久野です。
日米開戦から75年目の、12月7日 ――
本年は御縁を頂き、ハワイでの真珠湾攻撃75周年の追悼式典に参列しました。
しっかり日本軍攻撃開始の朝7時55分に合わせて
式典が始まるのがアメリカらしいです。
我が国だと志の相当ある方でも
「その時間だとみんな来れないよー」ってことになるでしょう。
その7時55分、日本機動部隊の
(たぶん)九九式艦上爆撃機の投弾
そして爆発の音が会場に響き渡って式典が始まりました。
日本での追悼行事と違って、
軍人や日本人以外みんなアロハシャツですが、
これが御当地の“フォーマル”なんでしょう。
湾の向こう側にミズーリ記念館や
アリゾナ記念館を望む会場の前を、
追悼の軍艦が航行し、テキサンが飛翔します。
登壇者の言葉に反応して、
時おりスタンディングオベーションが起こりました。
なお主賓のうち、ハリー・ハリス米太平洋軍司令官や
デービッド・イゲ ハワイ州知事は日系人です。
黒人以上に差別され、日米開戦によって
過酷な運命を背負った日系人たちでしたが、
こうなれたのも彼らの人並み外れた努力の賜物でしょう。
ともあれ本年はもはや、
実際に真珠湾攻撃に参加した日本軍将兵は
一人も参列していません。
そんな中ある意味アウェイ感満点でしたが、
ふと「あぁ先人たちは国家のため空に、
海中にこんなところまで命を投げ出して攻撃にやってきたんだ」
という何とも言えぬ感慨に襲われました。
自分たちはその万分の一でも国家のために、
何かを投げ出して行動できているでだろうかと。
そして登壇者の中には
(私が知らんかっただけですけど)なんと我が家の地元、
石清水八幡宮の田中恆清宮司の姿もありました。
日本人の理想の世界観を述べた田中宮司のスピーチは、
歴史に残るものだと思いました。
かつて日本の先人たちが殉じた国家の理想についても、
今後長い時間をかけて
アメリカ人に伝えてゆかねばならない思いを新たにしました。
ハワイは実は、新年の今年
最初の出張でも行きましたので2回目です。
式典の合間に改めて各博物館を見学しましたが、
日本軍についての展示も含めて、
かなり気合いが入っています。
圧倒的な“物量差”というのは、
戦時中のことだけではないのかもしれません。
あの戦争から本当の教訓を得るためには、
戦前・戦中だけではなく
戦後の日米比較が必要ではないでしょうか。
今回の久野潤チャンネルでも、
そうしたことをお伝えしたいと思いました。
( 久野 潤 )