その7 日本的感覚~日本的身体感覚(前半)
日本人は非常に繊細な感覚を持っている。例えば絵画を例にとってみる。西洋の絵は写実的な技法の熟練度を求められる。より現実世界に近い絵、まるで写真のような絵は上手な絵とされる。西洋の絵はフレームの中で世界が完結し、目に見える部分で芸術世界を表現する。
一方、日本には水墨画という技法がある。墨一色でその世界を表現する。たったの一色で世界全体の色彩を表現する。そしてそれを見る人も、たった一色から豊かな世界の色彩を見ることが出来る。水墨画の特色は、フレームの外側をいかに広く想像させるかという点にある。たった一色で描かれた世界の豊かな色彩を感じ、水墨画を見ることで、そこには描かれていないフレームの外の世界を感じさせる。
日本的な絵画は見えない世界を表現する。西洋人は見える世界に住み、見える世界を広げてきたのかもしれない。日本人はあえて見える世界に限定を加えることで、そこから広がる目には見えない世界を感じてきた。絵画の世界でも西洋と日本とでは全く違った感性を持って取り組んできた。芸術とは感性が大きく関係する。
日本人は目には見えない世界を知り、そこに何かがあることを知っていたのかもしれない。八百万の神。日本人は宗教心が薄い等とも言われる。ところが日本人は古くから身の回りの全てに神が宿っているとして信仰してきた。特別に教会へ行かなくとも日本人の心に神を感じるDNAが宿ってる。全ての存在に何か見えない意思が働いている。難しい宗教に頼らずとも日本人はそのことを知っていたような気がする。
だからこそ八百万の神という発想が生まれ日本中に広まった。目に見える神としてではなく目には見えない存在の神が世の中の全てに宿っている。日本人の感覚は日本人には当たり前でも世界の中では特殊だったりするものだ。
目には見えない世界が当たり前として身近にあった日本人。身体と向き合う際に腑分け(解剖)することを民族的に嫌った日本人は、体表を指先でなぞることで目には見えない身体の内面を知ろうとし、その結果、日本医学が生まれた。
日本医学は西洋の物とは全く違い、大陸の東洋医学とも違う。日本独自の理論で日本医学は構成されている。日本医学の身体の理論の中核を成すのは筋楽と骨絡の理論。西洋化が進んだ現代では耳にすることのない理論が日本医学の中核を成しているのだ。
現代でもスポーツと医学の関係は深い。スポーツの理論は医学の理論を土台に出来ている。古流武術の時代も同じく武術は日本医学の理論を土台に出来ている。西洋医学の理論で古流武術は説明仕切れないし、理解することも出来ない。柳生心眼流では日本古来の日本医学も学ぶ。格闘技にあたる殺法を学ぶ際には活法も必ず学ぶ。活法を学ぶには日本医学が欠かせない。西洋医学の理論では日本古来の手技、活法を行うには心もとないからだ。
繊細な神経と指先の器用さで身体の内側を見つめた古流の時代の日本人は、筋という概念を発見した。筋という概念は簡単に書けば人間の身体は筋の集まりで構成されているということ。筋肉という目に見える部分の奥には更に詳細に分かれた筋があるのだ。現代の西洋医学でも筋肉は筋繊維という繊維(筋)で構成されていることが分かっている。