oldjapさん のコメント
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『一期一縁』より
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一九五六年10月、現在昭和記念公園がある当時の北多摩郡砂川町に私はいた。
戦前の陸軍飛行場を接収した米軍立川基地の拡張に反対した「砂川闘争」だった。当時の宮崎町長を始め、砂川町の住民たちがこぞって反対し、安保条約に基ずく土地収用特別法による収用手続きのための測量に対し、体を張った闘争だった。
当初、砂川のお母さんや娘さんたちが、反対運動を展開し、デモを行い、座り込みで抵抗したが、すぐ警察機動隊に駆逐された。基地拡張に共鳴する労働組合や各種団体が加わったが、実際測量が始まると。それらの努力は雲散霧消して抵抗は微弱なものとなった。
砂川の婦人たちの間か「学生さんに応援してもらうことはできないものか」という声があがった。
そして、私に白羽の矢が立ち、学生達の総指揮官として砂川闘
tokunよ、「母親と原発実験に反対運動」と書いているが、あんた、原発と原爆を取り違えていないかね。たぶんあんたのお母ちゃんは「原爆実験反対」と言っていたと思うよ。日本では原発実験はほとんど行われていません(原発の初号機を建設し、試運転をしたことを原発実験というなら言ってもいいが、それは米国で既に確立していた技術に基づく図面を米国の目―カーから購入してその通りに政策下に過ぎず、実験と言う名には値しない行為です。原発実験の多くは米国で行われたのでtokunのお母ちゃんが反対しようにも反対できない。日本での「原爆実験反対」運動とは、たとえば米国が支配しているビキニ環礁で実験をした際に、たまたま近くにいた日本の漁船の船員が実験で巻き上げられた放射線物質が空から降ってきて、それに被ばくして亡くなったという事故に関して発生したものです。近くにいたのが悪いともいえなくないので、大げさに騒ぐのは多分、反米感情を煽りたて、米ソの対立においてソ連側にそそのかされてソ連を利することを狙った共産主義者の運動だったのでしょう。砂川の騒ぎも全くおなじで、要はソ連を応援する活動でした。今でも、とっくに幽霊となってしまったソ連をokunは応援しているのでしょうか。面白いですね。
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