久野
です。

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先週の名古屋での授業前に、熱田神宮の熱田文庫で
織田信長公についての調べものをしてきました。
格式高いお宮の社務所におそるおそる書簡を出しましたが、
2年前の神道青年全国協議会夏期セミナーでの講演
(カップリングは新藤義孝総務大臣♪)を
聴いて下さっていた神職がいて下さったおかげで、
ありがたいことにスムーズに話がつながりました。

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こういうところでていねいに史料を紐解いてゆくと、
信長公がどんな時に熱田神宮を参拝したのか、
そして信長がどれほど神仏を大切にしたのかを
改めて知ることができます。

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現在書店に並んでいる(悪意ある、あるいは単に不勉強な方が書いた)
信長公関連の書籍における評価とは、ずいぶん違うことも分かります。
熱田神宮に参拝する方はぜひ、
「信長塀」とも向き合って当時の歴史を感じて下さい。
(これこそほんまの“塀(へい)とスピーチ”?)

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王政復古(明治維新)後に改めて評価された
信長公をお祀りする建勲神社が、勅命によって建立されました。
たいした根拠もなく「信長は朝廷をないがしろにした」
「自分が王になろうとした」などと書いている本では、説明がつきませんよね。

その後も各地に同じ名前で信長公をお祀りする神社が建てられてゆきます。
一方、たとえば明智光秀の神社はいくつあるでしょうか?

こう書くと、比叡山焼き討ちのことを引き合いに出す方もいるでしょう。
そういう時こそ、外敵から日本をまもり、
各地の神社仏閣を復興してきたはずの信長公が
「なぜ比叡山にだけはこんな仕打ちをしたのか?」
「よほどの理由があったのか?」と考えてこそ本来の歴史学です。

ちなみに信長公がココ一番の合戦前に熱田神宮に参拝したことが、
有名な桶狭間の戦い以外にもう一度あります。

そういう話も含めて明日のニコ生でお話ししますので、どうぞ御期待下さい!

( 久野 潤 )