初めてのひとり暮らしは東京だった。西武池袋線清瀬駅の南口。商店街の途中にある細い路地を右に折れたところにある木造モルタルのアパート。錆び付いた外階段を上った二階にあるのがぼくの部屋だった。玄関を開けるとすぐに三畳ほどの台所にバスタブのある小さな風呂と水洗トイレ。ガラガラと音を立てる右側の開き戸の向こうに日当たりの悪い六畳の部屋があった。カーテンもつけていない磨りガラスの窓の向こうに向かいのスナックの赤いネオンが光っている。安いアルコールの匂いがする。畳の上に置いた留守番電話の点滅。再生ボタンを押すと放送作家の先輩からの「『元気が出るテレビ』と『お笑いウルトラクイズ』の企画を百個書いて来て」みたいな連絡事項が何回かに分けて入っていた。ぼくは放送作家見習いとしてテレビ業界という未知なる世界に足を踏み入れたばかりの二十歳の大学二年生だった。なのに部屋にはテレビもなかった。畳の上に置いたCDラジカセと細長い棚がひとつあるだけの暖房器具もない部屋でラジオの深夜放送を聴きながらレポート用紙にボールペンで企画案を書き続けた。朝まで掛かって書いた企画の束をリュックに詰めて混雑する西武池袋線に乗り、池袋から有楽町線に乗り替えて麹町で降りる。日本テレビの近くに所属させて貰っていたテリー伊藤さんのプロダクションがあった。会議に打ち合わせにオーディションにロケに編集にスタジオ収録と見習いだったぼくは何日も家に帰ることができないときもあった。週に一度か二度、清瀬の家に帰ることがあっても溜まった洗濯物をコインランドリーで回したまま薄い布団をかぶって死んだように眠るだけだった。
草の根広告社
「東京」
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