ちにも劣ることなく、素晴らしい舞奏を奉じることの出来る自慢の舞い手であったはずなのに。
     化身持ちだと偽ってからも、拝島(はいじま)家の舞奏は素晴らしいものであったはずだ。それなのに、どうして罪人としてそうも追い立てられなければならなかったのだろう。
     偽ったことが罪なのか、そうであったとしても、化身が無いことでそうまで追い詰められたノノウの気持ちに、どうして誰一人として寄り添ってくれなかったのか。
     何よりカミは、どうして多くの人間を楽しませ、カミに歓心を奉じてきた拝島家のノノウに、もっと早くに化身を与えてくれなかったのだろうか。この焦がれがカミを偽る凶行を引き起こすと知っていたなら、その前に手を差し伸べてくれれば良かったのではないか。
     それとも、このような──救いを求めるような浅ましい心根が、カミの不興を買ったのだろうか。なら、化身という名の目に見える『才能』が与えられなかった人間は、一体どうすればいいのだろう?
     それからも、上野國(こうずけのくに)拝島家は舞奏の世界からは排斥され続けた。どれだけ素晴らしく舞おうと認められず、当てつけのように刻まれた瞳の化身は拝島家を周囲から孤立させた。
     呪いのような化身は子供にも受け継がれ、それを見れば罪ある血筋だと分かるように顕れ続けた。覡になることも許されない、才では無く罪の証としての身。その次の代にも、兄弟の中に一人はこの化身を持つものが現れた。その罪を忘れないよう、思い上がりを諫めるよう。
     それから、長い月日が経った。
     拝島去記(はいじまいぬき)が最も愛されていたのは、生まれてくる前だった。
     『去記』という名前は祖父が予め考えていたもので、去りゆくものを記憶する、という意味が込められている。忘れてはならない、と祖父が呟く。
     長い月日は、拝島家の呪われた血筋のことを、遠いお伽話(とぎばなし)に変えてくれた。尤も、舞奏社と拝島家自身はその忌まわしき記憶がただの伝承ではなく、脈々と継がれる記憶であることを理解している。最早、瞳に化身を宿す子供は生まれなくなっていたが、それでも忘れてはならない。
     自分達の祖先が何に焦がれ、カミがそれに何を返したのかを。虐(しいた)げられてきた自分達が、何をよすがに生きてきたのかを。
     そうして生まれた子供の瞳には、忌まわしき瞳の化身が顕れていた。


     拝島去記は舞奏が好きな子供だったが、自らが舞奏社に向かうことは禁じられていた。それどころか、舞奏披に行くことも、舞奏をすることすら止められていた。祭りの時に遠巻きに眺める舞奏が、拝島去記の中の舞奏の全てだった。それでも魅了されたのは、禁じられていたからこそなのか、はたまた去記に舞奏を愛するノノウの血が色濃く受け継がれていたからなのだろうか?
     けれど、舞奏社は去記を受け容れない。それどころか化身の宿った赤い目を持った去記は、家族からも疎まれていた。
     両親が何かカミの不興を買ったから、こんな目の子供が生まれたのだ。先祖代々受け継がれてきた伝承を、一番気にしているのは拝島家の人間だった。
     本来なら、化身は求められるべきものだ。カミから舞奏の才を認められた特別な証だ。なのに、どうしてその証が去記を孤独にするのだろうか。
     この化身に価値を見出したのは、ただ一人だけだった。
    「去記。お前はカミに選ばれたんだ。その目は呪いなんかじゃない、お前には特別な才能がある」
     伯父である、拝島綜賢(そうけん)だった。彼は去記の化身を認め、価値を与えた。そして、その才能を適切に使うべきだと主張した。
    「お前には人の心を癒やし、願いを叶える特別な才能がある。なあ、お前に会いたがっている人間がいるんだ。上野國の本物の化身持ち。救いを求めている人間に、よければ手を差し伸べてくれないか?」
     それが本当なら、手伝おうと思った。去記がやるべきことは、綜賢が連れてくる人間と話をすることだけだ。化身を見せることだけだ。それで心安らぐ人間がいるのなら、去記がこんなものを持って生まれてきた理由にもなる。

     阿城木家(あしろぎ)の蔵には、まだ『化身の出る水』が大量に残っていた。詐欺商品でしかないのにもかかわらず、それらは一般に流通している商品のように綺麗にパッケージングされている。拝島綜賢の妙な几帳面さを感じる。こういうところが、拝島事件を支えたのだろうか。
     化身が出る水を捨てなかったのは、阿城木家の合理性が故だった。ミネラルウォーターは、賞味期限が切れても数年単位で飲めるらしい。いざという時の災害用に取っておいた方が良い、と言ったのは買ってきた当の祖母だった。騙されていたと知ってもなお、彼女はただでは起きなかった。
     箱に詰められた大量のペットボトルを見ながら、溜息を吐く。そして、頭の中で自分の馬鹿げた計画が上手くいくかを計算した。

     今朝の七生(ななみ)はより一層元気が無かった。二度も去記に加入を断られたからなのか、他に気になることがあるのか、デザートのプリンが気に食わないのか──ということは無さそうだ。恐ろしいことに、三個入りのプリンを三個全て空けている。一パックは一人前じゃねえだろ! と心の中で思う。
     こんな暴虐(ぼうぎゃく)を働かれてもなお、阿城木はそれを黙認しているし、何なら魚媛(うおめ)がデザートを買い忘れた時は阿城木が買いに出ている。なんでこんなに健気なのか、自分でもよく分からない。
    「おい、妖怪プリン飲み」
    「ちゃっ、ちゃんと味わって食べてますけど! 何!」
    「辛気くさい顔すんなよ。ただでさえチビっこいのに、更にチビっこくなるぞ」
    「はー? じゃあ阿城木は生意気そうな顔をし続けてそんなにおっきくなったんですかー?」
    「悪かったよ。俺があそこで化身の出る水の話したら、拝島のこと責めてるみたいになっちまったよな。あいつ、めちゃくちゃ変な奴だけど、いい奴だろうし。あんなこと言ったら、余計に罪悪感覚えるよな……」
     急に謝られたことに驚いたのか、プリンカップを重ねていた七生の手が止まる。その目がゆっくりと逸らされた。
    「……別にいいよ。というか、それを謝るんなら僕相手じゃなくて去記にでしょ。……邪魔されたとか思ってないから」
     七生がぽつぽつとそう言ってくる。確かにその通りだ。けれど、水鵠衆(みずまとしゅう)結成に動いてくれている七生に対しても、一応は謝っておきたかった。
    「拝島に対しては、後できっちりとケジメつけるわ。騙されたって一方的にがなるだけじゃフェアじゃねえし。これからチームメイトになるんなら、そういうとこも解決しないとだろ?」
    「ねえ、阿城木はまだ覡(げき)になりたい?」
     その時、不意に七生が言った。
    「は? お前まさか、諦めるつもりか?」
    「そうじゃない。確認したいだけ。その夢の為に、何を捨てられる?」
     七生の表情は、どことなく不安げだった。同じような質問は蔵でもされたが、あの時のような尊大な態度は鳴りを潜めている。
    「何をって言われりゃ、そりゃなんでもって答えるしかないだろ。俺みたいな奴は。どういう意図の質問だよ、それ」
    「……阿城木は恵まれてるから、自分に足りない最後のパーツを欲しがってるだけなんじゃないの。化身以外なら、全部持ってるでしょ」
     侮っているような口調ではなかった。むしろ、こちらを慮(おもんぱか)っているような声だ。いつもは生意気な口を利く癖に、こういう時の七生は驚くほど真面目な顔をする。ややあって、阿城木が答えた。
    「俺が無いのは、全部だよ」
     一番欲しいものを与えられなかった自分が、何を持っているだろう、と阿城木は思う。たった一つの欲しいものの為に──願いの為に燃やし尽くせない命なら、何の為のものだろう。
     自分はまだ、カミが認めなかった舞奏をその目に焼き付けさせていない。自らの復讐心に火を点けたのは七生だ。なら、それを見届けて頂かなければ。
     食器を持って立ち上がりざまに、七生の頭を小突く。
    「ていうかお前な、僕が認めるとか偉そうなこと言ったんだから、最後まで虚勢張っとけよな」
    「虚勢じゃなくて勢いだから。ちゃんとした勢い。なんだよ、阿城木のくせに生意気」
    「何とでも鳴いとけ」
    「なんだよー。なんだよもう……」
     不満げに唇を尖らせていた七生が、不意にきょとんとした顔になった。大方、阿城木が出かけようとしていることに気がついたのだろう。
    「どこ行くの?」
    「狐に会いに。お前も来るか? 今度は油揚げもシュークリームも無しだけどな」

      *

    「こういうの何て言うんじゃっけ? 三度目の正直? 三度目の本命? 江戸の敵を長崎で討つ?」
    「何でもいいけど、そうまで言うなら叶うんだろうな?」
    「それはどうかわからんな。我をこうして電動牛車に乗せて主の家に連れ込もうという時点で、出血大サービスだぞ。他の人間ではこうはいかぬからな」
     拝島去記はそう言って牙を──八重歯を見せながら笑った。長身の彼が後部座席に収まっているのは何とも窮屈そうな感じがして、なんだか面白かった。
    「やっぱり、あの廃神社からは基本的に出ない方向なんだ」
     助手席の七生が振り返り、そう言った。
    「我はあの神社を守護している狐だからの。こういう出張サービスはやっておらんのだ。それに、オサキギツネが憑いた家は例外なく滅びる。我があそこ以外を根城にすることはないよ」
    「それでも、阿城木のところには来てくれるんだね」
    「あまりに熱心に乞い願われたらの」
     嘘だ、と阿城木は思う。「家まで来てほしい」と頼まれた去記は、一瞬断りかけて、思い直したように承諾した。あれは恐らく、阿城木を前に罪悪感を覚えたからだろう。自分の目の前にいる人間が被害者だと知ったから、譲れないもの以外は断れなくなってしまったのだ。
     阿城木は今からそこに付け込もうとしている。そうしなければ、去記の考えは変えられないからだ。そう決意しながらハンドルを握っていると、遠くに阿城木家の屋根が見えてきた。

     阿城木家の風呂は大きい。元々は、製糸場で住み込みで働く人間達が揃って入れるように作られたものだからだ。洗い場も十席はあるし、浴槽自体もそこらのスーパー銭湯くらいはある。
     水道代がかさんで仕方が無いといいながらも、阿城木家がこの風呂をリフォームして使い続けているのは、この風呂が賑やかだった時代を愛しているからだろう。
    「……? 我、ここで何をするのだ……?」
    「俺ん家の風呂広いんだよな。とりあえず入ろうぜ」
     阿城木がそう促すと、拝島は分かりやすく驚いていた。
    「えっ!? 我も!?」
    「駄目なら駄目でいい。でも、出来れば断ってくれるな」
    「全然構わぬが、少し待て。相応の用意をしてくる」
     そう言いながら、拝島が衝立(ついたて)の向こうに消えていく。
    「何するんだろ」
    「何するんだろうな」
     七生と囁きあっていると、程なくして拝島がひょっこりと姿を現した。
    「何か変わったか?」と阿城木が訝(いぶか)しげに呟く。
    「ううん、変わった! 耳見て、耳!」
     七生に促されるまま、耳の部分を注視する。そして気づいた。
     耳の材質が……変わっている……。恐らく、耳自体も髪を洗う時に外れないよう、ややしっかりとした留め具になっている。風呂に入る時はそれ用の耳をつけるという、ある意味で徹底した振る舞いだ。というか、そこを律儀に気にするくらいなら、もっとしっかり設定を詰めた振る舞いをすべきだろう。油揚げを食べろ。
    「お前さ、風呂とか普段どうしてんの?」
    「普段はキャンプ用のシャワーテントでどうにかしてるんじゃけども、広いお風呂入りたい時は温泉に行くかな」
    「あー、うん。そうだよな……」
    「だから我、広いお風呂は嬉しいぞ。久しぶりだからな。家にこんなものがあるとは素晴らしいな」
     その言葉通り、拝島は浴槽に浸かる時まで、子供のようにはしゃいでいた。七生は「去記ははしゃぎすぎだよ」と笑っていたが、その七生も初めて見た時は大はしゃぎだったので、何とも言えない気持ちになる。こんなことを言うと引っ掻かれるのが分かっているので、何も言わないが。
    「して、何故このようなことを?」
     そうして三人が同じ浴槽に浸かった途端に、拝島がそう尋ねてきた。
    「我を広いお風呂に浸からせてやりたいという気持ちなら嬉しいのだが」
    「……そうじゃねえよ。俺、この間お前に言わなくていいようなこと言っただろ? 俺が──拝島事件で騙された人間だって」
     のぼせる前に切り出すと、拝島の表情が微かに硬くなった。隣にいる七生も、若干の緊張を滲ませている。
    「……そんなことはよい。事実なのだろうからな」
    「あの時は、お前に絡んでやろうって気持ちで言った。事実だとしてもそんなんよくないよな。だから改めて謝りたくて。でも、ただ謝るだけじゃ、お前多分気にするだろ。で、こんな馬鹿なことを思いついた」
     風呂のお湯を掬いながら、阿城木は言う。
    「言った通り蔵にさ、化身が出る水が大量にあったんだよ。化身が無くて覡になれない俺を哀れんでさ、ばあちゃんが買ってきたやつ。妙なもんで、騙された思い出と一緒にずっと持っちまってたんだ」
    「そうか。……なるほど」
    「だから、湧かしてやったわ。いや、正直全部入れても風呂いっぱいにはならなかったからさ、普通の水も混ぜてるけど」
    「は?」
     そう言ったのは、七生の方だった。
    「えっ!?!!? み、ミネラルウォーター、わ、沸かし!?  水垢どんだけ酷いことになると思ってるの!? 詰まるよ!?」
    「一回くらい平気だろ……水垢なら俺が頑張るし」
    「化身が出る水を風呂に……? 何故そんなことを……? ま、まさか浴びれば化身が出るとでも思ってしまったのか……? そ、そんな……」
    「そうじゃねーよ!! ……なんつーか、ケジメ? みたいなもんだよ。お前の好きじゃない過去を思い出させるようなもん、無い方がいいだろ。だから、一番馬鹿馬鹿しい使い方をしてやろうと思ってさ。水に流すって言うじゃん」
    「これはお湯なのじゃが……」
    「細かいこと気にすんなよ! 一〇二四歳なんだろ! お前!」
     そう言うと、不意に拝島がけらけらと笑い始めた。いつもの九尾の狐らしさを追求した笑い方ではなく、素の拝島去記が垣間見られるような笑い方だ。
    「入彦(いりひこ)、主は普通な顔をして案外変なやつだな」
    「普通な顔で悪かったな。お前に言われたかねーよ」
    「阿城木って変なこと思いつくよねー! 罪悪感抱かせちゃったお詫びがこれ!? なんかぶっ飛びすぎだって!」
     七生も楽しそうに笑っている。やっぱり早まったかと思わなくはないが、これくらいしか思いつかなかったのだ。
     浴槽に張ったお湯は、やはりただのお湯でしかなく、化身が出る気配も無い。
     ただ、こうするべきだったんじゃないか、と阿城木は強く思っている。

     風呂から上がると、阿城木は一人一つずつアイスを配付した。七生はお菓子の中でもアイスがお気に入りらしく、身体が火照るようなことをした後は、いつもそれを所望した。七生にはソーダアイスを、拝島にはあずき味の棒アイスを、そして自分はグレープシャーベットをチョイスしながら、食卓を囲む。
    「はー、やっぱりアイスは最高だね! 冷たい!」
    「お前、流石に一日一個にしろよ? いいな」
     七生にそう釘を刺してから、拝島の方に向き直る。
    「どうよ。化身水の風呂。水に流せたか?」
    「まあ確かに、あれで罪悪感を抱けというのは難しいものよな」
     拝島がしらっとした顔で言う。
    「意図としては合ってんだけど、なんか釈然としねえな」
    「……なんて。罪悪感は薄れ得ぬものよ。だが、軽くはなった。主は優しいな、入彦。水に流す立場は主の方であろうに」
    「なら、ついでに水鵠に入れよ。お前、舞奏が嫌いなわけじゃないんだろ。過去の事件のことで脛(すね)に傷があるっていうなら、そっちも気にしなくていい。こっちはどこから来たのかもわかんねえ居候と、化身の無い俺なんだからな。むしろ丁度いいだろ」
     拝島去記が実際にどう思っているかは分からない。だが、彼が舞奏の話をされた時に見せた反応を──あの瞬間の焦がれを覚えている。あの時に、分かってしまった。
     何しろ、舞奏に焦がれているのは、阿城木入彦も同じなのだから。
    「我は──」
    「じゃあ、一晩考えてもらおうよ!」
     その時、急に七生が口を挟んできた。
    「どうせ阿城木の家に泊まるんだから、すぐに結論を出さなくてもいいよ。ね、去記。ゆっくり夕ご飯食べて、デザート食べて、それからじっくり考えよ? あ、去記は僕の部屋で寝ようね」
    「僕の部屋じゃなくて、お前が間借りしてる俺の家の屋根裏部屋な?」
     丁寧に注を入れたのだが、七生にはあまり響いていないようだ。そのまま、じっと拝島の方を見つめている。
    「……我の気持ちは変わらぬかもしれぬぞ」
    「それでもいい。少しだけ──時間をちょうだい」
     七生がそう言うと、拝島は小さな声で「わかった」と言った。
     阿城木は心の中で呟く。──頼むぞ、七生。

      *

     人の家に泊まるのなんていつぶりだろうか。それも、自分に好意的に接してくれる人間の家には。高い天井を眺めながら、去記はそう思う。
    「ねえ、去記。まだ起きてるよね?」
     声を掛けてきたのは、数分前に布団に入った七生だ。「流石に起きているぞ」と返すと、千慧(ちさと)は意を決したように言った。
    「阿城木の行動、見たでしょ。……あいつはああいう奴だから。気にするところは気にするけど、自分なりに折り合いをつけていける奴だから。きっと上手くやっていけるよ」
    「入彦と上手くやっていけることは分かっている。折り合いの付け方についてもな」
     去記は静かに言った。どうしようもない過去のことは、どこかで折衷点を見つけなければならない。その点、入彦の解決方法は素晴らしかった。馬鹿馬鹿しくとも、あれだけのことをしたのなら、もうそれ以上を言う方が野暮なのだ。
    「……だが、我を水鵠衆に入れたところで、カミを喜ばせることは出来ぬ。所詮は拝島の血、化生の身よ。観囃子からの歓心を得られども、それでどうなる」
    「それでいいんだ。水鵠衆は」
     その時、千慧の雰囲気が急に変わったような気がした。
    「引け目を感じているんだよね。自分を許せないんだろうね。でも、僕がそんな去記を誘っているのは、同情からじゃない。もっと利己的な目的の為だ。ねえ、去記。水鵠衆に入ればカミへの復讐と贖罪(しょくざい)を一度に果たす方法がある。その為に、全てを捨てることになるけれど」
     窓から月明かりが差し込んでいるのに、千慧の表情がよく見えない。
    「どういう意味だ? 千慧」
     千慧はそれには答えずに、ゆっくりと言葉を続ける。
    「去記の求めるものを、僕なら与えられる。だから代わりに、その身を捧げてほしい」
    「……随分と大仰なことを言うのだな」
    「立ちたいんだろう? 人の役に。我ら水鵠衆。カミの加護受けぬはぐれ者。であろうとも、それだからこそ、この身を焼く場所を与えられた者。さあ、カミへのリベンジマッチだ」
     だからか、と去記は思う。だから、千慧は自分を選んだのだ。
     千慧の目が、じっと自分を見ている。きっと、この目に宿る化身を見つめているのだろう。これに価値を与えるのはこれで二人目だ。
     けれど、きっとそこにいる自分は、今よりもずっと好きになれる可能性のある自分だ。去記は思わず笑みを浮かべる。
    「そうか。……主は我にこれを話したかったのだな?」
     千慧が静かに頷く。去記の笑みが深くなる。
     カミへのリベンジマッチ。拝島家に忘れ得ぬ呪いを刻んだ存在。そのものへの復讐。
    「よろしい、千慧。ならば、我が手を貸そう──いいや、我に手を貸してくれ、か。それでも、カミを呪うのに、我ほど相応しい者もおるまい?」
     それでこそ、と千慧が言う。
     窓の外には月に劣らぬ輝きで、星が瞬いていた。あの星の名前は何だっただろうか、と去記は場違いなことを思う。



    著:斜線堂有紀

    この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。





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    ©神神化身/ⅡⅤ

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