織田信長公は甘党だったので、団子を好んで食べた。
その頻度が高かったので、京の人々は裏でこれを「上様団子」と揶揄していた。
問題は信長公の小姓衆の中に途方もない粗忽者が居たことである。
どれくらい粗忽かと云うと、信長公の御前で世間話として「上様団子」の話をしてしまう程であった。
当然、この話を聞いた信長公は手が付けられないほどに激怒する。
そんな時、登城してきたのが天下の名医・曲直瀬道三である。
「上様!
お怒りはご尤もで御座います!
ですが、この様な前例が御座います!
かつて天子様がチマキをお召しになった時
『たいそう面白きもの』
と仰られ、それを聞いた京童が『内裏粽』『御所粽』と呼んで今日に至ります。
これは上様への敬意の現れとも申せましょう!」
道三が話の方向をこの様に持って行ったので、信長公の機嫌は直り小姓も許された。
偉い人に仕える者は、万事気遣いが必要なのである。
『昨日は今日の物語』
江戸時代初期に刊行された笑話集。
作者未詳。
醒酔笑と並んで、本邦笑話本の祖とされる。
『曲直瀬道三』
日本医学中興の祖・医聖。
『啓迪集』など数々の医書を表し、施薬院全宗を始めとする多くの後進を育てた。
『御所粽』
幾種類もあるチマキの中でも、現代日本で一般的に『チマキ』と認識されている形式のチマキ。
団子を笹で包んだアレのことである。
その頻度が高かったので、京の人々は裏でこれを「上様団子」と揶揄していた。
問題は信長公の小姓衆の中に途方もない粗忽者が居たことである。
どれくらい粗忽かと云うと、信長公の御前で世間話として「上様団子」の話をしてしまう程であった。
当然、この話を聞いた信長公は手が付けられないほどに激怒する。
そんな時、登城してきたのが天下の名医・曲直瀬道三である。
「上様!
お怒りはご尤もで御座います!
ですが、この様な前例が御座います!
かつて天子様がチマキをお召しになった時
『たいそう面白きもの』
と仰られ、それを聞いた京童が『内裏粽』『御所粽』と呼んで今日に至ります。
これは上様への敬意の現れとも申せましょう!」
道三が話の方向をこの様に持って行ったので、信長公の機嫌は直り小姓も許された。
偉い人に仕える者は、万事気遣いが必要なのである。
『昨日は今日の物語』
江戸時代初期に刊行された笑話集。
作者未詳。
醒酔笑と並んで、本邦笑話本の祖とされる。
『曲直瀬道三』
日本医学中興の祖・医聖。
『啓迪集』など数々の医書を表し、施薬院全宗を始めとする多くの後進を育てた。
『御所粽』
幾種類もあるチマキの中でも、現代日本で一般的に『チマキ』と認識されている形式のチマキ。
団子を笹で包んだアレのことである。