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閑話『迷い家』


著:古樹佳夜
絵:花篠

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◆◆◆◆◆民家◆◆◆◆◆

紅葉に染まる静かな山の奥。
ぽつんと、取り残されたように佇む古民家に、小さな人影が二つあった。

?? 「ねえ、誰か来たようだよ」
?? 「ふーん。次の訪問者は二人か」
?? 「まもなく日が落ちるね」
?? 「ああ。じき、こちらにやって来るだろう」

◆◆◆◆◆山奥◆◆◆◆◆

吽野 「あだだだ、イガが手に刺さった!」

掴んだ栗のイガを乱暴に放ったのは、不貞腐れた顔の吽野だ。
足元の落ち葉をガサガサと荒らし、大きなため息を吐き出す。
その横で、阿文は屈んで上手に栗を拾っている。

阿文 「先生、こうやって……足で踏んで、イガを外してから、拾うんだ」

丁寧に実演している阿文のことなど、吽野は見向きもしていない。
それどころか、空を仰いで腰を伸ばしている。

吽野 「う〜……腰が痛い。腹も減ったし、体も冷えた……」
阿文 「またそんなことを言って。全然、栗を拾えてないじゃないか。言い出しっぺなら責任を持て」
吽野 「だってー」
阿文 「栗ご飯が食べたい! と騒いだのはどこのどいつだ」
吽野 「でもさ、よく考えたら栗って下準備が面倒だよね。拾ってきても鬼皮を割って、渋皮を剥いて……それを考えると、途端にやる気がなくなるっていうか」

いつも通り文句が多い吽野だった。

阿文 「今更言うことじゃないな。だいたい、先生が原稿の気分転換がしたいと言うから、こんな田舎くんだりまでカゴを担いで出向いたと言うのに……」
吽野 「はいはい、すみませんでした!」

阿文のお小言が始まるのを察して、吽野は言葉を遮った。

吽野 「おっ。君のカゴは、もういっぱいだね」
阿文 「先生がサボってる間にな」

阿文が背負ったカゴに近づき、中を覗く吽野は満足げに笑う。
照りのよい大粒の実がいくつも入っている。
この栗は茹でても、焼いても、きっと美味しいだろう。
想像して思わず生唾を呑んだ。

吽野 「んじゃ、栗ご飯を分は十分に拾えたし、そろそろ帰ろう」

空の端が赤く染まり始めている。あと数十分で、葡萄色になっていくはずだ。

阿文 「そうだな。もう辺りも薄暗い。秋の日は釣瓶落としとはよく言ったものだ……ん?」

ふと、阿文は立ち止まって、あたりを見回した。
その様子を不思議がって、吽野が尋ねる。

吽野 「どうしたの?」
阿文 「……ここまで、木に結んできた目印だが」
吽野 「うん」
阿文 「暗くてよく見えないな」
吽野 「そうだね」

阿文は言いづらそうに、頬を人差し指でかいた。
けれど、吽野はぼんやりつったって、早く行こうと急かしてすらいる。
言い淀んでいる場合ではなかった。
少し焦ったような口調で、阿文は吽野に告げたのだった。

阿文 「……すまない、先生。迷子になったようだ」
吽野 「えー! どうしてくれるのよ、阿文クン〜!君は昔っから、ちょっと天然というか、おっちょこちょいというか」

吽野は大袈裟に動揺したふりをして、阿文をからかったつもりだった。

阿文 「そういう先生だって、いつでも他力本願で、面倒ごとは全部僕に押し付けて!」

ところが、思いのほか阿文が気色ばんだので、吽野は勢いに押されておし黙った。

吽野 「ん? あれは……」

ふと、吽野の目の端に、微かな灯りが映った。

吽野 「民家の灯りだ! よかった、凍えずにすみそうだ」

気づいた途端、吽野は鉄砲玉のように駆け出した。

阿文 「ちょっと、先生、一人で走って行くな」

慌てて、阿文はその後を追った。
あたりに散らばる落ち葉が大袈裟な音を立てた。

◆民家の中

二人が辿り着いた民家は木造平家で、
造りは古いが廃屋ではなさそうである。
あたりは掃かれた後もあり、戸の隙間からは温かな灯りが漏れていた。

早速、吽野は民家の戸を叩いた。

吽野 「ごめんくださーい」

返事はなかった。もう一度、吽野は戸を叩く。

吽野 「おーい。誰か居ませんかー」
阿文 「……返事がないな」

二人の間を冷たい木枯らしが吹き抜けた。
吽野も阿文も思わず着物の内側に手を引っ込める。

吽野 「さむっ!」

大袈裟に吽野が叫ぶ。
ついさっきまでは『勝手に人の家に入っては……』と、
阿文は遠慮がちな気持ちであった。
しかし、この寒さはたまらない。
吽野同様に、今すぐ戸の内側に駆け込みたい。
見れば、木の戸は5センチほど開いている。

阿文 「申し訳ないが、中に入れてもらおう」

5センチが小さな後押しとなって、二人は揃って玄関の戸に手をかけた。

吽野 「わ〜……! あったかい」

民家の中は驚くほどに温かだ。
中は広々として、目の前には立派な土間と、その横には板の間がある。
家を支える木の柱も太くて立派だ。
奥には廊下も見え、歩いていけば部屋が続いていることをうかがわせる。
土間には鍋や皿など調理器具は一通り揃っていた。
吽野は興味本位で瓶を覗き込んだ。中は新鮮な水で満たされて、虫も沸いてない。

ぱちぱちと火が爆ぜる音がした。板の間の中央には囲炉裏がある。
そこには火にかけられた鍋が下がっていて、くつくつと音を立てている。
白い湯気が立ち上り、味噌のいい香りも漂っていた。

この空間の何もかもが、さっきまで人が居たことを物語っていた。

阿文 「家主はいるが、留守なのか……?」

阿文が呟いたと同時に、
家の奥から、ギシギシと微かな足音が響いた。

阿文 (ん? 足音がしたような)

阿文は訝しんだ。さっき声をかけたのに、なぜ家主は返事をしなかったのか。
横に立つ吽野に疑問を投げかけたが、
吽野は全く音には気づいていないようだった。

吽野 「とりあえず火に当たりたいよー」

むずがる吽野の言葉に被さって
またしても、「ギシギシ」と廊下が軋む音が響く。

阿文 「……なあ、やっぱり人がいる気がするんだが」
吽野 「本当? じゃあ、なんで返事しないのよ」
阿文 「さあ?」

未だ答えは見つかっておらず、阿文も首を傾げた。

吽野 「まあいいや」

履き物を性急に脱ぎ捨てた吽野は、板の間に上がり込む。
囲炉裏の前に行き、どかりと腰を下ろした。

吽野 「ふー。囲炉裏、あったかい〜」

まるで自分の家のようにくつろぐ吽野を、阿文も羨ましく思った。
土間の冷たい地面がじわじわと阿文の指先を凍えさせている。
阿文はあたりを見回した。
そして、申し訳なさそうに履き物を脱ぎ揃えてから、
観念したように吽野の向かいに座った。

阿文 「生き返るようだ」

囲炉裏にあたって、冷え切った身体が芯から溶かされていくようだった。

吽野 「ねえ、そこに紙が落ちているよ」

吽野が指さした先には、一枚の和紙が落ちていた。
なにやら、細い筆文字で文章が書かれているようだ。

阿文 「置き手紙かな?」

阿文は紙を拾い上げ読み上げた。

阿文 「『お客人様へ。いらっしゃいませ。ごゆっくりどうぞ。お帰りの際は、家の中のものを一つお持ち帰りいただけます』」

不可解な内容に、阿文は首を傾げる。
しかし、吽野は何かわかったのか、目を細めた。

吽野 「あ。さては、この家……」
阿文 「何か心当たりでも?」
吽野 「うん。迷い家(まよいが)ってやつじゃないかな」
阿文 「まよいが? なんだそれは」

聞き覚えのない言葉に、阿文がおうむ返しする。
吽野は腕組みしながら、話し始めた。

吽野 「古くから伝わる怪異譚だよ。山奥で迷子になった人間が、無人の家に辿り着く。家の中はさっきまで人が居たような形跡がある。囲炉裏には火があり、お湯も沸いてる。まるで旅人をもてなすかのようにね。しかし、いくら探しても、家主だけがいない……」
阿文 「怪異なら一刻も早くここから出よう。もし出られなくなったりしたら……」
吽野 「大丈夫だよ。ちゃんと帰れる。翌朝にはね」
阿文 「本当か?」
吽野 「けして忌むべきことじゃない。家の物を持ち帰ると、幸運が訪れるって言うし」
阿文 「……この家の物っていうと……例えば?」

吽野は囲炉裏のすぐそばに置かれた、椀の一つを取り上げた。

吽野 「このお椀とか?」

取り上げた途端に、吽野の腹がぐう〜と情けない声を上げた。
ご丁寧にも、お玉、椀、箸と、
『さあ召し上がれ』と言わんばかりに揃えてあるのだ。
吽野誘惑に勝てなかった。

吽野 「そろそろ食べてもいいかな?」
阿文 「…ああ、先生! 鍋を突くなって」
吽野 「お腹減っちゃったんだもん。いい具合に煮えてるし……」

木のお玉で煮えている鍋をかき混ぜると
さつまいも、椎茸やしめじ、にんじん、大根と、
具沢山だということがわかる。
そのままお玉で汁を掬い取った吽野に、もう迷いはなかった。

阿文 「勝手に食べるな。まだここが迷い家と決まったわけじゃないだろう」
吽野 「間違いなく、ここは迷い家だ! いただきまーす!」

椀の中の汁をゆっくりと啜ると、芳醇な味噌の香りが口いっぱいに広がる。

吽野 「あーうまい……」

胃の腑に温かい汁が染み渡る。程よい塩気と野菜の甘み、
鰹節の出汁が聞いた、極上の一杯だった。

阿文 「あーあ。どうなっても知らないぞ」

満面の笑みをこぼす吽野を、阿文は呆れ顔で見つめた。

吽野 「君も食べるといい。いい出汁が出て……」

そう、吽野が言いかけた時だ。
パタパタ。パタパタ。

阿文 「先生、今の音が聞こえたか」
吽野 「……聞こえた。この軽い足音は、子供か?」

先ほどは聞き逃していた吽野も流石に気づいたようである。
二人は音のした方を凝視したが、
そこには誰もいなかった。気配も無くなっている。
目を凝らすが、部屋は広いので四隅の方の照明は薄暗い。
吽野も阿文も少しの間は黙って様子を窺っていたのだが、
すぐにまた二人で会話を始めたのだった。

その様子を、大きな柱の影から、小さな影たちが見守っていた。

?? 「……あいつら、僕らに気づいてる」

影たちはこそこそ呟いた。

?? 「勘が鋭いらしい」
?? 「ねねね、声掛けてみてよ!」
赤童 「ええー? お前がやれよ」
白童 「いいから、いいから!」
赤童 「たく……」

影は抜き足差し足で吽野と阿文のそばに忍び寄った。

?? 「おい」
吽野 「だー! びっくりした!」

油断しきっていた吽野は
垂直に飛び上がると、右手に持った箸を思わず放り出してしまった。
ちなみに、左手に持っていた椀は死んでも離さなかった。
命の一杯をひっくり返してはもったいない!と
確固たる思いがあったのかもしれない。

阿文 「こ、子供が二人! いつの間に」

吽野と阿文は目を丸くした。
そこには、赤い髪の子供と、白い髪の子供が立っていた。
二人は兄弟であろうか。揃いの着物に、袴を身につけていた。
赤髪の方が少し背が高かった。歳は十二、三歳だろうか。
少し吊った切長の目は、じっと吽野を見つめている。
その後ろの白髪の少年は大きな垂れがちの目をぱちぱちと瞬かせていた。

吽野 「やべ、ここ迷い家じゃなかったの?」
阿文 「だから言ったじゃないか、先生!」

慌てる二人をよそに、少年たちは「あ!」と小さく声を上げて、
顔を見合わせた。

?? 「この人たち、僕知ってるよ!」

白髪の少年が高い声を張り上げる。

?? 「俺も知ってるぞ。お前ら、吽野と阿文じゃないか」

赤髪の少年も、二人を交互に指差して言った。
ところが、当の吽野と阿文はぽかんと口を開けるだけで、
数秒は返事ができなかった。

吽野 「あの……どちら様?」
?? 「ええ〜、忘れちゃったの? 僕たちのこと」
?? 「無理もない。もう随分昔に会ったきりだ」
吽野 「昔に会った?」

吽野は困惑していた。というのも、普段から吽野は
あまり人に対して興味関心がない。
人の顔を覚えるのは苦手の部類だ。
それでも、こんな派手な髪色の子供が知り合いだと言うなら、
忘れるはずもない。
吽野は無理にでも思い出そうと眉間に皺を寄せた。

阿文 「まさか、お前たち……」

先に気づいて、口を開いたのは阿文の方だった。
二人は「うんうん!」と首を縦に振る。
そして嬉しそうにその場でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
阿文が言い当てる前に、子供たちは自ら名乗った。

赤童 「座敷童の赤童(せきどう)と」
白童 「白童(はくどう)だよ!」
吽野 「座敷童だって?」
阿文は正体を聞いても、「やはりそうか」と冷静に頷いてみせた。
一方、吽野はまだピンときていないようで、眉間に皺を寄せている。
見かねた阿文が、ほら、と吽野に思い出すように促した。

阿文 「僕らが江戸の長屋で髪結と貸本屋をしながら暮らしていた頃、会ったじゃないか」

そこまで言われて、ようやく吽野も気づいたようだ。

吽野 「あ、ああ〜そういえば……昔、出入りしてた屋敷に、居たなぁ?」
阿文 「楓さんの家だったな」

「そうだそうだ!」と吽野は頷く。

吽野 「楓って、阿文クンの追っかけの大店の娘ね。大金持ちを鼻にかけて、やな娘だった」

芋づる式に思い出された記憶は、随分と皮肉っぽい。
そういえば、吽野は当時から阿文の追っかけの娘を疎ましく思っていた。
相変わらずだな、と阿文は苦笑した。

赤童 「あいつの家が栄えていたのは、俺たちが家に住み着いていたおかげなんだぞっ。座敷童は幸運を呼び寄せる妖(あやかし)だからな」

赤童は自慢げに腕を組んでみせた。自分の功績を褒めて欲しいと言わんばかりに。

阿文 「たしかに、今やあの家は日本屈指の大企業だ」
吽野 「妖の力、恐るべし」
白童 「えっへん!」

白童も赤童に倣って、大袈裟に胸をはった。

吽野 「そういえば、あの屋敷は今じゃ取り壊されて、高層ビルになってるんだっけ」
赤童 「おかげで俺たちも暮らしづらくなった」
白童 「うんうん。最近の家は性に合わないよね」
赤童 「あの『ふろーりんぐ』とかいうやつ、ツルツルすべりやがるし」
白童 「うんうん。真っ白な灯りも、ちょっと明るすぎる」
赤童 「『こんくりーと』とやらは、石造で冷たいんだ」
阿文 「たしかに、長い時を経て家の形は様変わりしたな」
赤童 「だから最近、この『迷い家』に引っ越してきた」
吽野 「なんでわざわざ『迷い家』を選んだのさ?」
赤童 「座敷童の本分を忘れないためだ」
吽野 「座敷童の本分?」
赤童 「俺たちは、人間に福をもたらすもの。ここで道に迷った人間を迎え入れ、疲れを癒し、幸福を分け与えている」
白童 「もともと、迷い家は幸運を得られる場所だけどね、僕たちが住むことによって、幸福がもっと、もーっと大きくなるんだ。迷い込んだ人間は、『幻の宿』なんて呼ぶんだよ」
阿文 「幻の宿か。そいつはすごい」
赤童 「まさか、お前らが訪れるとは、夢にも思わなかったが」
白童 「ね! 僕たちも吽野と阿文に会えて、幸せもらっちゃったね〜!」
阿文 「ふふ。そう言ってもらえて、嬉しいよ」
吽野 「せっかくなんだし、四人で鍋を囲もうじゃないか」

「立ち話もなんだ」と、吽野は座敷童たちを座るように促した。

吽野 「ほら、お前らもここに座れ。今二人分の座布団を……あれ?」

てっきり、客用の座布団が部屋の隅に
積み上がっていると思われた。
けれども、吽野と阿文が座っている以外、
部屋のどこにも座布団は見当たらない。

白童 「座布団ね、その二枚しかないんだ〜」
赤童 「最近来た奴が一人で十枚以上持っていっちまった」
吽野 「笑点メンバーでも泊めたのか?」
赤童 「持ち出せる日用品は、一つという約束なのに、がめつい奴もいる。世知辛い世の中だ」
白童 「そうそう。他にもね、変な物を持っていっちゃう人もいるんだ」
阿文 「変な物? 例えば?」
赤童 「厠(かわや)の戸とか」
吽野 「うげっ……そんなものどうして持っていくんだろ……」
阿文 「持って帰るのも大変だろうに」

ギシギシ!
またしても、家の中から床を踏み締めるような物音がした。
座敷童たちと話していた阿文は気づいていないようだが、
今度は吽野だけが物音に気づいた。

吽野 (この足音は、座敷童たちじゃないよな)

阿文 「先生、どうかしたのか」

廊下の方を見つめる吽野に、阿文は尋ねる。

吽野 「なあ、その厠の場所に案内してくれないか」
白童 「なんで?」
吽野 「その扉、持ち去られたんじゃないかもよ」

◆◆◆◆◆厠◆◆◆◆◆

座敷童たちに案内されて、吽野たちは厠に向かった。
厠は離れに作られていた。
木枯らしが吹き、肌寒さに震えながらも、
四人は厠近くの茂みに踏み入った。

赤童 「草むらをかき分けて、何を見にきたんだ?」

吽野が用心深く草むらを行ったり来たりしているので、
座敷童たちは不思議がっていた。

吽野 「多分、この辺にあるんじゃないか?」

吽野は何やら目星がついているようだ。
その時、真横で赤童が「ああ!」と声をあげた。

赤童 「これは……」

赤童が指さした先には、
真っ二つに叩き割られた木の戸が転がっていた。
まるで隠されているように、半分は土に埋まっていた。
探さない限りは気づけなかっただろう。

吽野 「やっぱりねー」
阿文 「なにがやっぱりなんだ? なぜ、この戸が壊されている?」
吽野 「もしかしたら、誰かが厠に潜んでるんじゃないかと思って……」
白童 「ええ? 僕ら以外に誰かがこの家に隠れているの?」

恐ろしい言葉に、阿文も座敷童たちも思わず振り返る。

阿文 「しかし、なぜ厠なんかに」
吽野 「もし、厠が壊れていたら、別の場所で用を足す。そしてここには誰も近づかない。安心して潜んでいられるでしょ」
阿文 「なるほど」

冴え渡る推理に阿文が感心していた時だった。
白童が佇んでいた場所から数メートル先の草むらが
ガサガサと揺れたのだ。

赤童 「白童! うしろっ!」

赤童が叫ぶと、大きな熊のような影が茂みから飛び出して
白童目掛けてのしかかった。
それは、よく見れば人間の形をしていた。

白童 「うわあ!」

白童が悲鳴をあげるが、なすすべなく押し倒されてしまう。

赤童 「まずい、あの男、先日泊めた奴だ!」
吽野 「なにぃ!?」

なんと、潜んでいた人間は、
以前、迷い家に泊めた客の男だと言う。
男は素早い動作で白童を担ぎ上げると、
一目散に走り出した。

赤童 「おい! なんとかしてくれ、白童が連れてかれちまう!」
白童 「た、助けてー!」

白童が助けを求めるが、男の足は異様に速い。
吽野も阿文も後を追うが、その逃げ足の速さは
野生の鹿でも追いかけているようだった。
暗い森の中を転がるように駆けていく。

阿文 「逃がすものか!」

焦った阿文は全身に力を込めた。
叫んだ阿文に驚き、吽野が振り向いた時には、
すでに阿文の体は光に包まれていた。
吽野 「阿文クン!?」

阿文の指先からは光の矢が飛び出した。
どすん!
光の矢は逃げる男の背に命中し、体をすり抜けて空気に溶けた。

「ぎゃあ!」

矢に貫かれた男は、カラスのような掠れた悲鳴をあげると、
ドサリと草の上に男が転がって、
そのままぐったりと伸びてしまった。
男が倒れた弾みで、抱えられていた白童は、
近くの落ち葉の山に投げ出された。

赤童 「白童!」
阿文 「大丈夫か?」

駆け寄った阿文に白童は縋りついた。

赤童 「すっげーな! 阿文の指からビームが出た!」

赤童は感動の眼差しで阿文を見上げていた。
まるで親犬にじゃれつく子犬のように興奮気味に阿文と白童の周りを
ぐるぐる回っている。

吽野 「阿文クン、真の姿に戻っちゃったの?」
阿文 「神通力を使おうとしたら、……弾みでつい」

阿文は困った表情を見せた。
真の姿に戻ってしまうと、半日はこの姿のままなのだ。
普通の人間から御光が放たれている状況は、変に目立つ。
参ったなあ……と阿文はこぼした。

伸びている男を覗き込んだ吽野は、そのぼってりした体躯をぞんざいに足で突く。
男は白目を剥き、すっかり気絶している様子だった。

赤童 「吽野! これを」

赤童が投げてよこしたのは、
もしものためにと持ってきていた荒縄だ。
吽野は縄を受け取ると男をギチギチに縛り上げた。

白童 「ありがとっ! おかげで命拾いした」

助けられた白童が泣きそうな声で阿文に俺を言う。

阿文 「お前が無事でよかった」
吽野 「それにしても、この伸びてる男、座敷童たちの姿が見えてたとは、意外と霊感が強いのかもしれない」
白童 「どうして僕を連れ去ろうとしたの?」
吽野 「お前たちが幸運の象徴だって、わかっていたんだろう。自分の家に連れ込めば、大きな幸運が訪れると信じて」
赤童 「持ち帰っていいのは、日用品一つだけだと言ったはずだ! 座敷童はだめだ!」
白童 「そうだそうだ! 欲張りにも程がある!」

吽野 「さて、こいつどうしようか?」

手についた泥を払いながら吽野は言った。

阿文 「明日、帰りがけに麓の警察の前に転がしておこう」
赤童 「大丈夫だ。それは、俺に任せておけ!」

赤童は鼻息荒く言った。

◆◆◆◆◆民家◆◆◆◆◆

翌朝、吽野と阿文が寝床から起き出すと、
座敷童たちの手によって、立派な朝食が用意されていた。
白米に、川魚の塩焼き、たくあんに味噌汁。
十分すぎるもてなしに吽野も阿文も感謝しきりだった。
朝食を平げ、出されたお茶を飲み干した後、
二人は帰り支度を整えた。

吽野 「さて、下山しようかね」
阿文 「お世話になりました」

阿文が軽く頭を下げると、
白童と赤童もペコリと頭を下げる。

赤童 「なあ、本当に、何か持って行かなくていいのか?せっかく幸運を分けてやろうというのに。ほら、この茶碗なんかどうだ?」

赤童は椀を吽野に差し出してきた。

吽野 「いや、いいよ。不思議堂には、そういうのたくさんあるからね」
赤童 「そうか。欲のない奴らだ」

迷い家を訪れた人間なら、必ず欲しがる幸運だというのに。
赤童は不思議そうな目で吽野を見ていた。

吽野 (こんな山奥で暮らす二人から、何かもらう気にもなれないもんね)

吽野が小声で阿文に告げる。
阿文も同じ気持ちだったのか、うんうん、と頷いて見せた。

阿文 (昨晩、鍋を囲んで楽しい時間を過ごせたのだから、それで十分だ)

阿文の言葉にも、吽野はうんうん、と頷いて返した。

白童 「……じゃあ、忘れ物ない? 栗の入ったカゴ、持った?」
阿文 「ああ」

白童が何度も確かめるので、
阿文は後ろを向き、背負ったカゴを見せた。

吽野 「それじゃあな」
赤童&白童 「うん! さよなら!」

座敷童たちに見送られて、二人は歩き出した。
白童も赤童も、二人が見えなくなるまでずっと手を振り続けていた。


山道を十分ほど歩いた時だった。


阿文 「おや?」
吽野 「どうしたの?」

阿文が背負っていたカゴを覗き、吽野に中を見るように促した。

阿文 「カゴの中の栗が、渋皮まで綺麗に剥けている。座敷童の二人がやっておいてくれたみたいだ」
吽野 「それは、手間が省けたね」
阿文 「ああ。幸運をもらったな」


[了]

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■『不思議堂【黒い猫】~阿吽~』 連載詳細について

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