日本で、「心的外傷ストレス(PTSD)」という言葉が一般に知られるようになってきたのは、「311」とも呼ばれる東日本大震災が大きなきっかけだったのではないでしょうか。

『身体はトラウマを記録する-脳・心・体のつながりと回復のための手法』の著者ベッセル・ヴァン・デア・コーク博士は、トラウマ研究の第一人者です。2011年には来日しており、東日本大震災におけるトラウマ・ケアをテーマに各地で講演を行っています。

トラウマ・ケアの第一人者によるベストセラー

コーク博士は、トラウマ体験のフラッシュバックに苦しむベトナム戦争の帰還兵へのケアで精神科医としてのキャリアをスタートしました。その当時、1978年にはまだPTSDという診断名はありませんでしたが、コーク博士はフラッシュバックに苦しみ、パニックに陥っているたくさんの帰還兵を目にすることになりました。

トラウマを引き起こす出来事は、たとえどれほど身の毛のよだつようなものであっても、必ず一過性のものであるだけましで、フラッシュバックのほうがいっそうつらいものになりうることが、このときわかった。いつまたフラッシュバックに見舞われるか知れたものではなく、いったんフラッシュバックが始まったら、いつまで続くかも知りようがない。(34ページより引用)

1980年にはアメリカ精神医学会によって「心的外傷ストレス(PTSD)」という診断が新たに定められ、それ以降、コーク博士はライフワークとしてトラウマのケアに邁進します。その集大成ともいえるのが本書で、アメリカではベストセラーになっています。トラウマの本質とは何か、トラウマによって脳はどう変化するのか、どうすればトラウマから回復することができるのか、などについて、数多くの臨床例とともに解決方法を探っています。

マインドフルネスやヨガを治療に取り入れる

興味深いのは、マインドフルネスやヨガなどの代替療法も積極的に治療に取り入れているところです。役立つと感じた代替療法は、自ら研修を受けて、さまざまなセラピーを採用するという柔軟な姿勢が印象的です。むしろ、行き過ぎた薬物療法に対しては批判的ですらあります。

過去数十年にわたって精神医学の主流は、薬を使って私たちの感じ方を変えることに焦点を絞ってきており、この薬物療法が過覚醒と低覚醒への対処法として容認されるに至っている。薬については本章でいずれ論じるが、最初に強調しておかなくてはならないことがある。私たちは、自分を安定させておくための技能を生まれながらに数多く持っているのだ。(中略)この原理は「代替療法(オルタナティブ)」として疑いの目で見られている。(338ページより引用)

たとえば、子ども時代の虐待が原因でトラウマを負ったマリリンという女性に対しては、代替療法を組み合わせた治療によってはっきりとした成果をあげています。

私はマリリンに、気持ちを鎮める技法をあれこれ教え始めた。たとえば、深い呼吸(吸って吐き、吸って吐き、を1分間に6回)に意識を集中し、体の中で息の感覚を追い続ける。これに指圧のツボのタッピングを組み合わせると、マリリンは感情に圧倒されずに済むようになった。私たちはマインドフルネスにも取り組んだ。心を鋭敏な状態に保ちつつ、自分がひどく恐れるようになった感覚を体が感じるのを許すことを学ぶと、マリリンはたちまち自分の感情に乗っ取られる代わりに一歩身を引いて、自分の経験を観察することが少しずつできるようになった。(217ページより引用)

トラウマコントロールの鍵はマインドフルネス

私たちの脳は、人類の進化をなぞるように段階的に発達します。はじめに発達するのが、いわば「爬虫類脳」とも呼ばれる古い動物脳で、生命の維持を司ります。睡眠や食欲、呼吸、排泄など、生まれたばかりの赤ん坊ができることを受け持つ場所です。

その次に発達するのが大脳辺縁系で、いわば「哺乳類脳」とも呼ばれる場所です。ここでは恐怖や喜び、楽しみなど情動を判断する役割を担い、赤ん坊や幼児が社会と関わりながら形作られる脳の部位です。

コーク博士は、上記の「爬虫類脳」と「哺乳類脳」を合わせたものを「情動脳」と呼びます。これに対し、理性を司る「理性脳」は、脳の一番外側にある新皮質にあり、なかでもそのかなりの部分を占める前頭葉によって、言葉や抽象的思考、計画的に物事を進めたり、未来について想像したりすることができます。人類が文明を発展させることができたのも、前頭葉のおかげとも言えます。

トラウマの問題は、理性脳が情動脳に飲み込まれ、コントロール不能になってしまうことです。

人は、ぞっとするような出来事に突然思いがけなく見舞われると、もう元の自分ではなくなるのだ。トラウマそのものは終わっても、絶えず蘇ってくる記憶の中と、再編成された神経系の中でトラウマは再生され続ける。(262ページより引用)

トラウマは直面するのが苦しいものですが、目を背けたままでは対処することができません。それを助けてくれるのが、マインドフルネスの姿勢です。

通常、人は前頭前皮質の実行能力のおかげで、何が起こっているのかを観察し、ある行動をとれば何が起こるのかを予想し、意識的な選択ができる。思考や感情や情動を冷静かつ客観的に観察し(この能力のことを、私は本書を通じて「マインドフルネス」と呼ぶ)、それからじっくり反応できれば、実行脳は、情動脳にあらかじめプロブラムされていて行動様式を固定する自動的な反応を、抑制したり、まとめたり、調節したりすることが可能になる。この能力は、他人との関係を維持するうえできわめて重要だ。(105ページより引用)

ヨガや呼吸法で、「体と仲良くなる」

コーク博士は、トラウマから回復するためには、「体と仲良くなる」ことが重要だと強調します。トラウマにさらされると、その記憶が断片化されてしまうため、「トラウマに関連した情動や音、声、イメージ、思考、身体的感覚がそれぞれ独り歩きを始め」てしまうからです。その結果、今現在に生きているという手応えを実感できなくなるのです。

トラウマの犠牲者は、自分の体の感覚になじみ、その感覚と仲良くなって初めて回復が可能になる。おびえているというのは、いつも警戒している体の中で暮らすことを意味する。怒っている人は、怒っている体の中で暮らしている。(中略)

人はどうすれば心を開いて感覚と情動の内部世界を探ることができるのか。私の治療の場合には、患者を手助けし、彼らが体の中の感じにまず気づき、次にそれを説明できるようにするところから始める。体の中の感じとは、怒りや不安や恐れのような情動ではなく、圧力や熱、筋肉の緊張、疼き、へたばり、空虚さといった、情動の土台となる身体的感覚のことだ。緊張緩和や快感と結びついた感覚の識別にも取り組む。患者たちが自分の呼吸や仕草、動きを自覚するようになるのを、私は手伝う。(169ページより引用)

上記の説明から、体と対話するヨガや呼吸法が、そして「今、ここ」にいる感覚を大切にする瞑想やマインドフルネスが、トラウマからの回復にも非常に役立つことがわかります。さらにコーク博士は、中国の気功や太極拳、日本や朝鮮半島発祥のさまざまな武道など、アジアに多く伝わる伝統的な体系についても高く評価しています。

無限の可能性を持つ心のレジリエンス(自発的回復力)

この本には、数多くのトラウマの症例が紹介されており、なかには信じられないほどのエピソードもあります。しかし、読み進むうちに、コーク博士のサポートによって立ち上がる力を得て、再び歩み始める人々の姿に心を打たれます。心の持つ柔軟性と無限の可能性について、勇気を与えられる一冊です。

トラウマは私たちの脆さや、人間に対する人間の残酷さを絶えず突きつけてくるが、それと同時に、私たちの途方もないレジリエンスも見せつけてくれる。私がこれほど長くこの仕事を続けてこられたのは、人間の喜びや創造性、意義、つながりといった、人生を生きる甲斐のあるものにしているいっさいの要素の源を探るように、この仕事に駆り立てられたからだ。患者の多くが耐えたものに自分ならどう対処していたかは、想像の糸口さえ見つからない。だが、彼らの症状は彼らの強みでもあると私は見ている。それは、彼らが生き延びるために学んだ方策なのだ。そして彼らの多くは、あれほどの苦しみを抱えているにもかかわらず、やがて愛情深い伴侶や親、模範的な教師や看護師、科学者、芸術家になった。(中略…例としてオプラ・ウィンフリー、マヤ・アンジェロウ、ネルソン・マンデラなどの人物が挙げられる)…自らが知っていることに基づいて行動を起こすかどうかは、私たち次第なのだ。(597,598ページより引用)

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身体はトラウマを記録する-脳・心・体のつながりと回復のための手法

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