NakaBBさん のコメント
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941 年 9 月 7 日(「戦争を辞せざる決意の下におおむね 10 月下旬を目途とし戦争準備を完整す」と決定した 9 月 6 日の御前会議の翌日)、東久邇稔彦下は東條陸相に米国の術策にはまるだけだと、辞職を求めています
東久邇稔彦著『一皇族の戦争日記』は東久邇宮と東條陸相の会談をかなりリアルに記述しています。
まず、東久邇宮は東條陸相を呼んで天皇は日米国交調整に御心をそそがれているので、これを真剣に考えてもらいたいと要請します。
これに対して東條陸相から、米国は 1: 日本軍は仏印から撤退すること 2: 日本軍は支那全土から撤退して支那事変以前の状態に復すること 3:日本 は英米に対して支那における門戸開放、機会均等を認めることを要求している。
この条件は陸軍大臣として、支那大陸で生命を捧げた尊い英霊に対して絶対に認めることが出来ない等を強調します。
そして「東條は日米関係について、はじめはなか
tako2008さん、コメントありがとうございます。本当の原因は日本陸軍の野心にあったとするのは正しいものの見方ですが、でもやっぱり何かを見逃している気がします。釈迦に説法でしょうが、関東軍には見えない闇があります。まずアヘンを資金源にしていたこと。これは里見機関が有名ですが、やはり上部は岸信介でしょうね。アヘンの権益はイギリスが握っていたはずです。それもユダヤ系の商社が。では「河豚計画」を提唱したのは誰か?後の日産の鮎川義介ですが、これも親分は岸信介ではないかと思います。この辺の人脈は妙に長州閥で、日立の久原房之助、井上馨、藤田伝三郎、松岡 洋右など、長州と満州は切っても切り離せません。このうち岸信介と久原房之助は戦後CIAのエージェントだったといわれています。まあいまのところ都市伝説の域をでませんが、誰かがいっていたように明治維新にその根はあるのかもしれません。その辺のことがもっと明らかにならないかと思っています。
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