おはようございます、マクガイヤーです。
前回の放送「最近のマクガイヤー 2019年1月号」は如何だったでしょうか?
『西川伸司デザインワークス』と『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン:センチュリー』は、一人10冊は買ってほしいくらいお奨めですね。マクガイヤーとの約束だ!!
マクガイヤーチャンネルの今後の放送予定は以下のようになっております。
○2月3日(日)19時~「『銃夢』と『アリータ: バトル・エンジェル』」
2月22日より映画『アリータ: バトル・エンジェル』が公開されます。本作は木城ゆきと著の漫画『銃夢』を原作としています。『銃夢』は1990年代に連載が始まり、現在も続々編が連載中ですが、自分は『銃夢』が大好きで、特に90~00年代にSF漫画というジャンルの中で大きな位置を占めた作品だと考えております。
そこで、漫画『銃夢』を解説すると共に、ちょっとだけ映画『アリータ: バトル・エンジェル』について予想するニコ生をお送りしたいと思います。
アシスタントとして御代しおりさん(https://twitter.com/watagashiori)に出演して頂く予定です。
○2月17日(日)19時~「最近のマクガイヤー 2019年2月号」
詳細未定。
いつも通り最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。
○3月10日(日)19時~「俺たちも昆活しようぜ! Volume 2」
昨年の8月、ご好評頂いた昆虫回が帰って参りました。
今回も昆虫にちょう詳しいお友達のインセクター佐々木さん(https://twitter.com/weaponshouwa)をお呼びして、昆虫の魅力について語り合う予定です。
漫画に出てくる昆虫……果たしてどんな昆虫話が飛び出すのか?!
ちなみに前回の放送はこちら
さて、今回のブロマガですが、前回に引き続き藤子不二雄Ⓐの『まんが道』について書かせて下さい。
●『愛…しりそめし頃に…』でⒶが描きたかったものとは?
しかし、「春雷編」までの『まんが道』では不十分だということを理解していたのは、誰よりもⒶ自身であったのかもしれません。
そんなことを考えてしまうのは、「愛しり編」がそれまでの『まんが道』とは若干異なる雰囲気を持っているからです。成長するということは、青年がオトナになるということです。『まんが道』にふさわしい形で、満賀が女性を知ってオトナに近づくと共に、それまであまり描かれなかった人生の暗黒面を描いていこうというねらいが、そこかしこに垣間見えるからです。
まず、満賀と才野のキャラクターデザインが大幅に変更されました。全体的に頭身が上がっているのですが、イガグリ坊主ではなく、それなりに髪が伸びた満賀は「愛…」のタイトル通り、これまでの『まんが道』に比べて恋愛もこなせそうです。才野は目が黒点化しました。これは漫画表現的に内面を窺えないキャラであることを意味し、脇役に回ったことがデザインでも示されます。
「愛しり編」の序盤で、一大事として描かれるのは、石ノ森章太郎の姉、小野寺由恵との出会いと死についてです。
満賀は、小野寺由恵を女性として意識し、本を貸したり、深夜に小野寺由恵から石ノ森章太郎の将来について相談を受け、どぎまぎしながら答えたりします。このシーンについては、(深夜ではないものの)『トキワ荘青春日記』に同様の記述があります。
皆で富士五湖めぐりの旅行に出かけた際、夜明けに精神湖のほとりで二人だけの時間を持ったりしたという描写があります。おそらくこれは創作でしょうが、小野寺由恵の想い人がⒶであったこと、おそらくⒶは(後年になってからかもしれませんが)想いに気づいていたことを考え合わせると、重要な描写となります。
そして「愛しり編」4巻(「不意打ち」)で、小野寺由恵は死にます。姉の死を伝える石ノ森章太郎の顔も、霊安室で小野寺由恵の亡骸をみつめる皆の顔も、人生の昏さが象徴されるかのように真っ黒です。
小野寺由恵が亡くなったのは1958年4月4日のことでした。トキワ荘にいた期間は日記をつけていたことを公言しているⒶですが、この時期の日記は『トキワ荘青春日記』からカットされています。石ノ森章太郎にとって姉の死が人生の一大事だったことは書くまでもありませんが、Ⓐにとっても日記を公表したくないくらいの相当ショックな出来事であったことが伺えます。
このエピソード(「不意打ち」と「哀しみを胸に」)がビッグコミック増刊号に掲載されたのは1999年のことです。この時Ⓐは65歳。Fも石ノ森章太郎も寺田ヒロオも数年前に亡くなり、赤塚不二雄はアルコール依存症で前後不覚、小野寺由恵への想いに加えて、若かりし頃からの仲間が失われてゆく切なさが小野寺由恵の死に込められているかのような、名エピソードです。
●寺田ヒロオの「変化」
その後、K子さんこと小鷹洋子との別れや、成長し変化していく園山俊二や赤塚不二夫への軽い嫉妬などが描かれますが、「人生の暗黒面を描く」という観点からみれば些細なことです。
「愛しり編」で描かれる最も大きな暗黒面は、寺田ヒロオの変化……いや、変わらなかったこと故の別離です。
子供のための児童漫画にこだわっていた寺田ヒロオは、売れるために「ピストルを撃ったり刀を振り回したりする」どぎついアクション中心の劇画ブームに反感を持ちます。そしてその潔癖さから、面識のない劇画作家に自分の原稿を添えて作風を変えるように諭す手紙を出したり、連載を持っている雑誌の編集長に劇画作品の連載を中止するよう進言するのです。これらは、当然聞き入れられません。劇画ブームを受け入れられない寺田ヒロオは、64年に週刊誌の連載から撤退し、73年に筆を折ります。手塚治虫や他の漫画家仲間が思いとどまるように説得しても、耳をかさなかったそうです。そして居を構えた茅ヶ崎の家から外に出ず、トキワ荘の仲間たちともほとんど会わなくなります。
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今から五年前、久しぶりにいこうか、ということになって、藤子・F・不二雄、鈴木伸一、石ノ森章太郎とぼくの四人が茅ヶ崎の寺さんのお宅を訪問しました。寺さんは大いに喜んでくれたので、ぼくたちはガンガン飲んでさわぎました。さすがにチューダーは出ませんでしたが、その盛り上がりは四十年前のトキワ荘の宴会とかわりませんでした。寺さんも、若干白髪がふえたぐらいで、好男子ぶりは昔のまま。いかにも楽しそうニコニコとぼくたちの馬鹿話を聞いていました。
十時近くになったので、帰ることにしました。寺さんは門の前まで出てきて、温顔で見送ってくれました。寺さんのお宅の前は長い通りになっています。その途中、何度振り返っても、寺さんは手を振っています。とうとう角をまがるとき、ぼくが振りかえると、もう小さな影になった寺さんが、まだ手を振っていました。そのときぼくは、なにかこれが寺さんとの最後の別れのような気がしたのです。
あとで奥さんに聞いたのですが、その次の日、奥さんに寺さんは「これで思いのこすことはない」と言ったそうです。
そのあと寺さんは、「ぼくらが電話をかけても、いっさい出ようとはしませんでした。
そして、一年後、寺さんは亡くなりました。その報せを聞いたとき、なぜかぼくは「ああ!やっぱり・・・」と思いました。そして、あの茅ヶ崎のお宅の前で、いつまでも手を振って別れをつげていた寺さんのシルエットが浮かんできて、涙がとまりませんでした。
(『トキワ荘青春日記』”あとがき”のまた”あとがき”より)
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「愛しり編」では、このような寺田ヒロオの変わらなさ故の漫画家からの引退が、史実よりも10~20年前倒しで描かれます。まだ茅ヶ崎に行く前に、編集長への進言や手塚治虫の説得が描かれ、史実どおり寺田ヒロオは耳を貸しません。これまで満賀たちの頼れるアニキでありメンターであった寺田が、頑固で潔癖で話の通じない相手のようにみえ、それ故にまんが道を去ってゆくかのように思えてくるのです。これは、ある意味で寺田が死ぬより辛いことです。
そして、寺田の死が描かれることはないものの、『漫画少年史』の刊行(史実では1981年ですが、これも30年ほど前倒しされます)を最後に、ほとんど作中に出てこなくなります。『漫画少年史』の刊行記念パーティで、皆を眺めながら酒を何杯もおかわりし、微笑んでいる寺田ヒロオは、史実でのテラさんとの最後の別れの宴席が反映されているのでしょう。
その後、野球の試合をきっかけに、久しぶりにトキワ荘の仲間たちと再会した寺さんは、漫画を描くこと辞めたと口にします。そして、打ち上げの宴会の勘定を一人で済ませた後、感情の無い黒い眼で夜の町へ消えるように去ります。これが本作における寺さんの最後の姿になります。
思い返せば本作では、寺田が結婚のためにトキワ荘を出た後、まるで激河大介のような体格をしたさいとう・たかを(本当は逆ですが)が登場したのでした。さいとう・たかをが象徴するもの――それは「ピストルを撃ったり刀を振り回したりする」劇画です。赤塚や石ノ森は、漫画の進化と変化を口にします。満賀は「ピストルを撃ったり刀を振り回したりする」漫画そのものである『シルバークロス』を、売れるからではなく自分が心の底から描きたいからこそ描いているのだという思いを新たにします(これがⒶの本心であることは、西部劇をはじめとする映画への愛好具合からも納得できます)。
ここで描かれるのは、時代に合わせて変化できたⒶや赤塚や石ノ森、幸運にもそのSFセンスで児童漫画で人気を獲得できたFと、変化できなかった寺田ヒロオとの対比です。まるで寺田ヒロオが『アリー/ スター誕生』や『アーティスト』の主人公のような、変化できないことが原因で落ちぶれてゆく男にみえてきます。
おそらくこの見立ては正しいのです。
●更に歪む時空と時代に合わせるⒶ
「愛しり編」は、漫画家として生きていくためには常に変化し、己の世界を広げていくことが重要だ――ということがテーマの一つであるように思えます。
「今、漫画も進化してジャンルもいろんな面に広がっている…
だから当然テラさんの理解を越えた漫画もある」
……と、寺田ヒロオに説得する手塚治虫は健康的で、伝え聞くところによる「(自分の理解を越えた)劇画によって画風の変化を迫られることからくるノイローゼ状態」になったりしません。児童漫画の世界に生き、知らない人と会うどころか人がいっぱいの銭湯に行くことすら避ける才野は、「ぼくら漫画家だろ! こういうムダ遣いが、きっとあとで生きてくるんだ」と、貯金を切り崩しても8ミリで西部劇映画を自主制作しようとします。石ノ森は姉の死を乗り越えるために世界一周旅行をし、気弱な好青年かと思っていた赤塚不二夫はいつの間にか、馴染みのバーでおネエちゃんをくどく、自信溢れる男にメタモルフォーゼしていました。そして、満賀は映画的なホラーやアクション、ブラックユーモア小説のエッセンスを漫画に持ち込もうとします。
これを描くために、「愛しり編」の時空は更に歪んでいきます。
寺田ヒロオのまんが道からの撤退だけでなく、『マンガニカ』も『マグリットの石』も『怪物くん』の執筆時期も前倒しされ、トキワ荘で描かれたことになっています。『チャンピオンマンガ科』の基となった『マンガニカ』や、Ⓐが自分のブラックユーモア作品の基礎の一つと考えているであろう『マグリットの石』が「愛しり編」で出てくることは理解できますが、『怪物くん』にだけは違和感を持ってしまいます。
時空を歪めてまで「愛しり編」で『怪物くん』が出てきた理由は、おそらく、連載当時に放送されたテレビドラマ版に合わせて、話題となることを狙ったかったからでしょう。
つまり、Ⓐは70を越えた2010年代になっても、漫画家として生きていくために変化し続けていったわけです。いつの時代もⒶは、潔癖さを重視するのではなく、自作が一人でも多くの読者に読まれることを望んでいるのでしょう。
●描かれなかった森安なおやの退場と、最後に残る4人
ただ、こう考えてみると「愛しり編」は中途半端な状態で終わっているともいえます。
まず、森安なおやの去就がきちんと描かれていません。
本作の森安なおやは、皆に食べ物をねだったり、漫画を放り出してすぐに遊びに誘ったりするものの、常に飄々としており憎めない、愛すべき人物として描かれています。これは『トキワ荘青春日記』でも同様です。
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夜中、森安氏突然起きて、「くるしい!」と叫ぶ。
急病かと思ってびっくりしたら、「ハラが減ってくるしい!なにか食べるものはないか」という。運悪く何もない。
「寺さんのところならなにかあるだろう。寺さんを起こそう」と森安氏言い出したので、必死になってとめる。
一晩中、森安氏苦しむ。まったくおかしい。
(『トキワ荘青春日記』より)
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森安氏、新しいグレイの背広着てさっそうと現れる。きんらん社の稿料入ったので買ったとのころ。
「どう? センスいいだろ!」
(中略)森安氏「今度はオレにつきあってよ」と、角の家具店にいく。三千円の整理ダンス、思い切りよく買う。
明日届けるとのこと。ところが、店を出て、少しいったら、
「待てよ。やっぱりもっといいものにしたほうがいいな。何でもいいほうがいいもんな」
と引き返す。
結局、五千五百円のにする。こっちのほうが心配になる。きんらん社の稿料、背広とタンスでなくなってしまったんじゃなかろうか。
しかし森安氏、朗らかな顔して、
「これからアパートのおばさんに世話になっているから、お歳暮買っていかなくちゃ」と風のごとく去る。
(『トキワ荘青春日記』より)
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駅前の喫茶店へ行き、ココアを飲む。
カウンターの中の三十歳近い女の人を指さして
「どうだ、あのヒトきれいだろう。オレよろめいているんだ」
と言って、カウンターへいき水をもらってくる。こういう森安氏、いいねえ。
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……と、少なくともⒶ自身は森安なおやとのつきあいを楽しんでいたようです。
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なお、この時期のトキワ荘グループは、「遊び人派」と「真面目派」に分かれていた。「遊び人派」は安孫子素雄・石ノ森章太郎・赤塚不二夫(のち園山俊二も加わる)で、「真面目派」は寺田ヒロオ・藤本弘・鈴木伸一・坂本三郎・つのだじろう(のち、つのだは“遊び人派”に転向)であった。森安は、その性格のためか概して「遊び人派」と仲が良く、「真面目派」にはやや合わないものを感じていたようだ。森安と特に親しかったのは永田と安孫子で、(中略)安孫子とは二人で旅行することも多く、一度は森安の郷里・岡山に一緒に行き、岡山城の堀で泳いだこともあった。(中略)ちなみに、森安は安孫子と岡山に帰郷した際、高校時代の新聞部の後輩であった富士松緑に結婚を申し込んだものの、富士松にはまったくその気がなく、この申し出はあっさり断られてしまったという。
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森安なおやの描く漫画は、本人から受けるイメージとは相反する、叙情的で甘酸っぱくてノスタルジックな児童漫画でした。今、最も読みやすいのは『「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝』に収録された『赤い自転車』でしょう。日本人の原風景のような下町を舞台とした幼い姉弟のリリカルなやりとりが描かれており、トキワ荘の仲間の漫画家や編集者たちが森安なおやの才能を認め、作品を描かせようとした理由がよく分かります。
しかし、森安なおやはプロとして締め切りまでに作品を最後まで描きあげることができない男でした。
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森安は、出版社から稿料を前借りしたり、友人たちから借金をしながらその後もトキワ荘で漫画製作を続けたが、しかしそれも秋頃からは行き詰まり始める。森安は寺田に何度となく借金もしていたが、「返す気配がまったくない」ということで、寺田も次第に森安には金を貸さなくなっていた。それでも、寺田は「新漫画党々首として、党員を窮状から救ってやらねば」という責任感からか、複数の出版社を相手に「小さいものでもいいから、森安に仕事を回してやって欲しい」と頼み回っている。だが、森安はさっぱりそれを引き受けようとはしない本人に理由を尋ねても「描けない」というばかりである。何とか引き受けた仕事にも少しもとりかかろうとしなかった。
当時、講談社で編集員だった丸山昭は、その頃を振り返りながら「森安なんて、今会ったら首絞めてやりたいくらいだ!」と苦笑交じりで語っている。
「とにかく、約束も締め切りも全然守ろうとしないんですよね。トキワ荘の(メンバーの)中で結局、彼だけは伸びなかったなぁ……。まあ、人間は良かったんだけどね……」
(『「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝』より)
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「とにかく愉快な男だった。漫画もうまいんだけど、漫画への思いが強すぎて時流に乗れなかった。画風もテーマもひたすらノスタルジックだったからなあ」と藤子Ⓐ氏。「二人になると熱く漫画のことを語るんだけど、描けない。本質的に不器用だった」と鈴木氏。「森安氏に締め切りを守らせるより、その穴を手塚先生に埋めてもらう方が現実的って感じだったよ」と永田竹丸氏」。
(中略)
一九九七年、久々の漫画作品『鳥城物語』が出版されるに至ったのも、郷里の友人松下邦夫氏らの「岡山に戻る費用を持たせてやりたい」という切なる思いが出発点だった。その松下氏にして言う。「高校時代から才能は光っていましたが、プロとしての大成は難しいと思っていました。学校新聞の四コマでされ締め切りに間に合わないことがよくありましたから」
(『朝日新聞』一九九九年七月一九日夕刊より)
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締め切りを守れず、出版社からの前借りや漫画家仲間からの借金を全く返すそぶりのない森安は、家賃折半で同居していた鈴木伸一がアニメーターを目指してトキワ荘を出たこともあり、57年にトキワ荘から追い出されます。その際、激怒した寺田ヒロオは森安を新漫画党から除名すると共に、「今後一切、森安なおやとは付き合わない」との回状を回しています(このことを基にして寺田に「指名手配」されたエピソードが、森安がCOM誌に久しぶりに発表した漫画『トキワ荘物語 まんが家志願 のるかそるか』で描かれています。これは現在『トキワ荘青春物語』に収録されています)。ただ、寺田が結婚でトキワ荘を出た後は、またふらりと顔を出したりしていたそうです。
その後、森安なおやは職を転々とした後、60年に漫画家を廃業します。キャバレーのマネージャーや建設会社の契約社員といった肉体労働で生計を立てますが、漫画への情熱は捨てがたく、ライフワークとして描き続けます。しかし、中々作品を発表できない日々が続きます。
1981年にNHKで放送されたドキュメンタリー『現代マンガ家立志伝』は、『まんが道』の森安なおやしか知らない読者にとってはショックな番組でした。漫画家(やアニメーター)として名を成した他のトキワ荘メンバーと対比して、肉体労働をしながらジャンプの編集部に持込みし、漫画家として再起をかける森安なおやの姿が描かれるのです。酒を飲みつつ笑いながら「いっしょに暮らしていた友人たちと二十数年のギャップがあるわけですよね」、「僕が一番番外でしょ? だから、僕が出ると彼らの出世ぶりが余計目立つわけよ。やっぱりコントラスト」、「二十五年のハンデは絶対に取り返せない」と自嘲気味に答える森安の姿は、自分自身を哂っているかのようでした。
そして1999年、住居としていた都営住宅の団地で、別居中の妻により森安なおやの遺体が発見されます。郵便受けには数日分の新聞がたまっており、孤独死でした。
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「森安……? 知らないなぁ……。俺もずうっと昔からここにいて、その間いろんな人が出たり入ったりしてるんだけどさ、名前ぐらいはだいたい覚えてるんだ。でも、悪いけどそんな人、全然記憶にない。漫画家だったの……? でも、そんな有名なあれじゃないでしょ? ここに漫画家が住んでるなんて、噂でも聞いたことないし……」
どうやら「近所付き合いがほとんどなかった」との話は本当であったようだ。
(中略)
のちに森安の知人から聞いた話によれば、以前は四軒隣に生前の様子を知っていた住人もいたそうだが、その方にとっても森安は「漫画家」などではなく、「ゴミ収集の日に分別しないでゴミを出し、こっちが注意すると逆に怒り出す困った人」でしかなかったらしい。団地内での共同清掃などにもまったく参加しなかったとのことで、近所での評判は芳しいものではなかった。
(『「トキワ荘」無頼派 漫画家・森安なおや伝』より)
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こういった森安なおやの人生について、Ⓐは描く意思があったのではないでしょうか? 直接的な死や没落は描かないまでも、寺田ヒロオのように時空を歪めて、象徴的な別離のシーンを描く予定だったのではないでしょうか?
そんなふうに考えてしまうのは、「愛しり編」序盤で、森安なおやの名前が「風森やすじ」に変更されていたからでもあります。「愛しり編」の連載が開始された1995年当時、森安なおやはまだ存命でした。この改名は、森安なおや本人に迷惑をかけることなく森安の暗黒面を存分に描くためだったのではないでしょうか? 少なくとも連載当初はそのようなねらいがあったのではないでしょうか?
しかし、そのようなシーンが描かれることはありませんでした。「愛しり編」の9巻、寺田ヒロオの結婚式に参加するシーンで、風森やすじの名前は森安なおやに戻るのですが、これを最後に作中に登場しなくなります。テラさんをどう説得するか皆で相談するシーンにも、おとぎプロへの表敬訪問にも、『漫画少年史』の刊行記念パーティにも、森安は登場しません。元々、森安はクリエイティブな事柄に関わるシーンにはあまり登場しませんでしたが、一切登場しなくなるのです。
そして、次に森安ならぬ風森の名が出るのは、最後にテラさんがトキワ荘を訪問した時です。「今、トキワ荘にいない仲間」として名が挙がり、故郷の岡山に帰って漫画を描き続けていることになっているのです。
つまり、本作における森安なおやは、いつの間にかフェードアウトしてゆくのです。