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「血に汚れた脱脂綿がバスの中を転がって…」生理用ナプキンの誕生秘話
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「血に汚れた脱脂綿がバスの中を転がって…」生理用ナプキンの誕生秘話

2019-10-08 20:00
    歴史社会学者の田中ひかるさんに聞く、女性と生理の知られざる歴史前編に続き、後編では「月ロケットの打ち上げ以上」のインパクトを日本女性に与えたという、あるアイテム誕生の経緯をうかがいました。

    使い捨てナプキンを作ったのは日本人女性

    平安時代から1000年の長きに渡り、日本では女性の生理がタブー視されてきました。その歴史を大きく変えたのが、紙製の使い捨てナプキンです。

    田中ひかるさん :

    つい60年前まで、女性たちは「蒸れる・かぶれる・ただれる」の3拍子そろった「黒いゴム引きパンツ」に脱脂綿を組み合わせて経血を処置していました。脱脂綿が移動してしまうので下着を汚したり、思わぬ粗相をすることもあって、とても苦労していたようです。

    アメリカから来た、ベルトのフックにかけて吊るす形で使う生理用品「コーテックス」を使う人もいましたが、高価かつサイズが合わない。

    そこに登場したのが、画期的な商品「アンネナプキン」です。ナプキンというと外国から入ってきたというイメージがあるかもしれませんが、下着につけて使うナプキンを開発したのは日本人女性。ナプキンは日本発と言っていいアイテムなんですよ。

    その女性とは、1934年(昭和9年)生まれの坂井泰子(さかい よしこ)さん。もとは専業主婦でしたが「仕事をしたい」という強い思いがあり、発明家と企業の仲介をする会社を立ち上げました。

    田中ひかるさん :

    各地から発明のネタが寄せられるなかで泰子さんの目を引いたのが、経血処置に使った脱脂綿がトイレに詰まらないように、排水溝に網を張るというアイデアでした。

    でも泰子さんは、問題は脱脂綿を使った経血の処置方法そのものにある、と。中学生のころ、バスのなかで血に汚れた脱脂綿が車内を転がっているのを見たときの恥ずかしさが忘れられなかったそうです。

    日本女性のサイズに合った快適な生理用品があれば、女性たちの生活も変わると考え、自ら開発に取り組んだのです。

    生理用品の社会史 (角川ソフィア文庫)

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    「40年間お待たせしました!」アンネナプキンの誕生

    生理用品会社への出資をつのり、坂井夫妻はいくつかの企業をまわります。しかし、「女のシモのものでメシを食う」ということに抵抗を感じる企業が多く、話は頓挫するばかりだったそう。

    田中ひかるさん :

    そこに現れたのが、「第二の松下幸之助」と呼ばれたミツミ電機の森部一(もりべ はじめ)社長でした。渡紀彦(わたり のりひこ)さんという敏腕PR課長の助力もあって、ナプキンの事業は大きくなっていきます。

    「アンネナプキン」という名前は、泰子さんが「アンネの日記」から提案したものです。先駆的なコマーシャルや可憐なデザインで、アンネナプキンは大ヒットしました。

    1961年にデビューした「アンネナプキン」のキャッチコピーは、「40年間お待たせしました――いよいよアンネナプキン登場!」。

    当時、アメリカでは40年前からコーテックスという紙綿の生理用品が使われていました。アメリカに遅れること40年、やっと日本の女性も、快適な生理用品を手にすることができたのです。

    アンネナプキンの生みの親、坂井泰子さんの功績

    「恥ずべきもの」「隠すべきもの」という月経観を変え、生理に明るいイメージをもたらした「アンネナプキン」。それは、泰子さんとアンネ社の偉大な功績だと田中さんは語ります。

    田中ひかるさん :

    泰子さん自身も“清潔で明るい女社長”としてマスコミにもてはやされましたが、それをご自身が望んでいたのかどうか……。その後、生理用品は競争が激化し、アンネ社はライオンに吸収合併されます。当時は泰子さんを揶揄するような報道がたくさん出て、彼女自身、引退してからマスコミとの接触を一切絶っています。

    坂井泰子さんの功績が正当に評価されていないのは、残念なことです。彼女がいなければ、日本の生理用品の開発はもっと遅れていたでしょう。

    いま「第3次生理革命」が起きている

    2019年、日本では「#NoBagForMe(生理用品を隠す袋はいりません)」というプロジェクトが始まり、生理用品をめぐる環境が変化の兆しを見せています。

    田中ひかるさん :

    生理用品の進化によって、女性たちは生理中であることをあまり意識せずに過ごせるようになりました。スーパーやコンビニにも当たり前に生理用品があるから、若い世代で生理を「恥ずかしい」と思う人は少数派なのではないでしょうか。「#NoBagForMe」の動きには、そうした女性たちの意識の変化があらわれています。

    かつて生理は“穢れ”であり、そこから脱却するために明るくポジティブなイメージが必要でした。今は生理のつらさや体調の変化もふつうに口に出せるようになり、生理が特別なものではなくなりつつあります。

    田中ひかるさん :

    2019年の今、日本では「第3次生理革命」が起きていると思います。

    第1次は月経タブー視に基づく慣習が公的に廃止された明治時代、第2次はアンネナプキンが登場した1960年代。いまの第3次は「意識改革」のとき。今後は女性たちのリードでさらに月経観が変わり、生理用品の広告やパッケージデザインも、よりシンプルに変わっていきそうです。

    使い捨てナプキンだけでなく、布ナプキン月経カップなど、生理用品の選択肢が増えてきたことも変化のひとつ。今後は低用量ピルやミレーナ(子宮内黄体ホルモン放出システム)などを使って、生理自体をコントロールする女性が増えてくるでしょう。

    「第3次生理革命」の担い手は、現代を生きる私たち。自由を開拓してきた女性の歴史が、またひとつ新たなフェーズに入りそうです。

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    前編はこちら

    生理用ナプキンができるまで、女性はどうやって経血処置をしていたの?

    田中ひかるさん
    1970年東京生まれ。歴史社会学者。著書に『月経と犯罪 女性犯罪論の真偽を問う』(批評社)、『「オバサン」はなぜ嫌われるか』(集英社新書)、『「毒婦」 和歌山カレー事件20年目の真実』(ビジネス社)、『生理用品の社会史』(角川ソフィア文庫)などがある。公式サイト

    取材・文/田邉愛理、企画・構成/寺田佳織(マイロハス編集部)、image via shutterstock

    RSSブログ情報:https://www.mylohas.net/2019/10/199714sp_womens_diseases_history02.html
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