戦後組織の変遷1-1◎目的を失った組織
■「豊かさ」を目指す第一世代組織論
戦争は記憶以外の全てを滅ぼす。日本人は敗戦により、それまで信じていた価値観を失い、明治の開化とともに築き上げてきた国内の近代的な社会インフラ、生産装置の大半を破壊された。焼け跡に復員した人たちは、途方に暮れながら、歯を食いしばりながら、新しい生活をはじめた。敗戦の衝撃の余波が静まりかけた頃、自分たちの目標がはっきりと見えてきた。全てが無に帰した大地を見れば、目標設定は単純明快である。今日の生活を維持するための衣食住を確保すること。そして願うなら、明日の生活も安心出来るような物質的備蓄を確保すること。
よほどの変人でない限り、その時代の人々は同じ目標を持っただろうし、それは戦争に突入する時と同じような高揚感すら持ったのではないかと思う。静かな、奥深い決意を。人々は働き、だんだんと壊されたものが復興されてきた。そして欧米の技術や思考方法をキャッチアップしながら、懸命に社会のノウハウとして現実化してきた。今、僕たちが生きている社会の土台・礎は、このような人々の思いに支えられて存在している。
戦後社会は、敗戦がもたらした「新しい目標」を忠実に実行することによって発展してきた。個人のそれぞれの思いは、「豊かになること」という、ただ一点の目標の下にあった。人々の思いは、さまざまな組織になり、他の組織と熾烈な戦いを続けながら、より強固に、より合理的に成長してきた。各業界には、競争に勝ち抜いた組織が、大企業として君臨するようになった。企業の発展は、そのまま、そこで働く者に生活の豊かさを配分した。
戦後社会とは、社会的な組織の時代である。企業は弱い企業を打倒したり吸収したりして巨大になり、労働者は組合という組織を作り、資本家に対してより多くの豊かさの配分を要求した。二大政党制というのは、戦後社会における自民党と社会党との関係を言うのである。それぞれの組織の代理人として、人々に利益誘導をアピールすることで選挙を争った。
政治も文化も宗教もスポーツも、戦後社会においては、あらゆるものが組織された。人々は組織したがり、組織されたがった。それは敗戦の時に抱いた大きな目標に向かって進むという人々の共通原理が働いたからだろう。メディアもマーケティングもマスマーケットを支配するものが正しかった。敗戦の無の状態からスタートした者にとって「量」(豊かさ)というのは、信仰のような概念だったのではないだろうか。
豊かな社会は現実のものとなったが、中心に一つの確固たる原理を持ち、同心円のように膨張する組織論は既に限界に来ている。モノは売れなくなった。マスメディアは退屈になった。僕たちは、目標を失った。