心理カウンセラーの小高千枝です。
東京で生活をして、ずいぶん月日が経ったなぁ...。色々なことがあったなぁ...。と感じていた矢先に、GLITTY編集長からコラムの依頼がありました。
「いまなら、ちょっとゆるめに楽しんで書けたらいいな」
というのが正直な気分。
いままで数々のコラムの連載をしてきました。どれも "心理カウンセラー""メンタルトレーナー"としての立場で最大限に表現し、心理学を主軸にかっちりとした内容のものを書いてきました。そういった表現方法は、多くの人に認識していただくために必要でした。
誰もが自分の役割を演じて生きている人間は社会的な生き物。だから、その都度、自分の役割を演じています。
公の場に出る私は心理学でいう"役割演技"をし、自分の分身的存在に心身を委ね、社会と向き合っています。それは、良い・悪いということではありません。どんな人もそれぞれの立場があって社会での生き方を確立していくので、役割を演じるのはとても大切なこと。みんなそうやって生きていますからね。
そして、その役割"心理カウンセラー・小高千枝"を演じていても、肩書きのない"人間・小高千枝"が根本にいます。そういうまっさらな自分をあなたはどう受け止めていますか?
好きですか? 嫌いですか?
私は「好き」です。ただの"人間"である自分の基礎を大切に思っているから、役割演技も楽しめているだろうな、とぼんやり感じることがあります。
怒涛の30代を東京で過ごしたまた、いまの私があるのは、いままでの自分の経験のおかげ。本当にいろいろなことがあったので、自分のことを「元気だったな」「よく生きていたな」と思ってしまうほど。
大袈裟かもしれませんが、怒涛の30代を東京で過ごしてきたことは、現在の自分に大きく影響をしています。振り返ると笑ってしまいます。
もうちょっとゆるく生きても良かったのかなぁ、とすら思えます。でも、あの苦労があったからこそ、いまがあるのかな、と思ったり。何が正解だったのかは、正直わかりませんし、正解はないのかもしれませんね。
包み隠さずいえば、私の30代は、
とにかく走っていた。
大声で笑っていた。
悲しい気持ちに振り回されていた。
意味もなくあせり、そして、偽る自分もいた。
色々な場面で色々な自分がいて、自分にとって心地よい人格はなんだろうと模索し続けてきました。だからこそ、本当の自分に出会え、帰る場所ができ、自分の生き方に素直になれた。
そして、ものごとをシンプルに見ることができるようになったのでしょう。
東京で生きようとする気持ちは、生命力の強さ東京で生活をしていると、楽しいことやおもしろいこと、刺激もがたくさん。選択肢はいっぱいあって、生きる道もたくさんある――。
そして、日本の中心である「東京で生きようとしている気持ち」に、生命力の強さを感じます。
華やかさの裏にある足の引っ張り合い、憧れや夢を実現化するための血のにじむような努力、人には言えない、一筋縄にはいかないことたくさんあります。それでもがんばろうとする気持ち、東京が自分の居場所だと捉える気持ち――。
それって、とてもかっこいいこと。
ただ、揺らぐし、ぶれるし、見失うし、自分がわからなくなることもいっぱいある。私もそういうときがあったし、いまでも「まったくない」と言ったら嘘になります。
がむしゃら過ぎて、自分の着地点がよくわからなくなることも。人のせいにしたくなることだってあるけれど、最後はやっぱり「自分」としてどうしたいか? なんです。
あなたは、自分をみつめる時間ってありますか?
社会における"役割"がいくつあるのか? "本当の自分"はどこにいるのか? そして、"本当の自分"って何なのか?
いろいろな自分の顔を具体的に知っておくと楽しいし、冷静になれるし、何よりも振り回されなくなります。
「今は、こういう自分を演じなくてはいけないから仕方ない」
良い意味でのあきらめと手放しができるようになると、次の新しい世界が開けるかも。
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